日英同盟
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日英同盟の交渉が進む一方、北京議定書が調印されて北清事変は一応の解決を見た。連合軍の主力として二万を超える軍隊を派遣していた日本だが、その費用は馬鹿にならない。公式には決着したので、議定書で定められた兵力(二六〇〇)を残して撤退させる。
清国からの撤兵は日本とアメリカが早かった。アメリカは門戸開放政策の唱導者で、それは清国の領土保全が大原則。危機が去った以上、領土保全を脅かすような駐兵を続ける意味はない。彼らの姿勢は徹底しており、他国が議定書兵力をほぼ最大限まで獲得するなか、天津へわずかな部隊を置くだけに留めている。
日本も門戸開放の原則に則ってという建前ではあるが、実のところは列強の早期撤退を促すことが目的だった。飾らずに言えば清国にいる大量の列強軍は目障りなのである。地理的に近いことから数日で清国に軍を展開できることが日本の強みで、外交的な存在感を大きくしていた。それが損なわれる状況は好ましくない。さらにいえば満州に駐屯するロシア軍が朝鮮半島にも大きなプレッシャーを放っており、撤兵を促すことでこれを軽減するというような狙いもあった。
ロシアの満州占拠については日本のみならずイギリスをはじめとした多くの国が反対する。しかしドイツはロシアと直接的に対立することになりかねない共同での抗議は避けたため、一時期模索された英独もしくはそこに日本が加わった形の同盟は流れた。
「残念です……」
これを支持していた小村の前任外務次官である加藤高明は残念がる。日独英三国同盟は歴史のロマンとして語られてはいるものの、実現可能性があったかは難しい。ドイツ皇帝とロシア皇帝の関係もそうだが、それがなくとも同盟には踏み切らなかっただろう。そう言うと加藤はムッとした様子で訊ねてくる。
「なぜでしょうか?」
「地理を考えてみろ。ドイツはイギリスにあまり肩入れできんよ」
ロシアはフランスと露仏同盟を結んでいる。その間にいるのがドイツだ。三ヶ国とも世界でも有数の陸軍を有している。一方、提携相手となるイギリスは海軍国家。つまりは真正面からぶつかるとなったとき、これら露仏の陸軍をドイツは単独で相手にしなくてはならなくなる。とても持ち堪えられるはずがない。だから決定的な対立は避ける。
「それもそうですな」
「外交的な見地からいえばイギリスと協調するのがいいんだがな」
後に政友会と並ぶ憲政会を率いることになる加藤だが、このときは大政治家とはいえ根はまだまだ外交官。これからの成長に期待である。
「ついでにもうひとつ。ロシアには極東にお熱になってもらった方がドイツにとって都合がいいというのもある」
この時期のドイツは世界政策と呼ばれる拡大政策をとっていた。ドイツが統一されてドイツ帝国となったが、発展の第二段階として世界に打って出ようとする。様々な施策をしているが、なかでも重要なのが後に3B政策と呼ばれるものだ。ベルリン、ビザンチウム、バグダードを鉄道で結び、中近東地域を自国の勢力圏に収めることを目的としている。
地図上にこの戦略ラインを落とし込むと、途中でバルカン半島を通っていく。言わずと知れた「ヨーロッパの火薬庫」であるが、ここには正教会を信仰する国もあり、正教を保護するロシア皇帝にとっても高い関心を寄せている地域。無神経に凸ればロシア帝国を刺激してしまう。
「なるほど。ロシアが極東に注力している間にバルカン半島の勢力を広げるのですね」
「そういうことだ」
先述のようにロシアとの対立を避けたいドイツとしては上手いこと隙を突いて権益を拡大したいところ。そのチャンスを虎視眈々と狙っていることだろう。まあその動きが対立していたイギリスとフランスの接近を招くのだから国際政治というのは難しい。
加藤は帰国した小村を後任に推薦し、本人は 東京日日新聞の社長に収まった。ロシアから清国に転任となり、地球を半周して任地に赴くやタフな交渉を続けた小村。疲労もあるだろうとしばらく休職にして静養させようかと考えていたのだが、身内の推薦で外務次官にさせられた。まあ本人も乗り気でこちらも否はないので認めはしたが。
日本外交の大きな課題は二つ。ひとつは日英同盟の締結へ向けた交渉であり、もうひとつは満州問題だ。北京議定書が結ばれたことでロシアの満州占領が一気に問題となる。以前から各国が抗議していたが、いよいよこの問題についてロシアは清国と外交的な解決を図らねばならなくなった。
「山縣閣下。満州問題についてですが、小村くんを宛てようと思うのですが如何でしょう?」
外相の青木はイギリスとの交渉は以前から関わっている自分が担任するが、新たに持ち上がった満州問題については小村に任せたいと言ってきた。直近で駐清公使をしており、現地の情勢に通じているというのが理由である。
「それがいいだろう」
今までの延長線上みたいな仕事でやりやすいだろう。それに手腕も確かだ。
