36、本当に……大ッ嫌い
「——うふふ。ごきげんよう、お姉様」
その声は甘やかで、けれど背筋を凍らせるほど冷ややかだった。
コゼットが微笑んだ瞬間、彼女の影が床を這うように広がり、黒い魔力の塊がじわりとその手に宿っていく。
「——っ!」
不意打ちだった。
彼女が手をこちらに向けた瞬間、黒い塊がこちらに向かってくる。
攻撃は鋭く、壁や床を軽く震わせた。
咄嗟に身を引くしかなかったが、逃げ続けるわけにはいかない。
(……負けるわけにはいかない!)
深く息を吸い、精霊たちの力を呼び寄せる。
掌に集めた光の奔流を前へと解き放つと、コゼットの黒い衝撃波をはじき返した。
「コゼット……!」
眩い閃光が弾け、衝撃の余波が部屋を揺らす。
だがコゼットは動じない。魔法壁を瞬時に展開し、受け流しながら冷笑を浮かべていた。
「同じ手は踏まないわ、お姉様?」
その目には余裕と侮蔑が滲んでいる。
セレナは奥歯を噛み、呼吸を整えながら次の一手に備える。
(あの嫌な気配……やっぱり黒魔法……? 力の質が違う。殺意まで帯びてるなんて……!)
張り詰めた空気が二人の間に漂う。
やがてコゼットの瞳が、闇そのもののように深く沈んだ。
「——ふふ、まだ力の全てを出していないのよ」
次の瞬間、冷たい黒霧がセレナを包み込む。
全身がぎしりと硬直し、力が手足に伝わらなくなった。
(え……?身体が……動かない……!)
(力も……、上手く……出せない……!)
束縛。
まるで見えない鎖に絡め取られたかのように、体が沈む。
その隙を逃さず、コゼットの影が音もなく迫る。伸びた指先は、確実にセレナの喉を狙っていた。
「……や、め……っ!」
声を絞り出すが、魔力の枷は容赦なく首を締め上げる。
視界がぐらりと揺れ、呼吸が奪われていく。
(く、くるしい......、このままじゃ......)
脳裏をよぎるのは、彼の横顔。
ノエル——「置いていかない」と誓ったあの人の姿だった。
(私は……まだ死ねない!)
その瞬間、胸の奥から熱が迸った。
身体の内側に眠っていた何かが、烈火のように目を覚ます。
「——はぁっ!」
解き放たれた光が全身を駆け巡り、セレナを包み込む。
轟音とともに眩い閃光が爆ぜ、部屋の空気を震わせた。
「お姉様!?」
爆ぜた光の一部がコゼットの頬をかすめ、鮮血の線を描く。
彼女は思わず頬を押さえ、憎々しげにセレナを睨みつけた。
「......やっぱり、お姉様は覚醒したのですね」
「コゼット......どうしてこんなことを......」
「っは……! 本当に、お姉様は幸せものですわね!」
その瞳には深い憎悪が渦巻いていた。
今日、こうして本気で命を狙われるまで、セレナはどこかでコゼットを信じたい気持ちを捨てきれずにいた。
だが——その目に宿るのは確かな殺意。
吐き捨てるような声。その瞳には、憎悪が渦を巻いていた。
「本当に……大ッ嫌い」
その一言に、セレナの胸は痛烈に締め付けられる。
心のどこかで信じたかった。
平民から公爵家に迎えられ、不安で震えていた私に、コゼットは優しい笑顔を向けてくれた。
あの日の手の温もりも、笑顔も、すべて嘘だったの?
(……あの笑顔さえ、私を欺くための仮面だったの……?)
回帰前の私は、盲目的にコゼットを信じていた。
だって、あの時助けられたことだけは紛れもない事実だったから。
だから最後まで気付かずに——殺された。
今ならわかる。
彼女はもう、敵だ。
私は戦わなければならない。
たとえ心が裂けるほど痛んでも。
次回、さらに爆弾投下します。
お楽しみに。




