間話 サイードの受難
「67 巨大竜と少年勇者」の直前ぐらいのお話です。総監督の愚痴回です。
「ああー疲れた。あのバカロルフめ!本当に面倒な事をしでかしやがって」
ナリス王国の王太子であるカナンとの密談を終え、俺はぐったりとソファに沈み込んでいた。
ここ一連のバカロルフの所業のせいで、親父とお袋はカンカンだ。あの様子では、よくて国交断絶、下手すりゃナリスとの戦争になる。戦など、国を窮する一番の愚策だというのに、何をやらかしてくれているんだ。
シーナちゃんからラナ・コルツの捕縛計画を聞かされた後、計画全体の指揮をとりつつも、俺はカナンに全ての事情を説明していた。あのバカロルフは、どうせ『俺の命一つで収めて欲しい』などと月並みな事しか言えないだろう。そんな使い古された薄っぺらい自己犠牲で、うちの親父の怒りが解けるものか。
となれば、ロルフよりも地位の高い者に出張ってもらわねば収まりがつかないだろうと、カナンを巻き込んだのだが。
……末恐ろしい8歳児だ。この俺に、あそこまで狡猾に立ち回るとは。くっそう。思っていた利益の70%ぐらいしかとれなかった。ウチの息子、将来アレと同時期にマリタを継ぐかもしれんが、大丈夫だろうか。もう少し厳しく教育をした方がいいかもしれん。今のままだと、カナンにいいようにカモられる未来しか見えん。
妻のルーナが、何も言わずにそっと茶を出す。飲んで落ち着けと言う意味だ。
少し冷めた茶を飲み干して、俺はため息を吐いた。
あのバカロルフは、俺がナリスで話した事を、全く信じていなかった。慎重なバカロルフの事だから、話の裏ぐらいは取るだろうと思ってはいたが、俺が想定していた以上に突き抜けたバカだった。偽聖女だった時の対処のために、コルツ家の毒虫を連れて来るなど、毒には毒を、じゃねえんだよ。本物だった時の事を考えろよ。だからバカなんだ、あのバカロルフは。甥の爪の垢を、毎日煎じて飲ませてやれ。
「ロルフ殿は、もう少し思慮深い方だと思っていました」
ルーナの言葉に、俺はヘッと鼻から息を吐いた。
「あいつは周りに恵まれているから、そう見えるんだよ。人誑しだからな。あいつは、自分がこれと決めた正義に関して、自分を犠牲にしても突っ走る一直線バカだから、平民や身分の低い者からしたら、ヒーローに見えるんだろうよ。だというのに、相も変わらず思慮が足りねぇ。やり方をきちんと考えろと、前回やらかした時も親父やナリス国王に諭されてたはずだがな。ここ数年は裏の仕事も熟していたからな、知性派になったとでも勘違いしていたんじゃないか?真っ直ぐしか進めねぇ駄犬のくせに」
「……なるほど。ジンクレットと似ている」
「あー、まぁ、……そうだなぁ。いや、でも、あれに比べたら、まだジンクレットはマシだろ?女関係は綺麗だし、あれよりは、ちゃんと結果を考えて行動出来ていると思うぞ?」
あの歩く女たらしと、ちょっと頼りないが、潔癖で一途な俺の弟なら、絶対に俺の弟の方が上だ。それは間違いない。
だがルーナは、可笑しそうに口の端をクッと上げる。
「ふっ。シーナ殿も言っていた。マリタの兄たちは、弟バカ」
「違う、身内贔屓ではないぞ。事実を述べただけだ」
その弟も、やらかしかけてシーナちゃんに逃げられそうになっていたが、なんとかコッチは回避出来た。ひとえに、優秀な侍女が側にいてくれたからだ。シーナちゃんへの的確なフォローだけではなく、敵を陥れるための囮まで引き受けてくれた。今回の最大の功労賞は、間違いなくキリ殿だ。
「はぁ。キリ殿には感謝しかないな。よくぞ、シーナちゃんを引き留めてくれた。本気で出奔されたら、うちの兵を総動員しても、追える気がしない。それに、ジンクレットの反応が怖すぎる。ショックのあまり国を滅ぼしそうだ」
