表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山縣有朋は愛されたい  作者: 親交の日


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

110/120

三度目の訪英は……

 






 ――――――




 年が明けて新年を祝う正月気分が抜けないまま日英同盟が成立して祝賀ムードへと移行。さながら毎日がお祭りといった感じだ。


 私個人としては天覧飛行の成功により軍事予算に航空団創設に伴う修正を施し、これが可決されたことに満足している。予備費や事業の繰り延べなどで創設はしたものの、そういうのは緊急時の非常手段。やはり議会がある以上はそれを通さなければならない。幸い、与党である政友会が賛成多数で通してくれた。


「ふう。これで会期末まで枕を高くして眠れるな」


「我々としても満足しています」


 そう言うのは内相にスライドしていた原敬。史実では一度も閣僚の交代がなかった第二次山縣内閣だが、現世では二度の内閣改造を行っている。憲政党員の組み入れ、星亨の暗殺と政友会の成立に伴う改造だ。……全部政党が絡んでるな。


 ともあれ、政友会の発足と同時に自由党系の旗頭であった板垣が引退することに。別に閣僚を続けてくれても良かったのだが、本人は一切の公職を辞すとして辞めていった。これに伴って内閣改造が行われ原を内相に、空いた農商務相には政友会の西園寺公望を登用。星亨の後釜に林有造をあてて逓相とするというような改造をした。ついでに胃癌が発覚して体調を崩していた信吾に代わって芳川顕正を文相に再起用している(残念ながら夏に信吾は死んでしまう)。


 憲政党や政友会に翻弄された面もありつつ、なんだかんだ円満な関係を構築できた。一方の意思を押し通すのではなく上手いこと妥協をする。これが政治では大事なのだと感じた。今回の予算修正でも支持の見返りとしてインフラ事業をいくつか呑むことになったが許容範囲だ。


「これからは井上さんをよく支えてくれ」


 原は井上新内閣でも引き続き内相を務めることになっている。井上も政友会との距離は近いが、影響力という点を見れば伊藤独裁体制とはいえど閣僚であり幹部でもある原の方が強い。星亨の党内基盤を継承したというのもある。さらには俊輔がやる気をなくし、伊藤系の党員は勢力を落としていた。しかし原は松田正久をはじめとした党人派とも関係を築いており、俊輔の力に頼らなくとも党に影響を及ぼせた。


 井上内閣を支えるのは原の政治力になるだろう。なぜなら井上は長州閥という以外に政治的な基盤を持たないからだ。私や俊輔は官僚の面倒を見て子分を大量に従えている。さらには天皇との関係に私なら主に貴族院、俊輔は政友会(衆議院)といった感じで影響力を持っていた。


 しかし井上にはそれがない。彼はこれまで仲介者として振る舞ってきた。これだと見込んだ人物を私や俊輔に紹介する。それゆえに財界を中心に顔は広いが人々の支持を集めているわけではない。


 もちろん私も俊輔も井上を支えるが、人を使う以上は限界もある。無理に従わせようとすれば離反されてしまう。これは当たり前の話で、派閥に属していることで恩恵を受けるから相応の負担を甘受する。そのバランスが壊れたら他所へ行くのは不思議なことではない。この辺はかなりドライだ。


 そんな事情もあり、最後に頼るのは原になる。原も井上には恩がある(職を世話してもらったり上司部下として重用されたりした)ことから快く引き受けてくれた。


「これで安心して渡英できるな」


 私が組閣したのは天皇が長期安定政権を望んだから。その役割は十分果たせたと思う。辞意を漏らしたときも花道を飾れと言われただけだった。引き留められなかったからこの評価は自惚れではないだろう。


 じゃあミッション達成したんでさよなら、というわけにもいかない。天皇は政情の安定を望んでいる。主君が望むことを実現するのが臣下の務め。後継内閣も安定するよう気を配るべきだ。……俊輔がやる気をなくしたのには参ったが。


「今回は英国の国王陛下からの招待でしたか?」


「ああ。先方――エドワード七世陛下がどうしてもと」


 まさかの指名であった。日英同盟を締結したので両国親善のため私を指名して訪英を求めてきたのだ。現職の首相に招待というのはあまり例がないが、からくりがわかった。ジョニーである。


