67 巨大竜と少年勇者
大変遅れました。ごめんなさい。
シンッと静まり返った謁見の間。
この人数が集まっているのに、物音一つ聞こえません。
余りの静けさに、笑いがこみあげてくる。人間、笑っちゃいけないと思うと、どうして余計に笑いたくなるのか。ダメよ、シーナ。今笑うのは致命的よ。
正面には陛下と王妃様。
それに対峙するサイード総監督以下マリタ王家兄弟、ルーナ王太子妃。ロルフ殿下。侍女長マリアさんとバネッサさん。プラスわたしとキリ。
コルツ家のラナ嬢とその愉快な仲間達が捕縛されたのが昨夜。近衞騎士も出動する騒ぎになりましたので、もちろん、陛下と王妃様の耳にも入り、朝一番に全員、お呼び出しされました。いや、サイード殿下とルーナお姐様は昨夜遅く、事情説明の為に陛下と王妃様に謁見したそうです。総監督って大変。
わたしは昨夜の騒動後、キリに問答無用でベッドに放り込まれ寝かしつけられたので、どの様なお話し合いがされたのかは不明。わたしの部屋のドアの前では、ジンさん率いるムキムキ護衛さん達が警備に当たっていたとか。わたしがスヤスヤ呑気に寝ていた頃、ドアの前はそんなむさ苦しい事になっていたとは。寝てて良かったわー。
大体の事情は知っている陛下と王妃様の表情は……。険しいわー。ロルフ殿下を刺すような目で見てますよ。
事情説明は上手くいったのか、サイード総監督の表情は穏やか。王太子夫妻以外(特にわたし)は、ナリス王国メンバーへの接近禁止を命じられていますが、囮作戦をぶちかまし、思いっ切り接近しちゃって、尚且つ捕まえちゃったからね。全員、怒られ案件だと思っていたけど、ガッツリ証拠を押さえているからか、然程、怒りを感じられません。
でもまだ、解決すべき問題があるからね。
ロルフ殿下のやらかしに加え、今回のラナ嬢のしでかした事で、ナリス王国との外交問題が、さらにピンチなのだ。陛下の中で、ナリス王国の信頼度は現在、ゼロに近い。ここからどうやって盛り返すのか。滞在期間が残りわずかな中、ロルフ殿下がこのまま陛下の怒りを解かずに帰国となれば、両国の間柄は冷え切ったものになってしまうだろう。その前に、何とかしなくては。
不安になってサイード殿下の方を見たら、ポーカーフェイスだが何やら企んでいる気配。大丈夫なの?
「さて、ロルフ殿下。貴国は今後、どうするつもりか」
冷え切った陛下の声が、沈黙を破った。緊張した面持ちのロルフ殿下が、陛下の視線を真っ向から受ける。
「其方の国の公爵家の者が、我が国の王族と賓客に薬を盛り、暴挙に及ぼうとした。其方らの王太子を癒した礼が、これか?ナリス王国は恩は仇で返す狼藉者なのか」
玉座に肘をつき、ゆったりとした口調で、陛下はロルフ殿下を睥睨する。怖いよ。恐ろしいほどの威圧感。暴対法対象の組織の親分並みよ。前世で本物に会った事はないけどさ。
「全ては、私の一存。コルツ家を抑えられなかった責は、私にあります。どうぞ、ご存分に処分を」
対するロルフ殿下は、静かに返した。その姿は、全てを受け入れて裁きを待つ罪人の様だ。
ロルフ殿下からは、事前に、自分の事は庇う必要はないと言われていた。陛下の信頼を損った全ての責任は自分にあるのだから、首一つで怒りが治るのなら、それでいいと。
ロルフ殿下一人が犠牲になるのなら、自業自得というか、助ける義理は無いというのが正直な気持ちなのだが。命を懸けるというのは違う気がする。わたしの寝覚めも良くないし、両国間に少なからず遺恨となるのではないでしょうか。ナリス国王は弟を可愛がっている様だし、カナン殿下は叔父さんを慕っているからね。
「ご存分に処分だと?貴様の命一つで、この失態を取り戻せるとでも?」
陛下は冷たく切り捨てる。
前世では人の命は地球より重いという建前が当たり前だったわたしとしては、命で失態は取り戻せないというのは同意見です。陛下の言ってる意味とは違うけどね。
「お前の言う通り、此度の事はお前の一存で起きた不始末かもしれん。だが、国の名を背負って我が国を訪れている自覚はないのか。お前の不始末は、お前の国が背負う不始末であろう」
