38、ふたりの家へ
部屋には、もうノエルと私だけが残された。
扉が閉まる音が遠のくと、急に静寂が満ちて――
その静けさが、胸の奥に溜め込んでいたものを、一気に溢れさせた。
ノエルと目が合う。
ほんの一瞬、それだけで視界が滲んだ。
「……ノエル」
「セレナ……」
名を呼び合った瞬間、互いの身体が吸い寄せられるように近づき、次の瞬間には、強く抱きしめ合っていた。
離れたくなかった。
本当に――二度と。
「ノエル……っ、あなたが……ずっと目を覚まさなくて……もしこのまま戻ってこなかったらって……わたし……」
言葉がうまく繋がらず、涙の方が先にこぼれる。
ノエルは私の背中を大きな手で、確かめるようにゆっくり撫でた。
「……大丈夫。ごめんね……こんな思い、させちゃって」
低い声が震えていた。
あのノエルが震えている――それだけで胸が締めつけられる。
「声は……ちゃんと聞こえてたんだよ、セレナの声。だから、戻って来られた」
「……っ、ノエル……」
彼の胸元をきゅっと掴む。
その温度が、夢でも幻でもないと教えてくれた。
やっと、帰ってきた。
ノエルは私の頬を包み込み、安心したようにふっと息を吐く。
「さあ、帰ろう。俺たちの家に。――もう、離れないから」
言いながら、そっと手を差し伸べてくる。
その仕草すら懐かしくて、胸がいっぱいになる。
手を握り返した瞬間、ノエルが少しだけ拗ねたように眉を寄せた。
「でもさ……セレナ。殿下にあんなにくっつく必要、ほんとにあった?」
「助けるのに必死だったのよ……」
「……わかってるけど、嫉妬くらいさせてよ」
小さな声で呟くノエル。
その不器用な愛情に、思わずくすっと笑ってしまう。
――ああ、こんなにも愛おしい人が、今ここにいる。
彼の手をぎゅっと握りしめ、涙の跡を光に溶かしながら、
私たちは並んで部屋を後にした。
王宮の廊下。歩いているだけなのに、手の温かさがやけに強く感じられる。
「……ねえ、セレナ」
不意に呼ばれ、見上げると――
ノエルは、まるで私の姿を確かめるようにじっと見つめていた。
「……本当に、生きててよかった」
その言い方があまりに真っ直ぐで、胸が詰まる。
「ノエル……」
「目を開けたら、君がいなくて。王宮に向かったって聞いて……追いつけなかったらどうしようって、正直焦った」
いつもと変わらない口調なのに、声の奥に、かすかな震えがあった。
触れた指も、わずかに震えていた。
強いはずのこの人が、こんなにも――私のことで震えている。
「そんな顔、しないで……私はここにいるよ。ほら」
私は繋いだ手にぎゅっと力を込める。
するとノエルは一瞬動きを止め、ふっと表情を緩めた。
「……そうだね。セレナは俺のだもんね」
低く囁かれた声が、胸の奥を甘く痺れさせる。
「ちょ、ちょっと……王宮の廊下でそんなこと言わないでよ」
「別にいいよ。全員に知らしめたい気分だし」
「ノエルっ……!」
頬が熱くなるのを感じながらも、どこか嬉しかった。
そんな私を見て、ノエルはますます満足げに微笑む。
「早く帰ろう。……帰ったら、ちゃんと抱きしめ直したい」
その言葉は、ただの甘い誘いじゃなかった。
長い不安の時間を経て、ようやく交わす“生存の確認”のような――切実な響きがあった。
「……うん。帰りたい。あなたのところへ」
そっと寄り添うと、ノエルは歩幅を私に合わせながら、
まるで一瞬たりとも離したくないと言うように、手を離さなかった。
王宮の扉が閉じた瞬間、ノエルは私の手をそっと胸に引き寄せ、囁いた。
「……もう離さない。行こうか、セレナ」
その声だけで、世界が満ちていくのを感じた。
次回、ノエル視点。
残り4話!