 友人であるジョニーとは文通している。現代的な感覚でいえば友達にラインを送るようなもの。ある日に書いた手紙でようやく首相を辞められそうだ、と書き送った。天皇に辞意を漏らした後のこと。開放感がそうさせたのだろう。それがすべての始まりだった。


 話は変わるが、今回のキーマンであるエドワード七世の話をしよう。エドワード七世は先代のヴィクトリア女王の後を継いで王になった。1901年のことである。チャールズ三世に更新されるまで歴代最長の皇太子プリンス・オブ・ウェールズであった。即位後は日本、ロシア、フランスと友好関係を築いて第一次世界大戦の協商国陣営の形成に大きく寄与した。そのことからピースメーカーとの異名をとっている。


 大英帝国に相応しい有能な王様なのだが、皇太子時代はかなりのやんちゃをしていて、即位したときは英国史上最大の愚王になるのでは? と危惧されていた。その「やんちゃ」とは主に女性関係で、ほぼ公式の愛人ロイヤル・ミストレスが三人いて娼婦を除いても百一人と関係を持ったとか。さらにはフランスの高級娼館にエドワード七世用に誂えた部屋が用意されるほどの常連客だった。


 こんなことをしているので、その浮名は国内外に流れていた。ジョニーもまた遊び人であり、エドワード七世が「やんちゃ」をしていたときに知り合ったそうだ。それから個人的な付き合いが続いているらしい。


 面白い東洋人がいる


 私が何をやったか会う度に話していたらしく、エドワード七世も興味を持つに至った。私はまったく意識していなかったが、自動車に注目したことも興味を引く一因となっていた。というのもこの王様、自動車に関心を持っているらしく、私を同志と思ったようだ。


 そしてトドメが飛行機の開発だ。去年の天覧飛行で公式にはお披露目となったが、琵琶湖で◯人間コンテストしている時代から世間にも知られていた。もちろんジョニーにも。これで完全にロックオンされ、エドワード七世から招待が届いたという次第。


 なんだ、ほぼ自業自得じゃないか。


 半ば諦観を覚えながら渡英を決めた。八月に戴冠式が行われるのでそれに合わせてあちらへ行く。あとジョニーは見つけ次第、一発殴ってやる。なんで王様と知り合いなんだよ。


 思わず愚痴ると原は曖昧に笑って頑張ってください、と激励された。


 日ごろの政務に加えて引き継ぎの準備など多忙な日々を過ごしつつ、議会は平穏無事に日程を消化。予算成立と閉会を見届けると私は内閣総辞職する。大命は予定通り井上に降り、年度が改まると同時に新内閣が発足した。


 総理大臣 井上馨

 内務大臣 原敬

 外務大臣 小村寿太郎

 大蔵大臣 渡辺国武

 軍務大臣 山本権兵衛

 司法大臣 松田正久

 文部大臣 西園寺公望

 農商務大臣 芳川顕正

 逓信大臣 林有造


 井上内閣は以上のようなメンバーだ。初入閣は小村と山本。小村は北清事変での活躍を買われて、山本は桂の任期が長かったので交代での入閣である。内閣人事ではないが、陸軍部長には川上操六大将、参謀長には児玉源太郎中将が就任した。


 弾き出される形となった桂の処遇もちゃんと考えている。日清戦後の軍拡によって師団数が近衛も含む八個師団から十三個師団強に増えていた。それに伴って軍の組織も改編され、従来の方面隊も師団の増設に伴って再編される。すなわち、


 北部方面隊(北海道、東北)は第二師団(仙台)、第七師団(旭川)、第八師団(弘前)


 東部方面隊(関東、東海、甲信越)は第一師団(東京)、第三師団(名古屋)、第九師団(金沢)


 西部方面隊(近畿、中国)は第四師団(大阪)、第五師団(広島)、第十師団(姫路)


 南部方面隊(九州、四国)は第六師団(熊本)、第十一師団(善通寺)、第十二師団(小倉)


 という構成になった。桂は大将に昇進の上、東部方面隊の司令官に就任する。管轄地域が広く東京を所管し、鎮台以来の師団を二個抱える重要な方面隊だ(近衛師団や方面隊に属さない特科隊は参謀本部直轄)。


