公使館解放
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私は山縣誠。陸軍大尉だ。父は山縣有朋。維新で活躍した国家の重鎮であり、今は首相の職にある。そのため山縣の御曹司などと呼ばれていた。ただ、人々のイメージとは違って父からは息子だから特別扱いはしない、と言われている。まあ、それは軍人としての話であって、家族としてはとても大事にされていた(ちなみに母は大事を通り越して過保護)。
そんな私は昨年、陸軍大学校を卒業した。卒業席次は二番目(次席)。残念ながら首席にはなれなかった。それでも誰もが憧れる恩賜の軍刀を賜っただけでも光栄なことである。ちなみに一番は武藤信義。武藤とは在学中、よく一緒に勉強したものだ。ついこの間のことだが懐かしい。
陸大を卒業後、それぞれに辞令が下る。多くはどこかの部隊に配属されるのだが、私に対しては参謀本部付を命じられる。不思議に思っていたところ、大臣の桂閣下から呼び出された。
「山縣入ります」
ノックして入室する。桂閣下は机に座って仕事をしていた。書類を読む手を止めて私を見ると相好を崩した。
「おお、よく来たな。座ってくれ」
と言いつつ机の椅子から立ち上がり応接用のソファに座る。それを見て失礼します、と断ってから着席した。
「自分に何用でしょうか?」
「まあまあ。そう硬くなるな。楽に話そう」
「あ、はい。では失礼して……」
閣下は父の腹心であり、小さな頃からよくしてもらっている。大臣室とはいえ他人の目はほとんどない。咎める者はいないから楽にしていいと言われ少し肩の力を抜く。
「それで用件だが――留学しないか?」
「……随分と急なお話ですね」
とは言いつつも私の不思議な人事に合点がいく。留学させたいから参謀本部付きなんていう役目があるようでない辞令が出たのだと。
「貴重な経験になると思うがどうだろう?」
「得難いものだとは思います」
官費なのか私費なのかは知らないが金の心配は要らない。官費は無論のこと、私費でも私が「行きたい」と言えば母が工面してくれるだろう。
自分で言うのもなんだが、山縣家は恐ろしく豊かだ。父が高官というだけでなく、母が経営する倉屋は多方面に事業を展開して凄まじい金額を儲けている。嫁入りせずちゃらんぽらんしている姉にしても、そこで働いて私の年収(三〇〇円)と同じくらいの収入があった。そんな大きな企業なので、世間から財閥と見なされている。だから金には困らない。
語学もドイツ語やフランス語は苦手でロシア語なんてさっぱり。だが倉屋に来ていたイギリス人のおかげで英語は堪能だ。士官学校でも陸大でも英語だけはトップを譲っていない。……そんな私に回ってくる留学話。自ずと気になっていたことがわかる。
「もしかして行き先はイギリスかアメリカですか?」
「よくわかったな」
「いえ、何となくです」
桂閣下がどこか言いにくそうにしていたのもこれで説明がつく。陸軍軍人の留学先としてはドイツが圧倒的な人気を誇っている。百歩譲ってフランスだ。イギリスは……世界に冠たる大英帝国といえども陸軍軍人の留学先にはならない。海軍なら狂喜乱舞の行き先なのだが。
「妙に察しがいいのは父親譲りかな?」
「あの人は……父は異常ですよ」
先見の明があるというが、父のあれはそんな言葉では表現しようがない。倉屋は元々、赤間関の商家だった。町で一番の大店とはいえ江戸や大阪で商いをしていた三井や住友などの豪商とは比べるべくもない。そんな倉屋が彼ら豪商と肩を並べ財閥のひとつに数えられているのは母の奮闘もあるが、最大の要因は父である。
父は基本、経営に口を出すことはない。ただ時折ふと思い出したかのようにこんな商売をしようと言い出す。そしてその悉くが大当たりするのだ。最初は夫のわがままに付き合うくらいのつもりだった母も、三件目くらいから遠慮がなくなったらしい。どうせ当たるなら大きく賭けないと損という至極当たり前の論理で大きな投資をしてデカいリターンを得る。これを繰り返して倉屋は今の地位を築いた。
