天覧飛行
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井上馨に内閣を引き継ぐ前、まだ明治三十四年の十二月のこと。私は馬車に揺られていた。しかも天皇と一緒に。
「ようやくだぞ山縣」
「お待たせして申し訳ありません。やっとお見せできるものになりましたので……」
天皇はワクワクを隠さない。私が変なことをしているのは上流階級では有名な話だ。立見が「道楽将軍」などとあだ名されているが、私も私で「好き者」なんて呼ばれ方をしている。
そんな私が熱心にやっているのが航空機開発だ。琵琶湖に櫓を建てて人力飛行機を飛ばしたが、あれから機械動力による飛行に進化していた。ようやく機体を飛ばせるくらいの馬力を持つ小型エンジンが完成したのである。忙しいベンツを札束で殴って作らせた。九気筒の空冷ロータリーレシプロエンジン(回転式エンジン)で出力は五十馬力。後世の航空機エンジンからすれば玩具同然だが、この時代では極めて先進的な代物だ。
エンジンが日本に届く前に寸法などは連絡がきていたのでそれを元に機体を製作。ちゃんと飛ぶことを琵琶湖の試験場で確認した上でエンジンを取り付けた。試験飛行には立ち会いたかったが、どうしても予定が合わずに断念。ただ結果は極めて良好とのことだった。
琵琶湖での実験は新聞報道されたこともあって天皇も知っており、前々から見たい見たいとせがまれていた。ただ、足漕ぎ式の飛行機を天覧にというのは違うなと思っており、お見せできるほどのものでは……と断り続けていたという経緯がある。見たかったものが見れるとあって天皇のテンションが高い。
会場は青山練兵場。現代では国立競技場が建つ場所も明治の昔は軍の演習場だった。天覧飛行を行うということで機材と人員をそこに待機させている。また滑走路の整備のために東京にいる第一連隊が駆り出されていた。
馬車は近衛師団の騎兵隊に護衛されつつ練兵場内へ入る。まずは飛行機を見てもらってから関係者と少し会話。そして天覧飛行に移るという流れだ。天覧ゆえに大掛かりな準備がなされたため、噂は既に東京を駆け巡っていた。新聞記者は無論のこと、外国の公使や駐在武官が挙って見学に来ている。
馬車から降りた天皇は出迎えた公使たちと挨拶を交わす。天皇の次は私のところへやって来る。挨拶攻勢を捌いていると、視界の端で天皇が移動しているのが見えた。
「失礼。また後ほど」
あくまで天皇のお供であるから、と断りを入れて天皇の後を追う。そうして飛行機が駐機されている場所へ移動した。後で時間を設けるから、と現場警備の士官が兵を使って公使たちをシャットアウトする。
「これが空を飛ぶのか」
「はい」
止めてある飛行機をしげしげと眺める天皇。ほうほう、と言いながら機体をぐるりと一周した。
今回の天覧飛行に用いられるのは作戦機ではなく試験機である。部内では単に「試験機◯号」と呼んでいたのだが、いつの日からか「富嶽」と呼ばれるようになっていた。……エンジンを積んでからは富士演習場で試験飛行をしていたが、それまでは専ら琵琶湖で試験をしていたのになぜ富士山から名前をもらってきたのかは謎である。
それはさておき、富嶽の外観は典型的な鋼管布張りの複葉機だ。初期の航空機はコックピットなど無いに等しくパイロットが丸見えだったが、富嶽はちゃんと胴体を持っている。鋼管とアルミ材を使ったトラス構造で、見た目はやや角張ったソッピーズパップといった感じだ。
「触ってもいいのか?」
「叩いたりしなければ問題ありません」
プロジェクトを統括するのは例によって長岡外史。冷静に応えていた。その横には主任技術者として開発に携わった二宮忠八もいるが、こちらは緊張してガチガチになっている。説明をしたのは二宮だったが噛みまくっていた。天皇も気を遣ってか質問は長岡を介している。
「誰が操るのか?」
「それは……」
言い淀む長岡。そういえば誰が乗るのだろう? 二宮も操縦できるはずだが、今日は白衣を着て研究者という格好だ。周りを見てもパイロットらしき人物は見当たらない。
「――失礼します」
そんなとき、後ろから声がかかった。釣られて振り向くと軍服にゴーグルと白いマフラーをしたいかにもパイロットです、といった出立ちの男が立っていた。長岡があちゃー、みたいな顔をしている。わけがわからん。
「君は?」
「はっ。本日、富嶽一号の搭乗員を務めさせていただきます、日野熊蔵中尉であります」