無機質な陛下の声は、何よりもその怒りを顕していた。
「王族の一員としての自覚のない者を、お前の国の王は、我が国に寄越したと言うことか。どこまで我が国を愚弄する気か」
「いいえっ!違います陛下っ!私が、私こそが大悪人なのです。此度の事は、私が全ての元凶です。私は、実の兄すら謀り、この国に毒虫を引き入れた大罪人です!どうか、この首で、収めてください」
地面に額を擦り付けんばかりにして、ロルフ殿下が平伏する。そんなロルフ殿下に、興味を失ったように、陛下は顔を背けた。
「私はもう決めた」
陛下はこの場の全員を見渡す。
「これは、国王としての決定だ。今後、ナリス王国との国交は……」
「お待ちください、陛下」
場違いなぐらい穏やかな声で、サイード殿下が口を挟んだ。
「なんだ、サイード」
言葉を遮られた陛下が、サイード殿下に視線を移す。気の弱い人ならそれだけで気を失いそうなおっかない視線だが、サイード殿下はにやりと笑って受け流す。
「そのような重大な決断は、簡単に為さるべきではございません。それに、そちらのロルフ殿下より尊き方が、幸いにも我が国に滞在しているではありませんか。その方の意見も、お聞きすべきでしょう」
「サイード、お前、何を……」
「お入りください。カナン殿下」
サイード殿下の合図と共に、謁見室のドアが開く。
そこには、小柄な影が一つ。従者も護衛もなく、ただ一人。
幼いながらも、一つの緊張も感じられない精悍な顔つきで、しっかりとした足取りは力強く、その小さな身体が、何倍も大きく見えた。
柔らかそうな頬も、キラキラの瞳も、ほんの少し前と、何も変わっていない様なのに。
どこか別人の様な風格を備えたカナン殿下が、静かに歩みを進めた。
「マリタ国王。此度は、我が国の者の不始末、このカナンが、深くお詫び致します」
子ども特有の高い声でそう言って、僅かに目は伏せたが、カナン殿下は決して頭を下げない。一国の代表としての立場で、それは軽々しくしてはならないのだろう。
「此度の不始末に関して、私は我が国の王より、全権を委ねられました。どうかそのおつもりで、お話しください」
「カナンっ!それは駄目だ!責任は、俺がっ」
「黙りなさい、ロルフ・ナリス」
慌てるロルフ殿下を、カナン殿下は鋭く遮った。
「私はナリス王国の王太子です。いくら貴方が私の叔父でも、私の言葉を覆す事は許さない」
「……っ!」
口を噤み、目を伏せるロルフ殿下に構わず、カナン殿下は陛下へ、視線を合わせた。
「如何でしょう、マリタ国王」
感情が読めない眼で、陛下は暫く考えていたが、やがて、頷いた。
「良いだろう。その男と話すよりは、まだ、建設的な話もできよう」
◇◇◇
異様な緊張感を孕む謁見室内。わたしは既に逃亡したい気分です。しないけど。
それにしても、カナン殿下の立派なこと。可愛いわたしの癒しが(不敬)、いつの間にやらこんなに大きくなって。もはや、成長を見守る、親戚のおばちゃんみたいな気持ちになってますよ。
「まずは、シーナ様に、謝罪をさせてください」
「ひゃっ?」
突然の指名に、ちょっと変な声が漏れた。良かった、小さい声だったから、多分、隣に立つキリにしか聞こえてないよね。
カナン殿下はわたしに近付くと、さっき陛下に対してしたみたいに、僅かに目を伏せた。
「シーナ様。大恩ある貴女を、我が国の者が害しようとした事、お詫びのしようがありません」
カナン殿下のシュンとした顔を見ると、どうにも居た堪れない気持ちになるのですよ。あぁぁ、頭を撫でてあげたぃぃ。
「わたしは、ナリス王国に対して、何の恨みもありません」
頭は撫でる事はできないので、自分の正直な気持ちを伝えてみました。そもそも、ロルフ殿下がナルシストな変態で阿呆なのは、本人の責任だからね。ナリス王国のせいでも、カナン殿下のせいでもないよ。
「有難いお言葉です。感謝します。シーナ様」
カナン殿下の頬が、ほっとしたように緩む。その顔を見たら、堪らなくなった。あぁ。頑張ってるね、カナン殿下。まだ8歳なのに、いい大人の尻拭いなんかさせられて、可哀想に。何度も言うけど、まだ小学2年生だからね?子どもだからね?