「帝都守護を任せられるのは君しかいない」


 天皇を除けば軍務省をトップにした体制なので方面隊司令官といえども降格人事となる。しかし名誉で以てそれを補う形だ。さもなくば補職するポストがないので予備役まっしぐらである。桂もそれがわかっているから抵抗なく受け入れてくれた。東京にいられるから政治的な動きはとりやすいだろう。私の後継者だが、近くでやり方を見ていたためか政党に興味を持ったらしい。桂を党首とした新党が現世では見られるかもと個人的にワクワクしている。


 自分の派閥は桂に託す一方、内政全般については俊輔に任せる。井上内閣をしっかり後見してほしい。判断に迷ったときは他の元老――特に隠居している大久保を頼るように言う。ほとんど政治に口出ししてこなくなったが、未だ絶大な影響力を誇っている。天皇を介して影響力を行使することにはなるだろうが、史実で俊輔が散々やってきた手だ。お手のものだろう。


 こうして後事を託し終えるとイギリスへ向けて旅立った。今回も桜花丸に乗っていく。今回も海が同行している。晩餐会などもあるからパートナーが必要だ。倉屋としての活動もあるし、何よりイギリスには長男の誠もいる。イギリス行きの話をしたら食い気味に同行を願われた。


 水無子も同行したがっていたが、私たちがいない間の会社のことは誰が見るのと海に一喝されて断念している。最初は雑用や秘書という感じで海の娘として愛されつつも早く嫁に行けばいいのに、みたいな声もあった。しかし映画事業を始めるにあたって新しいコンテンツは若い世代に、という私のひと言から水無子が責任者に抜擢される。私の助言と何より本人の努力によってヒット作を連発して成功を収め、最近では経営に大きく関与するように。海も自分の後継者にしたいと思っているようだ。居残り指令は期待の表れなのである。水無子もわかっているらしく最終的に受け入れた。


 我が子の成長は喜ばしいことだが一点だけ不満がある。私のところへ飛び火してきたことだ。仕組んだのは水無子。映画事業は娯楽の少ないこの時代にあって文明的な娯楽として人気を博した。船内だけではなく機械を陸上に持ち込んで上映会を開くほどである。あまりに儲かるので専用の施設――映画館を建てようとなるほどだ。


 大成功した事業ということで必然的にその仕掛け人に注目が集まる。新聞のインタビューを受けた水無子は記者から次々とヒット作を生み出す秘訣は? と問われた。ここで当たり障りのない答えを返せばいいものを、あろうことか彼女は私が入れ知恵をしてくれるからですと答えたのだ。新聞読んでびっくりしたわ。


 映画で大人気なのはお笑い。前世のお笑い番組から視覚的に笑えるネタをピックアップして水無子に渡していた。そんな事情も手伝って、知り合いからひとつネタを披露してくれなんて軽口が飛ぶようになる始末。


 耐えかねた私はさらに転嫁した。日清戦争のときの余興で披露されたものを脚色した、と言ってかつて第一軍に所属していた数万の兵士たちに投げたのである。余興のことは復員した兵士たちが自慢話として吹聴して回っているので人々のよく知るところ。なるほど、と納得を得て九死に一生を得た。お笑い芸人でもないのになぜ延々とギャグをやらねばならんのだ。


 ともあれ、お留守番は悪いことした娘への罰でもある。そう思い愛娘を日本に残してイギリスへと旅立った。


「イギリスへようこそ」


「やあジョニー。久しぶりだな」


 港では軍隊を出して歓迎された。国王からの招待を受けての訪英であり、同盟国の前首相ということもあるのだろう。待遇は国賓級だ。出迎えはもちろん(?)ジョニー。再会を祝して堅い堅い、それはそれはかた〜い握手を交わす。