国の滅亡の危機を救ってくれたのだ。もう、キリ殿には大臣とか、そういう職についてもらってもいいのではないだろうか。平民だというのに、あの思慮深さ、強さ、揺るぎない忠誠心、パーフェクトだ。俺もあんな部下が欲しい。俺にも信頼出来る侍従や部下は何人かいるが、王太子の職責と比べて人数が圧倒的に足らん。本気でシーナちゃんが羨ましい。
「しかし。陛下と王妃様ともあろう方が、どうしてロルフ殿下を婚約者候補になどと」
ルーナは不可解そうに眉を顰めた。確かに。シーナちゃんのためにとは言っていたが、あれは酷い読み違いだと、俺も思う。お陰で、シーナちゃんがマリタ王国に疑心を持ってしまった。昔から、親父は何故かバカロルフ贔屓だとは思っていたが、俺からしたら、買いかぶり過ぎだと思う。
「そこは、親父とお袋から、じっくり真意を聞き出さなきゃ分からんが。バカロルフのせいで、今は聞ける雰囲気じゃない。ナリスの話を振っても、逸されるからな」
国の体面を傷つけられ、これまで積み重ねてきた信頼関係を崩され、何より、シーナちゃんを危険に晒した事で、親父とお袋の頭にもだいぶ血が上っているようだ。ナリスへの報復に集中するよりも、シーナちゃんの親父とお袋への信頼が風前の灯だという事に気付いてほしい。
カナンとの密談の中で、カナンには親父と対峙する時、上手く立ち回り過ぎるな、と念を押しておいた。カナン劣勢と見せて、シーナちゃんを引き込んだ方が、あの親父を説得しやすいだろう。シーナちゃんも、この際だから腹に溜まった疑問や不満を、吐き出してしまった方がいい。
きっかけはバカロルフではあったが、遅々として進まないジンクレットとシーナちゃんの婚約問題にも、そろそろ結論を出す時だと思っていたから、丁度いい。
シーナちゃんに誤解させてしまったが、親父とお袋が、彼女を大事にしている事は間違いない。それこそマリタ王国の総力で以て、彼女を守ろうとしている。俺としては、彼女の生み出すものの価値を考えれば、マリタ王国で囲い込みたいと思うが、親父とお袋は、多分、彼女を国外に出す損失よりも、守る事に重きを置いている様だ。彼女が現れる前までは、マリタ王国も魔物の被害で国力が傾きかけていた。万が一の事を考えて、ナリス王国に助力を願ったのだろうが。
「シーナ殿のお気持ちについては、何も考えていない」
ルーナが鋭く指摘する。それには俺も同感だ。
まだシーナちゃんに接して日が浅い俺ですら、彼女がジンクレットに惹かれているのは分かる。他の者と居る時と、まるで違うのだ。表情が柔らかく、身体から自然と力が抜けている。
シーナちゃんは誰に対しても礼儀正しく、親しみ易い印象だが、同時にとても用心深い。深入りしない様に、一歩引いた関係を保つところがある。だが、ジンクレットに対してはそれがない。全力でぶつかり、甘えている様にみえる。彼女の生い立ちを思えば、ジンクレットが彼女にそんな居場所を作ってやれるのなら、それは喜ばしい事だが。
「あのバカ弟は、昔から懐に入れた者への過保護が過ぎる」
昔からそうだ。犬や猫を拾えば、大事にし過ぎて、構い過ぎて、ウザがられていた。動物ですらそうなのだ。相手が人間なら、余計に鬱陶しく感じるだろう。
「それは、貴方も同じ。マリタの男は、皆、過保護」
ルーナに、苦笑と共にそう言われる。バカな。俺はそんなに甘くはない。だが、俺を見るルーナの目は、呆れた様な色を含んでいる。心外だ。
「はぁ。親父とお袋の心配も分かるのだが。シーナちゃんはジンクレットで本当に、良いのだろうか。あんなに重く、過保護な男では、嫌になって逃げ出すのではないだろうか」
シーナちゃんに重苦しい執着を見せる弟を思い出して、頭が痛い。あんな大男に泣きながら縋りつかれて、鬱陶しくならないのだろうか。もうちょっとマシな、それこそキリさんの様に、頼りになる男を紹介したくなる気持ちも、十分わかるのだ。