「というわけだからよろしく頼むぞ」
「ご期待には必ずお応えします」
かくして満州問題には小村があたることになった。私がつけた注文はひとつ。清国には親切にせよということだ。
「親切にですか?」
「そうだ。あくまでも隣人として助言し、見返りは求めるな」
外交なんだから与えたものに対して見返りを求めるのは当然。だが私はそれを敢えて求めるなと言った。小村は当然、怪訝な顔をする。
「気持ちはわかる。ただ実際問題として今の清国に見返りは求められん」
まず国内がボロボロで、王朝の威光も地に落ちたも同然の状態だ。さながらロシアの革命前夜みたいな空気であり、何がきっかけで崩壊するかわからない。そこに見返りを求めて国を崩壊させたら大事だ。
英米が主張する門戸開放、機会均等、領土保全もまたこれを阻む。日本だけが権益を得ることは協調という名の相互監視、牽制が繰り広げられる清国においてバッシングを受ける。現にロシアが満州占領によりそうなっているのだ。他人の振り見て我が振り直せ。反面教師がいるのだから同じ轍を踏んではいけない。主張の正当性を担保するという意味でも。
「どうしても納得いかないなら、見返りは感謝だと思えばいい」
清国に日本ありがとう、と思ってもらえるだけで収穫だ。日清戦争以来の潜在的な緊張を解く意図もある。小村もようやく意図が掴めたらしい。
「なるほど。ロシアの満州進出を抑制しつつ、清国の対日感情をよくするために好意的な行動をとれということですね?」
「その通り」
私の注文を理解したらあとは任せるだけ。そして小村は見事にその目的を達する。
小村は早速、清国にメッセージを送った。困ったことがあったら相談に乗りますよ、というものだ。清国だって馬鹿じゃない。このタイミングで言い出してくるんだから満州問題だということを察する。夷を以て夷を征するという考えなのかは知らないが、清国はこれに乗って困りごとがあるんですよと相談してきた。それはもちろんロシアとの満州問題交渉であり、現地の公使を通じて小村はアドバイスを送る。
清国側から共有された露清新条約の条項を精査し、
清国の利益を損ねる条項が多々見受けられるので改善を要する
と助言する。またロシアにも北京議定書などで確認された清国に対するいくつかの原則(門戸開放、機会均等、領土保全)に反するような条約は認められないと釘を刺した。
「で、それに対する回答がこれと?」
「はい。『露清間の事情を熟考したものであり、独仏もこれに同意したものである』と」
要するに俺たちの話だから割り込みするな。あとバックには独仏がついてるからな、と言っているのである。
「あちらがそうであるならば、こちらも仲間を募りましょう」
小村が許可を求めてきたので私は了承する。こうして日本は門戸開放政策を支持するイギリスとアメリカに条項をリークし、満州問題について共同歩調をとることを提案した。両国とも賛同してくれ、日英米と露独仏の陣営に分かれた対立構造が出来上がる。
こうした工作を進めている間にも露清交渉は進展し、ロシアに提示する修正案が清国側から示された。これについても、
ロシアに新たな利権を付与することになっており、他国が新たな利権を得る口実になりかねない
と警告。利権付与が他国の利権付与を呼んだ十九世紀末の瓜分を思い出すように言った。清国としては満州問題を解決するにあたって多少の譲歩はやむを得ないのではないかというような反応があり、今回は見解が割れる。
しかし小村は自己の意見を押し通すことはせず、拒否した方がいいと思うよと柔らかく言って継続協議とした。その間に英米両国へロシアの利権獲得の動きをリーク。原則に反したこの行動を両国は問題視し、露清両国へ懸念を表明した。その上で清国に英米もそう言ってるし……と改めて日本の主張をとるべしと迫る。
英米が自分のバックにいると認識した清国はこれを受け態度を硬化させた。ロシアも英米と決定的に対立することは避けたいために態度を軟化させ、要求も引き下がっていった。そうして翌年の四月に締結されたのが満州還付条約である。半年ごとの計三回、一年半をかけたロシアは段階的に撤兵していくというもので、後援した日英米も原則が守られると満足できるものだった。
「清国の慶親王奕劻殿下から、我が国に対して感謝のお言葉があったそうです」
この露清交渉を強力に後押しした日本に清国は感謝していた。現地の公使を通じてそのことが伝えられる。
「閣下の狙いが果たされたわけですね」
「うむ。こうして相手に好意的な感情を扶植していくことがこれからの対清外交の肝だ」
ロシアと対抗する関係上、門戸開放政策を支持する英米に与している。それは強力な援護となる一方で我々の行動を縛る鎖ともなるのだ。そのことを自覚し、原則の範囲内で最大限の利益を得ていく必要がある。
「それが相手の好意ということですか」