「……アリー? 痛いんだけど」


「再会に喜びすぎてつい力が入ったみたいだ。すまんすまん」


 あはは、と笑う。もちろんわざと。こんな大事にしてくれた報いだ。彼も何となく察したらしく少し抗議しただけでそれ以上は言わなかった。


「ご婦人も相変わらずお美しい」


「あら、ありがとう」


 海とも挨拶。かつては良くも悪くも地方出身の町娘といった感じだったが、今では品格による美しさを備えた都会のマダムといった印象だ。


 日本は近代化を志して西洋化が進展した。その過程で社交界(会)なんて文化も流入。上流階級は社交のマナーなんかも習得する。華族制度が発足すると我が山縣家も伯爵ついで侯爵となり、それ相応の振る舞いというものを求められるようになった。海はそれに適応して見せたのだから大したものである。付け焼き刃ではなく、ジョニーたちイギリス人から見ても彼らと遜色ない立ち居振る舞いというものを身につけていた。正しく「貴婦人」である。


「お疲れ様です」


「誠か。元気そうで何よりだ」


「久しぶりね」


 イギリスへ留学中の誠も出迎えてくれた。私は軽く挨拶しただけだったが、息子を溺愛する海は光の速さで抱きしめる。人前だからやめてくれと言う息子の抗議は無視。こっちを見て助けを求めてくるが気づかないふりをした。諦めろ。


 海が満足したところで移動する。ジョニーの案内を受けてイギリス日本公使館へ。滞在中の宿泊先だ。今日はここで一泊し、翌日にエドワード七世に謁見することになっていた。到着の挨拶というやつである。


 積もる話もあったが、その日は林公使にエドワード七世の人柄であったり、失礼のないよう儀礼を確認するなど明日の準備に費やした。そして翌日。軍人なので大礼服ではなく正装をする。各種の勲章をじゃらじゃらつけているので結構重い。これでしばらく過ごすのかと憂鬱になりながらバッキンガム宮殿へ。


「よくぞ参られた」


「はっ。陛下に拝謁できる栄誉を賜り感謝します」


「貴公の話は知人から予々聞いている」


 そんな挨拶から始まり晩餐会でもてなされる。招待客の中にはかつて日本を訪れたときに会ったエドワード・ジェームス・リードもいた。今は自由党所属の庶民院議員をしている。目が合うと反応してくれた。


 主賓であるため挨拶をしなければならず、私は無難に日英同盟の締結を祝う。また俊輔たちが幕藩体制下でイギリスに留学したという話もする。ただ、日英同盟の狙いである対ロシアについて直接の言及はしなかった。イギリス王室とロシア皇室は近い縁戚関係(王妃と前皇后が姉妹で王と皇帝は伯父と甥)にあることへの配慮だ。


 一方のエドワード七世は私を盛大に持ち上げる。


「今夜のゲストである山縣侯とご婦人は先日、同盟国である日本で飛行機を開発し、日本国皇帝陛下の前で飛んでいる姿を見せたと駐日公使から報告があった。世界初の快挙だ! このような名誉ある人物をゲストとして招くことができて大変喜ばしい」


 とまあパフォーマンスを込みだろうが褒め殺しにされた。相手のいいことを言うのはこういう舞台での挨拶の定番だからある程度の覚悟はしていたが、ここまでとは想定外である。しかしこれだけでは終わらない。


「近く戴冠式があるが、それを記念して山縣侯は祝賀飛行を企画してくれた。日本から指折りのパイロットを連れてきてくれたそうだ」


 そのとき、イギリスの侍従に連れられて前に出る人物がひとり。私と同様に軍人の正装姿だ。


「日野中尉。日本国皇帝陛下の御前で飛行したパイロットだ」


 会場からおおーっ、と声が上がる。さすがの日野もこれだけアウェーの環境だと萎縮しているようで表情が硬い。珍しい姿を見た。訪英には祝賀飛行のため二宮をはじめとした倉屋のエンジニアたちも連れてきている。彼らへのいい土産話ができたな。


 晩餐会では主に国王夫妻と会話。誠のこともジョニーを通じて知っていたらしい。まあ、イギリスでの世話を頼んでいたのがジョニーだから、国王と繋がりがあるなら伝わっていても不思議ではないか。


「山縣侯は他に子どもはいるのか?」


「はい。誠の上に娘がひとり、下に息子が二人おります」


「奇遇だな。余も四人だ」


 とジョージ(後のジョージ五世)以下の子どもたちを紹介される。ただエドワード七世の言葉は嘘だ。本当は六人の子どもがいる――いや、いた。ただ長男は病死し、三男も夭逝しているため四人なのである。特に後継者になるはずだった長男の死はその悲しみも深く、代われるなら代わってやりたかったと嘆いていた。しかし本人が触れないならこちらも触れないでおく。


