35、精霊は、この国を殺すんだよ(sideルシアン)
僕はヴァルディア国王と、地位の低い王宮メイドの間に生まれた妾腹の子だった。
五歳までは、母と一緒に宮中で過ごせていた。
だけどある日、ふと気づいたのだ。
使用人たちの笑顔の奥にある、冷たいものに。
だんだんと自身の置かれる状況、立場を理解するようになった。
僕たち親子は――邪魔なのだと。
父はよくも悪くも関心が低かった。
唯一、兄であるノクス・ヴァルディア第一王子だけは公平だった。特別優しくはなかったけど、僕を「王子」として扱ってくれていたと思う。
六歳の時、とうとう母と引き離された。
王妃にとっても邪魔だったのだろう。
母を失った王宮生活は、静かで、冷たくて、息苦しかった。
僕にとって母という存在は心の支えであったと、実感した。
僕という存在が、誰にとっても「いない方がいいもの」だと、子どもながらに理解できた。
僕という存在が、都合の悪い人々にとって、これが狙いだったのだと思う。
十歳の頃、遠くの地で過ごしていた母が流行病に倒れる。
治療法のない病――医術も追いつかない病気だった。
それでも僕は会いに行った。
感染の恐れなんてどうでもよかった。
久しぶりの母は、すっかりと痩せ細っていた。
「ルシアン……大きくなったのね……」
掠れた声でそう言われた時、胸が壊れそうになった。
「僕がいるから。大丈夫だよ、お母様……」
けれどその願いも虚しく、数日後、母は静かに息を引き取った。
母だけじゃない。
その土地では、流行病が人々を次々と奪っていった。
国では“加護の揺らぎ”が囁かれていた。
先代の精霊使いが亡くなってから数十年。
次の精霊使いはまだ現れていない。
加護は続いているが、精霊の使いが不在な為、その力は明らかに弱まっていた。
そんな混乱の中で、民の嘆きを聞いた。
「精霊使いさえいれば……」
「精霊の加護がもっとあれば、皆助かったのに……」
――まるで、“助からなかったこと”を精霊のせいにしているようだった。
あまりにも、理不尽だった。
なぜ誰も、人の手で治そうとしなかった?
なぜ『加護が弱い』と嘆くだけで、何も変えようとしない?
精霊の恩恵がある国。
だけどそのせいで、医療も技術も他の国より遅れている。
考えることをしないのか?
加護が減ったとなれば諦め、人はただ死んでいく。
そんな空気が、ただただ――不快だった。
(……気持ち悪い)
胸の奥で、静かに何かがねじ切れた。
〈精霊がいなければ、人はもっと強くなれたはずだ〉
〈精霊に寄りかかったせいで、守れた命が死んでいった〉
怒りでも悲しみでもない。
もっと冷たい、もっと深い何かが僕の中に落ちていった。
その日、僕は決めた。
――精霊という存在を、この世から消す。
それが、唯一の“正しさ”だと。
あの日、母の手が冷たくなっていくのを見ながら、僕は確信したのだ。
だけど、僕は幼い。力もない。
まずは王宮で力を得よう。
精霊なんてものが、この国を甘えさせ、弱らせている。
誰も考えず、誰も救わず、ただ「加護がないから」と嘆くだけの世界。
そんなものに未来はない。
だから僕が壊す。
甘えを、依存を、過ちを。
あの時の僕を、あの時の母を、二度と生まれさせないために。
胸の奥の闇が静かに、確実に、今の僕を形作っている。
そして――。
「……これで、理解できた?」
目前の女が息を呑む。
セレナ・アストリッド公爵夫人。
精霊使いとして、この世界そのものに愛されている女が。
ふっと、笑みがこぼれた。
「君がどう言おうと、僕の結論は変わらないよ。精霊は、この国を殺すんだ」
氷のような声が、執務室に落ちた。
セレナは沈黙したまま――ただ強く、彼を見返していた。
その人にとっての正義なのです。




