52、第一王子の苦悩
数日後、ノクス殿下が人知れずアストリッド公爵家を訪れた。
いつもの凛々しさはなく、どこか翳りを帯びた背中に、私は胸がざわつくのを感じた。
「突然の訪問、失礼する。……コゼットの件で、伝えておくべきことがあってな」
「いえ、それで……どうなりましたか?」
殿下は一度深く息を吐き、ゆっくりと告げる。
「……コゼットが黒魔法を使っていたことが判明した。セレナ嬢の精霊の力を一時的に奪っていたことも、本人が自白した」
「……そうですか」
短く返したその声に、殿下はかすかに目を細める。
「やはり気づいていたか」
「黙っていて申し訳ありません。ただ、黒魔法については確証が持てませんでした」
「……いや、疑っていたのはこちらだ。すまなかった」
殿下は目を伏せ、慎重に言葉を選ぶように続けた。
「黒魔法はこの国では絶対の禁忌だ。理性を歪め、心を蝕む……死罪は避けられないだろう」
その言葉の重さに、胸の奥がひりつく。
コゼットが死罪——その響きは冷たくも当然のものだった。
でも同時に、あの笑顔がふいに浮かぶ。
ほんの小さなきっかけで黒魔法に手を伸ばし、引き返せなくなってしまっただけなのかもしれない。
あの優しさは、まだどこかに残っているのだろうか。
胸の奥がずきりと痛む。でも、だからといって許せることではない。
その時、殿下が静かに口を開いた。
金に輝く瞳が揺れ、普段の冷徹さとは違う熱を宿している。
「巻き込まれた二人に話すのは間違っていると分かっている……だが」
殿下の声はかすかに震え、唇を噛む音が聞こえる。
「俺は……コゼットの命だけは……」
頭を下げる広い背が、無防備に小さく震えた。
「……助けたい、と思っている」
その瞬間、ノエルが勢いよく立ち上がった。
「殿下……!!コゼットがセレナに何をしたか分かっていて言っているんですか!」
今にも掴みかかりそうな彼の腕を、私はそっと伸ばして制する。
「……ノエル、落ち着いて」
「でも……っ、こんなの許せるはずがないじゃないか」
「……私は大丈夫よ」
私は静かに、まっすぐに殿下を見据えた。
「殿下……どういうことか、きちんとお聞かせください」
「……ああ」
殿下は苦しげに視線を落とした。
「確かに彼女は許されない罪を犯した。だが……俺とコゼットの過ごした時間は、確かにあったんだ。
黒魔法は使えば使うほど理性を蝕み、思考を狂わせる。俺との時間が打算だったのかもしれない。
……それでも、ふとした瞬間の彼女は、どうしても嘘をついているようには見えなかった」
そして、押し殺した声で続ける。
「……気づけば、彼女を――愛してしまっていた」
「……殿下。それでも彼女は償うべきです」
「……わかっている。理性では間違っていると承知している。だが、どうしても受け入れられないんだ」
殿下は深く息を吸い込み、指先に力を込める。
決意とも絶望ともつかぬ声が、静かに落ちた。
「表向きには処刑したことにする。一生幽閉し、外に出さないようにする。君たち二人には二度と会わないようにすると誓う。
だから、どうか……命だけは助けたい……」
ノエルが再び言葉を発しかけるが、セレナは彼の手を握って首を振る。
「殿下……それは、私たちの心を置き去りにするものですわ」
「……すまない」
「けれど──私たちは、その話を聞いていなかったことにいたしましょう」
「……セレナ!?」
ノエルの視線が突き刺さる。
ノクス殿下ははっとして目を見開いていた。
「……セレナ嬢、感謝する」
「その代わり、最後に彼女と二人きりで会わせてください」
「分かった。必ず場を整えよう。本当にありがとう」
コゼットのしたことは許せない。
でも、ノクス殿下の縋るような瞳を見てしまったら......冷たく突き放せないのも事実だった。
コゼットに会って何を伝えたいのか、話すのか決めてはいない。
それでも、向き合わなくてはいけない。
過去を乗り越え、前に進むために――
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