軍人としては四ヶ国艦隊に対して果敢に反撃して痛打を与え、幕府軍の長州征討に際しては小倉を攻略。戊辰戦争では北陸戦争からの参戦ながらも長岡を落とすなど抜群の武功を挙げた。そして西南戦争では事実上の総司令官として政府軍を指揮。かの西郷隆盛公と薩摩隼人を相手に勝利して見せた。大久保公や西郷元帥(従道)曰く、隆盛公も父を高く買っていたらしい。維新後しばらくは父と隆盛公の二人で陛下に近侍していたとか。
父は陛下からの信頼も篤く、何かあればすぐお召しがかかる。大久保公の後を受けて首相となって日本初の議会に臨み、これを上手いこと乗り切った。基本は大久保公の路線を踏襲するが、政党に対しては比較的融和的な人物として見られており、官僚たちの反発を宥めてくれるため政党政治家たちからの受けも悪くはない。倉屋を通じて財界ともそれなりの付き合いがある。
そしてこれは風の噂に聞いたことだが、外国でも父の名前は広まってるらしい。ドイツでは来日したメッケル少佐は父が指揮して児玉閣下が動くならば日本は安泰だと言いふらしているとか。イギリスやフランスでは何年かおきにふらっと現れて海のものとも山のものともわからないモノを買い漁る物好き、みたいな感じらしい。ただ悉くが大当たりするので最近は父が触れたものには多額の資金が注ぎ込まれるとか。
この他に門外漢であるはずの海軍についても的確な指示を出している。黄海海戦における勝利の立役者は父だと山本閣下も仰っていた。
とにかく、父は先見の明なんて言葉では片づけられないほどの慧眼の持ち主だ。だからあまり比べないでほしい。
「そうだな。閣下には驚かされてばかりだ」
桂閣下も気持ちはわかると言う。突拍子もないことが大当たりなのだからわからない。ただ父に付き従う者たちは全身全霊で支える、と。
「話が逸れたな。とにかく、イギリスへ留学してほしい」
「なぜイギリスなのですか?」
吝かではないのだが理由が知りたい。なぜ本場ドイツではなくマイナーなイギリスなのか。
「それはだな――」
曰く、日清戦争では補給で苦労した。島国が外地で戦争を遂行するにあたって補給をどうしているのかを調査研究したいとのこと。
「丁度、イギリスは南アフリカでボーア戦争をやっている。本国ではこれをどう支援しているのかを調査してほしい」
なお、それが終わったら今度はアメリカ行きらしい。こちらも米西戦争でキューバやフィリピンに部隊を派遣した経験を持つ。列強のなかで島国といえるのはイギリスとアメリカ。両国がどのような補給体制を敷き、如何なる反省点があったのかを調査せよというのが派遣の目的だという。
「なるほど、わかりました。全力であたります」
「そうか! ありがとう!」
なぜか大袈裟に感謝される。というのもこれまで何人かに話を振ったが揃って断られたらしい。そりゃ誰も好き好んで出世コースから外れようとは思わないだろう。だが、こういうのを受けておけば上からの覚えもめでたくなる。そんな打算を込めて引き受けた。
「今度は海外!?」
任地が東京なので実家に住んでいる。家に帰って母に報告したのだが、悲鳴にも似た声が上がった。
「まあまあ、お母さん。今日明日って話じゃないんだから」
家にいた姉が宥める。いつものことなので慣れたものだ。
「でもイギリスよ? 大阪とは訳が違うわ。しかもその次はアメリカ。一ヶ国一年って話だから、二年は帰ってこないじゃない!」
「軍人なんてそんなものじゃない?」
「そうよ。お父様だってそれくらい帰ってこないことあったじゃない」
「旦那様はいいのよ」
父さん泣くぞ? それに姉も他人のことを言える立場じゃない。私は知っている。父さんが出張する度に文句を言っていることを。さすが母娘というべきか言うことも似ている。これも血筋か……。
二人して母を宥めるのだがなかなか収まらない。姉から何とかしろ、という目が。対処方法は心得ている。伊達に息子はやっていない。
「……久しぶりに母さんの料理が食べたいなー」
仕事で忙しいのと私たち子どもが成人したことで、母は料理をほとんどお手伝いさんに任せている。しばらく食べられなくなるから手料理が食べたいなと言えば、
「っ! わかったわ」
と台所へと駆け出す。こんな感じで気を逸らしてご機嫌をとるのだ。しばらくはこういう生活が続く。我が母ながら難儀な性格をしている。