パイロットは日本初飛行をしたひとり、日野熊蔵であった。噂には聞いていたが、まさか天覧飛行のパイロットをやるとは……。日野はプロジェクトに突撃してきて、長岡がその熱意に負けて採用したという経緯がある。私の進めるプロジェクトにはこういう人材が何人かいるのだが、なかでも日野は曲者であった。
ひと言で表すと協調性がない。
史実でも山階宮が見学に来ているのに自作エンジンの整備に没頭して出迎えない。発明のために借金を繰り返し訴えられるといった問題行動があった。金は倉屋が出しているのでいいが、前者の性格はどうもならない。彼の個性だ。
日野は用を足していて遅れてしまったと釈明する。天皇相手にもこの態度。なるほど、長岡があちゃーとなるわけだ。
しかし天皇は特に目くじらを立てることはなく、期待しているぞと声をかけていた。器が大きい。
「どうかと思うことはあるが、一々反応していては大変だ」
衆人環視の前で無礼な行いをされたわけでもないので咎める必要はないとのこと。とにかく日野は許された。
天皇の好奇心を満たしたところで実際の飛行に移る。
「エンジン始動!」
エンジンがかかって唸り声を上げる。日野もゴーグルを着用してコックピットに乗り込んだ。ちなみにレシプロ時代、パイロットの象徴のようなゴーグルとマフラー。一見すると飾りに見えるが実はちゃんと意味がある。
富嶽にも搭載されているロータリーエンジンだが、こいつは潤滑油を撒き散らしてしまう代物だ。それが目に入らないようゴーグルを着用し、ゴーグルについた油を拭き取るためにマフラーを使う。後世には風防がついてその役割はほぼ失われたが、当時はちゃんと意味のある装備品だったのだ。
ブルブルと音を立ててエンジンが回る。出力を上げるとエンジンが唸った。スロットルではなく空気と燃料の混合比を変えるというアナログな方法で出力を調整している。パイロットの日野は忙しそうだ。
エンジンの調子がいいことを確認すると次は舵。昇降舵、方向舵の動きに異常ないかをチェックする。初期も初期の飛行機なので梃子とか油圧みたいな機構は噛んでいない。つまりパイロットの操作感が全て。もちろん外部からも動きを見て問題ないことを確認する。
問題なしということでいよいよ滑走へ。車輪止めが外された機体はゆっくりと動き出す。いつもならこのまま飛び上がるところだが、今回は天覧飛行。失敗は許されないから慎重を期す。やりすぎなくらいに地上滑走をし、エンジンの出力を上げ下げして調子を確かめる。十分弱の慎重な滑走の末に決意を固めた日野は離陸を試みた。
――頼むぞ
ここまで来たら祈るしかない。国内外の要人が見守るなか、私にできることは今までの自分を信じて祈ることだけだ。
「おおっ!」
横で富嶽を穴が開くほど見ていた天皇が声を上げた。スピードに乗った富嶽の尾輪が地面を離れる。ややあってふわり、と前輪が地面を離れた。様子を確かめるようにしばし地面と平行に飛ぶ。そして大丈夫だと確信すると機首を上げて上昇に転じた。
「飛んでるぞ……」
公使の誰かが呆然と呟く。つい半世紀前まで丁髷結って刀を差していた民族が飛行器械を作り上げたのだ。そんな反応にもなるだろう。
私は周りの反応に満足しつつ、内心で胸を撫で下ろす。が、行って帰るまでが遠足。飛んで降りてくるまでがデモ飛行。魔の十一分とか呼ばれたりするのでまだまだ危険はいっぱい。それでも飛んだということが大事だ。
日野が操る富嶽は練兵場の上空を旋回しつつ高度をとっていく。今のところ目算で五〇〇といったところか。上がろうと思えば三〇〇〇メートルまでいけるらしいが、そこまでいくと地上からはゴマ粒くらいにしか見えない。あくまで見せることが目的なのであまり上がり過ぎないようにとは言っていた。
結局、一〇〇〇メートルもいかないくらいのところで水平飛行へ移る。飛んでいる様をよく見せるために練兵場の空を低速でのんびり飛ぶ。適当なところで切り上げて着陸という予定だ。
「山縣にはいつも驚かされているが、今回が一番かもしれない」
「あはは……」
そんな風に思われてたんだショック、というのが本音だが笑って誤魔化した。天皇はそれだけ言うとまた飛行機に視線を戻す。ギャラリー全員が飛行機を目で追うので顔が揃って動く。とてもシュールな光景だ。私もそのなかのひとりになる。物珍しさというよりは、ようやくここまで漕ぎ着けたという感動が強い。
「「「おおっ!」」」
随分と苦労したな、なんて過去を振り返っているとギャラリーから声が上がる。何だと思ってみればサービスなのだろうか。富嶽が高度を下げて失速寸前のような速度で飛んでいる。操縦する日野の顔もバッチリ見えた。ゴーグルをつけているから実際には口許しか見えていないが。
ニヤリ