「……周りがどう思おうと、好きな人の側にいるのが、女にとっては幸せ」
じっと、ルーナが俺の顔を見て呟く。
「私も、そうだから分かる」
そう言った後、自分が何を言ったのか気付いて、真っ赤になるルーナ。周囲からお姐様などと呼ばれる妻は、俺の前では何故こんなに素直で可愛いのか。凛々しいと言われる妻のこんな表情は、幸いな事に俺しか見た事がない。俺以外に見せる気はないが。
俺は、動揺を隠し必死で王太子妃の仮面をかぶろうとするルーナの手を取った。そっと口づけると、面白いぐらい目を泳がせている。
強く凛々しく、美しく可愛らしい妻。ふむ、次代の国母としても、俺の妻としても、最高だ。これほど素晴らしい妻を娶っておきながら、最近は傾きかけた国を立て直そうと必死で、夫婦としての時間をゆっくり持つ事も出来なかった。これは問題だ。大問題だ。
幸いにも可愛い未来の義妹のお陰で、山積みだった国の難題も解決しつつある。なんて素晴らしく有能な義妹なのだろう。ウチの国で大事に大事に守ってやるべきだ。うん、そうだ。
それにルーナの言う通りだ。男の趣味は悪いと思うが、あの弟でいいというなら、それを全力で後押しして何が悪いのだ。選んだのはシーナちゃん本人なのだから、周囲がどうこう言うものではない。男の趣味は悪いと思うが。
俺は俄然、やる気に満ち溢れた。必ず、この茶番を俺が思い描いた画の通り、終わらせてやる。
そうすれば可愛い妻と過ごす甘い時間という、最高の褒美が待っているのだ。
マリタ王国の王太子というよりは、一人の夫として、全力を尽くそうと、心に誓ったのだ。
◇◇◇
ナリス王国の王太子が帰国してから数ヶ月後、王太子妃ルーナの懐妊の知らせが、マリタ王国中に歓喜を齎した。
第一子シリウスが生まれて以来、子に恵まれなかった王太子夫妻の思い掛けぬ慶事に、国民は沸き立った。シリウスとは10以上も年が離れる事になるが、王家の安定のためにも、子が多い事は喜ばしい事だ。
最近のマリタ王国は、少し前までの、暗く重苦しい雰囲気が、変わりつつあった。
魔物の脅威は残るものの、頻発していた襲撃は減り、昼は精一杯働き、夜は安心して休める。そんな当たり前の日常が戻りつつあり、街に活気が溢れるようになった。
ザロスの食用化、様々な薬草の活用による食の多様化により、新たな料理が数多く広まり、グルメブームを引き起こしていた。カイラット街発祥の屋外で肉や魚を焼いて楽しむBBQという催しは、今や王都にも広がりを見せている。食料不足による緊張感は、どこにも感じられない。
また、内職という新たな働き方の普及。これまで働く場所がなかった者たちをうまく活用出来るこの制度のお陰で、人手不足も解消し、経済も活発となり、景気も良くなる。
そして、再生魔法。マリタ王国とナリス王国で共同研究されたと言うこの魔法は、腕や脚を無くした者にとって希望の光となった。それだけでなく、今後、魔物との戦いに赴く兵士たちにとって、大きな安心感を与えている。
一つ一つは小さな変化だ。だが、確実にマリタ王国は、以前の明るさを、それ以上の安定を、取り戻していた。
それを齎したのが、隣国から逃れてきた罪人と言われた元聖女だという噂が、少しずつ、少しずつ、民の中で囁かれていた。確証はない噂だが、魔物避けの香が使われ出したエール街で、大きな襲撃を受けたカイラット街で、人知れず、囁かれるようになったのだ。その元聖女が、カイラット卿の養女となり、第4王子であるジンクレットの寵愛を受け、近く、彼の婚約者として迎えられるだろうということも、大っぴらにはされないけども、民の間で歓迎された。
そして、そのような恩恵を齎したのが、はたして、本当に罪人だったのかという疑問も、少しずつ民の中で育っていたのだった。
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