「ねえ、跡取りなんだからそろそろ結婚しなさいよ。もう三十でしょう?」
「それを言うなら姉さんこそ」
「こっちは別にいいのよ。お父様だって認めてくれてるんだから」
毎度この調子だと疲れる。世帯持ってくれと言われた。自分は知らぬ存ぜぬと言っておいて……。まったく身勝手な姉だ。
家族総出で母のご機嫌をとりつつ、母の目を逃れて留学の準備をする。話を聞いた(というかこうなるよう仕向けた)父はイギリス人の友人に私をよろしく、という手紙を書いていた。思うところはあるが、頼れる人がいるのはありがたい。
そしておよそ一ヶ月後。私は清国にいた。
――――――
経緯はこうである。
留学の準備中、清国で動乱が起きた。日本はイギリス以下列強の要請を受けて派兵することに。ただ、父は多国籍軍の共同作戦となるから調整役が必要と判断し、福島安正少将を筆頭に暇をしていて語学に堪能な者を幕僚として送り込むことにした。丁度、留学に備えて暇をしていた私に白羽の矢が立ったというわけだ。
多国籍軍の主力は日本とロシア。兵力二万のうち四割にあたる八千を日本が出しており、ロシアが五千ほど。残りをイギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどが占めている。会議は父の予想通り揉めてなかなかまとまらない。そこで活躍したのが福島少将で、各国司令官の間に立って意見集約を行った。私も英語圏のイギリスとアメリカを相手に折衝をする。
「――ということです」
「よくわかった。上手くまとめてくれたな、山縣くん」
「八面六臂の活躍をされている閣下に比べれば大したことありません」
「何を言う。君のような幕僚がいてこそ自分はまとめ役になれるのだ。山縣閣下はよく君たちを付けてくれたよ」
私のような人間がいるから大事な仕事に集中できると褒められた。そう言ってもらえると嬉しいし誇らしい気分になる。
列国間の調整はなかなかに骨の折れる仕事だった。連合軍を結成しているが、その実は同床異夢。一刻も早く北京へ到達して公使館を救援すべきだという国があれば、公使館への攻撃が激化するかもしれないから慎重にすべきという国もある。腹立たしいのはそもそもやる気がない国もいることだ。それでもどうにか意見を集約し、玄関口にあたる天津と大沽砲台を攻略することに決まった。
相対するのは清国軍。義和団ではなく正規軍だ。彼らは新軍と呼ばれる近代化された部隊だったが、連合軍によって呆気なく蹴散らされた。単に負けただけでなく、指揮官が戦死するという致命的な被害を被っている。三日と経たずに攻略目標二つが陥落した。
「これは酷い……」
戦地の視察に出た福島少将に従って戦場を見る。よく見ると清国兵は銃撃や砲撃のみで死んだわけではないことがわかった。そういった遺体は決まって近くに損壊した銃が落ちていた。
「銃が暴発したのだろう。訓練の大切さがわかるというものだ」
新軍は日清戦争後、近代化の必要性を痛感して創った部隊である。しかし設立から日が浅く練度も不十分だった。その結果、使い方を間違えて暴発させてしまったらしい。銃の機関部が大破して、兵士の顔面が酷いことになっている。
近代軍において兵士の訓練は重要だということは士官学校で口酸っぱく言われることだ。敵弾にやられたわけではなく自滅によって斃れた清国兵を見ると、その重要性を認識させられる。
天津周辺を攻略した連合軍は清国軍(義和団を含む)を蹴散らしながら北京へ迫った。近代化された部隊もいたものの多くは刀剣、よくて前装銃という貧相な装備しか持たない敵が大半。しかしながら士気は高く頑強に抵抗した。
「敵は弱いが侮るな」
そんな注意がされた。天津から北京まで戦闘を挟みつつ十日かけて進軍。八月十四日に北京へ攻撃を開始し、これを一日で陥落させた。連合軍は公使館区域まで雪崩れ込んでこれを解放する。包囲されてからおよそ二ヶ月後のことだった。
一話で終わらせるつもりが長くなったのでここで分割
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