一瞬、日野がニヤけた気がした。いいこと思いついた、みたいな感じの笑み。ちょっと嫌な予感がする。直後、富嶽のエンジンが唸った。
加速がついたところで上昇。ゆっくりとだが着実に高度を稼ぎ一〇〇〇を突破――したと思いきや機首をさらに上げる。上げて上げて機体は一回転。大きく弧を描く宙返り(インサイドループ)をして見せた。
さらにナイフエッジにキューバンエイトと唐突にアクロバット飛行を始めた。これを見たギャラリーから歓声が上がる。非力な機体でよくやるよ。
盛り上がる観衆を尻目に、技術者たちは万が一があったらどうするんだと大騒ぎ。私もその心配はあったが、それ以上に何やってんだという呆れが勝った。
絶技を披露して満足したらしく、日野機は軽快に着陸する。魔の十一分のうち着陸は八分が占めるも関係ないとばかりに見事な着陸だった。心配するだけ損したという気分だ。
「何してるんですか!」
「興が乗ってつい」
「つい、じゃないですよ! 万一があったらどうするんですか!?」
駐機スペースに帰ってきた日野機に向かって駆け寄っていく二宮。ここまで怒声が聞こえてきた。二宮はぐちぐちと小言を言っているが、日野は完全にスルーしている。それを目にした天皇は苦笑していた。
「いいものを見せてもらった」
天皇からそう言われれば二宮たちも矛を収めるしかない。一方の日野は得意満面だ。
ひと悶着あったものの天覧飛行は大成功。そのニュースは日本はもちろん全世界を駆け巡った。欧米でも開発できていない飛行機を日本が最初に成し遂げた。このことは卑下しがちだった日本人を大いに勇気づける。自分たちもやればできる、と意識を改めた。
各国からは販売を希望する声が届いたが、売り物ではないと断っている。国内にもないのに海外に売る暇はない。
天覧飛行から一ヶ月。正式に航空部隊が発足することになった。計画では陸海軍にそれぞれ一個隊が設けられることとされている。必要な予算も盛り込まれていた。ただ、海軍は部隊の設置を延期する。
「たしかに画期的ではありますが、哨戒や連絡くらいしか使い道が思い浮かびません」
とは山本権兵衛の談。飛べるとはいえエンジンが非力なので人ひとり乗せるだけで精一杯だ。手榴弾や小型の砲弾くらいなら運べるが、大型爆弾や魚雷などの艦艇に有効な兵器は載せられない。……手段は考えてあるが。
ともあれ、海軍としてはイギリスから続々と到着する戦艦の戦力化に忙しく飛行機なんかにリソースを割いている余裕はない。そういうことなら仕方ないと陸軍が先行して航空部隊を創設することに。かくして陸軍航空団というどストレートなネーミングの部隊が発足した。
陸軍航空団はひとまず航空機関連の人員機材を統括する組織として設けられている。戦力としては隷下に飛行隊を持つこととされた。まあ発足したばかりで予算も限られているから一個飛行隊(三六機)しかないのだけれども。ちなみに一個飛行隊は三個中隊(十二機)から成る。一個中隊は三個小隊(四機)で、一個小隊は二個分隊(二機)だ。ここにに配属された人間は空中勤務者や整備関係の人間を中心に新設された航空科へと転科する。
記念すべき最初の飛行隊はもちろん第一飛行隊。パイロットには天覧飛行をやってのけた日野熊蔵もいた。とはいえ定数こそ三六あるものの、パイロットの数が足りておらず充足率は壊滅している。当たり前といえばそれまでだが、急ぎこれを拡充しなければならない。
「とにかく転科者を募らなければ」
辞令を出して転出させることもできるが、飛行機の操縦はかなりの高等技術。しかも短期間で覚えてもらわないといけないからかなりのスパルタ教育になる。それについていく意地と根性、何よりも熱意を持っていなければいけない。そこでスペシャルキャンペーンとして特別感のある部隊にした。
天皇が天覧して飛行機を気に入った。日本はむろん世界初の飛行機部隊が創設されるにあたって、特別に天皇より「八咫烏」という名称を賜ったというストーリーを作ってマスコミを使い話を広める。もっとも気に入ったのは事実で、こちらで少しばかり脚色しただけだ。機体の垂直尾翼には部隊章として八咫烏のマークが描かれた。かっこいい。男心をくすぐられる。
キャンペーンが功を奏したのかそれとも飛行機に対する好奇心がそうさせたのか、志願者倍率は何十倍に上った。ゆくゆくは部隊養成ではなく学校養成でパイロットが供給できるようになればと思っている。ともあれ飛行機がようやく実用化され安堵するだった。
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