28、ひとりにして、ごめんね
私はしばらく、ノエルの胸元で泣いていた。
いつの間にか馬車は止まっていたらしい。
でも、ノエルは私が落ち着くまで、一言も発さず、ただ静かに抱きしめてくれていた。
その優しさに、また涙が溢れそうになる。
そして、彼の体温と穏やかな鼓動に包まれながら、ようやく呼吸が整っていった。
「……ノエル、ありがとう」
「もう大丈夫?」
「うん」
「よかった......」
低く安らかな声とともに、背を撫でる手がぽんぽんと優しくリズムを刻む。
そのぬくもりに、不思議と心が落ち着いていった。
「じゃあ、戻ろうか」
耳元に落とされた囁きに、自然と肩の力が抜ける。
「まずは屋敷で整えて......夜にまた話そう。君と話したいことが、まだたくさんあるから」
「......うん」
屋敷に戻り、食事や入浴を済ませると、あっという間に夜は深くなった。
私は寝室のソファに腰を下ろし、両手を組んで膝の上に置いたまま、じっと扉を見つめていた。
静かな部屋には、ランプの灯りが柔らかに揺れている。
外から差し込む月明かりと混じり合い、どこか夢の中のようにぼんやりとしていた。
ノエルが記憶を持っている。
そう確信してから迎える夜は、どうしてか落ち着かない。
昼間、あんなふうに泣きじゃくってしまった。
子どもみたいに、彼に縋ってしまった。
思い出すと恥ずかしくてけれど――あのとき、確かに救われたのも事実だった。
コツリ、と廊下から足音が響く。
私の心臓も、それに合わせるように跳ね上がった。
やがて扉が静かに開き、ノエルが姿を現す。
ランプの光が彼の横顔を照らし、夜の静けさが一層深くなる。
「……お待たせ」
低く、穏やかな声。
でもその声の奥には、何か決意めいたものが混ざっている。
ノエルは静かに部屋に入り、私の隣に腰を下ろす。
そして、その手が頬をそっと支える。
「……もう、泣いてない?」
その言葉に、胸がどきりと跳ねた。
「う、うん……」
視線を逸らせずに答えると、ノエルは小さく息を吐き、頬から手を滑らせて私の手を握る。
紅い瞳はただ真っ直ぐで、酷く優しかった。
「......よかった。俺にとってセレナの笑顔が、いちばんだから」
その一言に、胸の奥が熱を帯びる。
涙が再び込み上げるけれど、今度は悲しみだけじゃない。
心を満たすような、温かな涙。
「……ノエル」
ぎゅっと彼の手を握り返す。心臓が高鳴る。
「......もう、セレナを二度と――失いたくない」
懇願するようなその眼差しに、息が詰まる。
あの日、私が目の前で毒殺された瞬間を、この人は確かに見ていたのだ。
胸が苦しくなる。
一瞬でも、彼を疑った過去が申し訳なくなる。
私を殺したのは、ノエルじゃない。
目の前の彼が嘘をついているのなら――私はもう、誰も信じられない。
私はノエルにそっと身を寄せ、背に手を回した。
一瞬、彼の肩が小さく揺れた。
今、私が彼に伝えたいことは――
――ぽつり。
一筋の涙が頬を伝う。
あの時の孤独を思えば思うほど、胸が締め付けられる。
「……ごめんね。ひとりにして」
涙に滲む声を受けて、ノエルの腕がさらに強く私を抱き寄せた。
ふたりの心が、確かに重なった。
そんな夜だった。
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