「ですが、言葉だけでの謝罪では、何の誠意もございません。言葉を尽くすだけでは、信頼を取り戻すことなどできないでしょう」
そんな事ないよー。カナン殿下に謝られたら、すぐ許しちゃう自信があります!
そう思って口を開こうとしたら、サイード殿下に目線で止められた。おや?黙ってなさいとな?
「マリタ国王。我がナリス王国からシーナ様への謝罪として、次の事を提案します」
カナン殿下は陛下に向き直ると、恐ろしい事を言い出した。要約すると。
いち、ナリス王国の所有する鉱山の権利をわたしに譲渡する。ここは希少価値の高いルビーを多く産出する、優良な鉱山だよ。
に、マリタ王国とナリス王国の関税率について、マリタ王国に有利な条件に変更するよ。
さん、ナリス王国の王太子領の一部である、マリタ王国との国境付近の領土を割譲するよ。ぜひ、聖女領としてお納めください。
もうちょっと長い、よく分からない専門用語を交えてましたが、概ねこんな感じの説明でした。
わたし。ぽっかーんですよ。ぽっかーん。
ルビーの鉱山とかいらんし。好きな宝石はジンさんの瞳とお揃いのサファイヤだし。
関税とかは知らんし。サイード殿下が表情には出さないけど、何だか喜んでる気配がしたから、相当条件良さそうだけど、わたしになんの関係があるの?迷惑を掛けたマリタ王国への補償?ほー。
なにより、国境変えるな。聖女領って何だ、聖女は辞めたってば。
この提案に、誰も何も言わないの。いやいや。貰い過ぎじゃないの?ダイド王国では、殴られたり蹴られたり、刺されたり魔法で吹っ飛ばされたりって、日常茶飯事だったよ。ちょっといけないお薬を盛られそうになった事に対する補償としては、多すぎではないですか?
「如何でしょうか?」
カナン殿下は陛下を見上げる。その姿は、こっちの童話に出てくる、巨大な竜に立ち向かう、少年勇者の様だ。
「……そこの愚か者の処遇は何とする?」
だがしかし、少年勇者に対する巨大竜は甘くない。多すぎる補償にも絆されることもなく、温情の欠片もない視線を、平伏したままのロルフ殿下に向ける。
「王籍から外し、ナリス王国の王位継承権は剥奪します」
カナン殿下の言葉に、陛下は口元を歪めた。
「もともと、あれは王籍を離れ、王位継承権を放棄するつもりであったろう。それが処罰と言えるのか?」
「叔父は王籍を離れた後、公爵位を授けられる予定でした。その予定はなくなりました」
「ふ。言葉で私を弄するつもりか。公爵位ではなく、下位の爵位を授ける気であろう。それは、軽すぎる罰だ。あれは元々、市井の育ち。平民に堕ちたとて、苦労する事もあるまい。罰にはならんわ」
巨大竜の容赦ない攻めに、少年勇者の手札が尽きた。元々不利な所に、大人と子どもの交渉なのだ。勝てるわけがないじゃない。しかも相手は子ども相手でも全く手を緩めない、大人気ない陛下だ。でもカナン殿下は、折れずに巨大竜に対峙し続けている。偉いぞ!よく頑張った!
ところでさ。
わたしは、さっきからムカムカしていた。
だってさ。わたしの最大の癒しのカナン殿下が、こんなに頑張ってるのに、陛下はツンケンしたまんまだし。周りも口を出さないし。総監督は何か企んでるし。
小学2年生が国を背負って頑張ってるのに、誰も助けないなんて。いくら王太子だからって、酷くないかね?
だからね。
そろそろ、最大の被害者である、わたしも反撃していいよね?