 家族の話をきっかけに会話が弾む。子どもたちは何をしているのかと訊ねられたので、長女の水無子が会社経営、次男の明が官僚、三男の治が海軍士官だと答えた。面白いことにエドワード七世の次女ヴィクトリアも独身であった。だがそれ以上に国王の心を捉えたのは治が海軍士官であること。


「海軍! それはいい」


 エドワード七世は海軍こそ男子にとって最高の教育の場という哲学を持ち、息子たちを海軍に入隊させていた。従軍中に乗艦が極東に派遣されて日本も訪問している。そのとき彫ったという刺青も後で見せてくれた。随分とエンジョイしていた様子で。


 追加情報として治がイギリス製の軍艦(伊勢)に乗り組んでいることを伝えると更に機嫌がよくなった。また、日本がイギリスに大量の軍艦を注文してくれたことにも感謝された。主力艦の一切を注文したのだ。さぞかし大儲けしたことだろう。だがそれだけではない。


「独創的な設計と戦術も貴公が考えたものだと聞いている。日清戦争では陸戦で大活躍されたが、海戦にも造詣が深いようだ」


 衝角攻撃なしの砲雷撃戦で海戦を戦うというのは当時としては非常識。当時は随分と嘲笑されたものだが結果を出すとこの通り掌を返す。現実をちゃんと直視するのはさすがだ。


 さらに私のことをよく調べていたようで、イギリス対して主に工業分野で様々な投資をしていることにも感謝された。特にロンドンの主要な造船会社のひとつであったサミューダ・ブラザーズの買収である。買い手がつかず閉鎖の危機にあったが、ホワイトナイトとしてサンライズ社(倉屋のイギリス法人)が買収していた。まあロンドンには早々に見切りをつけ、スコットランドのグラスゴーへと順次機能を移転させている最中なのだが。


 ちなみにこの動きをするのは本来ならヤーロウ・シップビルダーズである。しかし現世ではお先に失礼させてもらった。日本でいえば東京で造船しているようなものだ。土地も人件費も資材も高く不経済だから移転は当然といえた。建造した船は様々な国に売却していたが、最大の顧客はシェルだ。サンライズ社はシェルが発足して以来、株式を買うなどして資金提供していた。その縁で石油を輸送するためのタンカーを受注している。


 シェルに対しては創業時から投資していたおかげで狙い通り、石油利権に食い込むことができた。油田の生産量のうち一割ほどを優先販売してくれることに。航空機の実用化に先駆けて日本でも新潟や秋田でシェルの技術支援を受けつつ石油採掘を事業化していた。ここでノウハウを蓄積し、いずれは中東あたりの油田開発に食い込みたいところだ。


「飛行機の完成もイギリスから数多くの部品を輸入したからです。いわば飛行機は英日両国の共同製作ともいえます」


 倉屋の経営においてイギリスは欠かすことのできない存在だ。やはり日欧の技術的な格差は大きく、イギリスで先端技術を研究して製品に反映するということをしている。今もエンジンの高出力化であったり、商船の積載量増加のため船舶用ディーゼルエンジンの開発であったりとイギリスで様々な技術へ投資をしていた。


「そうかそうか」


 エドワード七世はそれを聞いて満足そうだ。今後も日英の関係を深めていこうと話を締めた。










「面白かった」


「続きが気になる」


と思ったら、ブックマークをお願いします。


また、下の☆☆☆☆☆から、作品への評価もお願いいたします。面白ければ☆5つ、面白くなければ☆1つ。正直な感想で構いません。


何卒よろしくお願いいたします。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
伊藤との関係もそうですけど、この物語の山縣なら桂や原と拗れなそうなのが安心感あっていいです。
2025/12/12 15:07 ライスペーパー
あ、なるほど、この世界なら桂率いる立憲同志会みたいなものが見られるかもしれないのか。頭の血栓に気を付けてくれよ巨頭公!!(癌は無理だけど)
2025/12/06 20:45 パガン・ミン
史実よりも柔軟な思考が出来るようになった桂は強いと思う(小並感) 桂園推しカプだから活躍に期待
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