「清国は内政改革に着手しつつある。これに深く関与するという意味でも、頼れる隣人として振る舞うことは大切だ。万一、彼の国で何かが起きたときも築き上げた好意は我々の大きな助けとなるだろう」
北清事変は欧米諸国の大半に清国を直接統治することは不可能だと思わせた。戦闘こそあっさりと終結したが、その後のゲリラ的な行動には手を焼く。だから統治は現地の政府に任せて利権の獲得と保持、市場開放へと舵を切ったのである。日中戦争の日本はまんまとこの陥穽に嵌ったわけだ。
そんな馬鹿な真似をしないよう、この原理原則を日本に骨の髄まで叩き込む必要がある。私はありとあらゆる場で門戸開放政策を護持しなければならない、と主張して回った。あとはこの動きが日本の利益になることを見せられればいいのだが……。どうにかして実績を作りたいところだ。色々と考えてはいるが無事に花開くかは不透明であった。
さて、露清交渉では日英両国が協調して動いた。この経験は同盟交渉が進むなかで互いの信頼関係を醸成するのに大きな役割を果たす。そして満州還付条約の締結に先行すること三ヶ月。明治三十五年(1902年)一月に日英同盟が成立した。
内容は史実通り。極東地域(中国、朝鮮)において一方が他国の侵略を受けた際は中立を保ち、第三国の参戦があった場合には参戦を義務づけるというものだ。また、日本はイギリスに対して極秘裏に決意を語っている。
対露交渉に臨み、もし満足のいく成果を得られなければロシアとの交戦も辞さない
と。
「イギリスは好意的中立を約束してくれました」
「上出来だ。急ぎ対露交渉を再開してくれ」
国民はイギリスとの同盟に祝賀ムードであったが、政府はこれからが本番だと考えていた。意気揚々とロシアへ行った俊輔は一転して消沈した様子で帰国している。言うまでもなく交渉が上手くいかなかったのだ。歓待こそされたものの交渉の態度は冷淡であり糠に釘状態。対露開戦は避けたいが交渉の行末には絶望していた。
「小助。前に言ったことはなしでいいか?」
前に言ったことというのは私の後任として首相になることだ。
「それはさすがに困るんだが……」
既に辞める気満々で準備している。閣僚にもそのことは伝えてあり、彼らを通して政友会にも伝わっていた。約束も知られているので次は伊藤内閣だとやる気を漲らせている。今更なしと言われたら暴動が起きかねない。
「今の会期が終わったら総辞職するから組閣の準備を進めてくれ」
「わかった……」
俊輔のやる気はゼロになっていたが、このまま私が続投というわけにもいかないのだ。政友会がやる気だし、辞めることを前提に今年は生涯三度目の訪英をすることにしていた。それに合わせて色々な予定が組まれておりキャンセルはできない。
ところが、やる気のない俊輔は代わりを探して井上馨に白羽の矢を立てた。特に理由もなく総理をやっていなかった最後の元老だ。天皇も井上ならまあと認めてしまう。かくして次期首相になった井上は仕方なく水面下で組閣を進めるも人事が難航する。蔵相と目した渋沢栄一は「銀行経営で手一杯」と回答して断った。ただ政友会は俊輔が担ぐならと協力を約束している。
「難しいよ山縣さん」
意外にも井上とはそれなりに親しい仲だ。財界を筆頭に各方面にパイプを持つ彼だが、もちろん倉屋とも繋がりがある。公明正大にが彼の信条だが、それに反しない範囲で長州から飛躍した倉屋を気にかけてくれていた。
私の許を訪ねてくるなり弱音を吐く。仕方なく総理の座を引き受けたはいいものの組閣が思うように進まないのだ。井上は閣僚には一流の人物を迎えたいと考えており、これだと見込んだ人物に入閣の打診をしていた。しかし上手く行っているとは言い難い。
それどころか逆風も吹き始めていた。この調子だと閣僚に占める政党員の数が私の内閣よりも減ることに気づいた政友会は態度を変え、山縣内閣と同数以上の政党員を閣僚にしなければ支持しないと言い始める。
井上は話が違うと俊輔に説得を依頼したが、やる気をなくして抜け殻みたいになっているらしく生返事を返して動かなかった。それで困って私のところへ駆け込んできたというわけ。……私は駆け込み寺ではないのだが。
「やはり拝辞すべきか……」
「本当に人がいないんだ。勘弁してくれ」
貴族院や官僚はしっかり統制するし、閣僚の入閣交渉だって面倒を見る。だから辞めないでくれと私も懇願する羽目になった。なぜこんなにも苦労させられているのだろうか。
俊輔が使えないので代わりに原敬を介して政友会に接触。原に加え西園寺公望、松田正久、末松謙澄の四名を入閣させる方向で話を進める。
「首相の井上も含めれば五名だ。これで手を打ってくれないか?」
「閣下の頼みです。わかりました」
政友会とはこれで話をつけ、山縣閥からも人を出して残りを埋める。こうしてどうにか井上が納得する顔ぶれを揃え、史実では幻となった井上馨内閣を成立させた。
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