4、ざわつく心
ノエルの急な提案に、私は少しだけ戸惑っていた。
「ノエル……急にどうしたの?」
「あー……俺たち、来年には結婚でしょ? 花嫁修行とか、そろそろどうかなーって思って」
「……そうかしら?」
言われてみれば、間違ってはいない。
でも、やっぱり唐突すぎる気がした。
(回帰前、彼はこんなこと言わなかった......)
ノエルの性格を思い返す。いつだって穏やかで、けれど一歩引いた距離感を保っていたはずだ。
それなのに今の彼は、まるで私を見失うことを恐れるように……必死だ。
「......考えておくわ」
「ありがとう。急にごめんね」
そう言って彼は、照れたように笑った。
けれど、その笑顔がどこか――演技のように見えてしまった。
「セレナと一緒に過ごせる時間が増えたらなって、思ったから」
「君が寝込んで、会えない間に……考え込みすぎちゃったみたいだ」
そう言いながら笑うノエル。
声も、表情も、私の知っている彼と同じ。けれど――
(……本当に、同じなの?)
ノエルは優しい。今もそう感じる。
でも、その優しさの中に、何か別の感情が混ざっているような……そんな気がしてならない。
――私は、回帰前に毒殺された。
意識が遠のく寸前、一緒にいたのはノエルだ。
最後に見たのは、ノエルの焦燥に満ちた瞳。
……けれど、犯人はわからない。
そして今、目の前のノエルは、以前と違う様子で私に距離を詰めてくる。
(まさか……ノエルが?)
ありえない、と思いたい。
でも、胸の奥でざわつくこの感情は、きっと無視してはいけない。
「......ひとまず、もうすぐコゼットの誕生パーティーでしょ?」
急に話題を変えたノエルは、ほんの少しだけ目を伏せる。
「その時までに、考えてもらえると嬉しいな」
「......急ね?」
「ふふ、急じゃないよ。……ずっと考えていたことだから」
その言葉は微笑と共に放たれたけれど、妙に静かで――重かった。
その笑顔の奥に、何かが隠れているような気がして――
やっぱり私は、どこか引っかかる感覚を拭いきれなかった。
(ノエル……あなたは、なにを考えているの?)
考えれば考えるほど、彼の言葉の裏を探ってしまう自分がいる。
だけど同時に、私は信じたいとも思っていた。
悪女と言われ、孤立していた私に、変わらず接してくれた彼との日々は、優しい時間だったから。
***
ノエルの「一緒に暮らそう」という言葉が、頭のどこかに引っかかったまま、日々は過ぎていった。
けれど、それ以上に私をざわつかせるのは――もう一つの問題。
――コゼットの誕生パーティー。
それは、回帰前の私が“すべてを失う”きっかけになった日。
(……あのパーティーが、また来る)
義妹コゼットが“精霊の力”を開花させ、会場の賞賛を一身に受けたあの日。
その裏で、私は周囲の冷たい視線に晒されるようになった。
“嫉妬に狂った、公爵家の恥”
“義妹を貶めようとした、哀れな令嬢”――
……だけど、それをすべて否定することは、私にはできなかった。
確かに私は、コゼットに――きれいな感情だけを抱いていたわけではなかったと思う。
彼女の才能、無垢な笑顔、人々から注がれる称賛。
それを見て、心のどこかがざわついたのは覚えている。
(……きっと、私は嫉妬していたんだ)
でも、それだけだったのかは――今でも、わからない。
誰かの言葉に流されていたのか。
それとも、自分の弱さに負けただけなのか。
理由は曖昧で、記憶もぼやけている。
ただ一つ、はっきりしているのは――
気がついた時にはもう、私の立場も、信頼も、すべてが崩れていたということ。
(......みんなが言うように、悪女だったんだわ)
それに、元々私は平民の出身。
公爵家に養女として迎えられはしたけれど、貴族たちの中では“異物”にすぎなかった。
コゼットの眩しいほどの力と、その“正統な血筋”が称賛されるほどに、
私の居場所は、静かに、確実に、狭まっていった。
だからもう――同じ轍は踏まない。
私は二度と、コゼットを傷つけたりしない。
彼女の光を、恨んだりしない。
あの時の私には戻らない。絶対に。
穏やかな午後の光が、静かにカーテン越しに差し込む。
けれど私の胸の中には、かすかな痛みと冷たさが、まだ静かに残っていた。
(……次は、絶対に間違えない)
それだけは、強く、心に誓った。
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