37、もう少し早く……出会えていたら
しゃがみ込んだルシアン殿下は、肩を震わせていた。
床には短剣が転がり、もう武器はない。
私はゆっくりと殿下へ歩み寄る。
殿下は、顔を挙げ、表情を歪ませた。
「……くそ」
低く漏れた声は、剥き出しの悔しさそのものだった。
握りしめた拳の周囲に、黒い靄がじわりと集まり始める。
(黒魔法……。まだ戦おうとしている――)
ノエルの剣がかすかに上がるのが分かった。
それでも私は、足を止めなかった。
(この人を……見捨てたくない)
怖くなかったわけじゃない。けれど――この人は、今、誰かの手で止めてあげなければ壊れてしまう。そう思った。
逃げたらきっと、一生後悔する。だから――行くの。
殿下が手を突き出した、その瞬間。
私は手にぐっと力を込めた。そのまま、光を纏わせて――殿下を抱きしめた。
「――セレナッ!?」
ノエルの叫びが背後で響く。
同時に、黒い闇が私の光に触れ、ぱちんと音を立てて弾け散った。
殿下の呼吸が大きく乱れる。
「な……何を……して……」
私は背中を、そっと撫でた。
黒い靄が、痛みを吸うように薄れていく。
私は殿下から話を聞いて、この部屋を見て確信した。
やっぱり、この人は――。
「殿下。あなたは……ただ、救いたかっただけなんですよね」
殿下の身体がぴくりと震えた。
「……っ」
「母君を助けられなかった悔しさを抱えたまま、ずっと苦しんでこられた。二度と誰も、あなたのように泣くことがない国にしたかった――それだけなんですよね」
トントンとまるであやすように背を撫で続けた。
殿下の拳から力が抜けた。
黒い靄が霧散し、腕がすとんと落ちる。
黒魔法が完全に霧散する。
「……夫人、僕は……でも……」
震える声は、まるで迷子の子どものように弱かった。
”精霊の加護に縋りつき、自分の足で立つことをやめた国”
殿下の言っていることは、きっと正しい。
だけど、その根底にあるのは……きっと母君を救えなかった自分自身への、怒りなのかもしれない。
抱きしめる腕に力を込め、私はその瞳をまっすぐ見つめる。
「殿下、あなたの願いは間違っていません。ですが――やり方は、間違えています」
きっぱりと告げる。
殿下の目が大きく見開かれた。
「死によって感じた悔しさを、死で返したら――何も変わりません。新たな悲劇を生むだけ」
「正直、殿下の思いを聞くまで考えもしませんでした。私にとって精霊は身近で、当たり前だったから。疑問を持つことすら、なかったのです」
息をひとつ、深く吸い込んだ。
「ですが、殿下の思いを聞いて、私も変えたくなりました――この国を」
「......夫人」
殿下が私の服を力なく、きゅっと摘んだ。
「殿下......あなたの言葉には、人を動かす力があります。ただ、皆に訴え続ければ良かったのです。本当は優しい人なのに――何故、こんな方法を選んでしまったのですか」
殿下はまるで毒気が抜けたように頼りなかった。
「......はは、そうだね......俺は、馬鹿だな」
自嘲するように笑ったその時。
「――ルシアン」
静かな声が部屋へ届く。
振り向けば、ノクス殿下が立っていた。
「兄上......」
「全部、聞いていた。……なぜ一人で抱えたんだ」
ルシアン殿下は唇を噛み、俯いた。
ノクス殿下は苦渋の色を浮かべながらも告げる。
「だが、王族として……お前を裁かねばならない。来てくれるな?」
「......はい」
二人が歩き出す直前、ルシアン殿下はぴたりと足を止め、振り返った。二人が歩き出す直前、ルシアン殿下はぴたりと足を止め、振り返った。
「――ごめんね。二人とも」
いつの間にか隣に来ていたノエルが、口を開く。
「殿下......俺は、殿下のことを許しません。ですが――その意思はしっかりと受け取りましたよ」
私もノエルに続き、殿下の目を真っ直ぐに捉える。
「殿下の願いは、きっと無駄にはしません」
ルシアン殿下は、儚いほど優しい笑みを浮かべた。
「……ああ、もう少し早く……君たちと出会えていたら」
そう呟き、静かに連れて行かれた。
残された部屋には、黒魔法の気配はもう無くなっていた。
ただ静かで温かな光だけが満ちていた。
あと5〜7話目完結予定!
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