間話 ジンクレット側の捕縛計画
シーナちゃんとの食事を終え、バリーを供に部屋に戻る。
「はぁ。毎回、部屋に戻るのが億劫だ。シーナちゃんの部屋が遠すぎる」
「大して遠くは無いですよ。同じ道のりなのに、行きはイソイソ駆け足の癖に、帰りは未練たっぷりグズグズ歩くから、余計に億劫に感じるんですよ」
「……離れ難いんだ。もう少し一緒にいたい」
「毎日毎食一緒な癖に、何言ってるんですか。またリュート殿下にしごかれますよ?」
はーっとため息をつくバリーを、俺は睨みつけた。
「お前だって、俺がシーナちゃんと食事している間、キリさんに会えるじゃないか」
「会えますけど……。完全に侍女モードなので、俺の方は一瞥すらしませんよ」
「嫌なのか?」
「いいえっ、そこがイイんです!あの素気なく、職務に忠実なところがっ!でもシーナ様が美味しい食事に目を輝かせると、優しい顔になる所が、もうっ!いつまでも見てられます。いつまでも見ていたい……」
デレデレと鼻の下を伸ばして熱く語るバリーは、鼻息も荒くかなり鬱陶しい。キリさんも大変だな。こんな面倒な男に惚れられて。
俺の目から見て、バリーに対するキリさんの好感度は、かなり高い気がする。当の本人は、全く手応えを感じていない様だが。バリー曰く『前より態度は柔らかくなったが、恋愛的な好意は感じられない。進展させたくても、その雰囲気に全く持って行けない』らしい。それでも、キリさんに群がる男子の中では、ダントツに一位であると、信じているそうだ。侍女達の情報によると、ライバルもなかなかに手強そうだが。
「それにしても、キリさんはいつ、男どもの目に止まったんだろうな。シーナちゃんの専属侍女兼護衛だろう?殆どシーナちゃんに付きっきりだろうに」
騎士や兵士や文官や魔術師やら、多種多様な男共から求愛を受けている。一体奴らと、どこで知り合ったのか。
「ははははは。それ、本気で言ってます?誰かさんがシーナ様の面会相手を厳選しているから、代理でキリさんが色んな部署に出向いてるんですよ?ははははは。シーナ様の絡む案件は、莫大な利益を生みますからね。生半可な人に任せられないから、キリさん自ら動くんじゃ無いですか。やだなぁ。うちの主人は、夫婦揃って無自覚なんだから」
バリーの乾いた笑いに、俺はちょっとだけ反省した。しかし、あんなに可愛いシーナちゃんが不特定多数の男どもの目に晒されるなど、我慢出来るはずがない。
「まぁ。シーナ様は未だに不安定な立場ですので、現段階で接する人数を増やすのは得策ではないので仕方ないのですが。いいですか、ジン様。正式にシーナ様を婚約者と公表した後は、今の様な囲い込みは許されませんからね?」
「なんだと?危険だろうがっ!」
可愛いシーナちゃんがどこの馬の骨とも分からん男に攫われたらどうするんだ!
「王子妃になるんですよ?今みたいな籠の鳥生活を続けられる筈ないでしょ?公爵夫人になるなら、社交はつきものですよ?」
「だが……」
「シーナ様の妃教育の進捗状況、聞いてますよね?あの環境で育ったとは思えないぐらい、教養が高いです。マナーやダンスなど、まだ足りない部分もありますが、総合的に見て、十分との評価を受けています。あの素直すぎる所と、突っ走ると周りが見えなくなる所と、ご自身の価値に無自覚な所さえ気を付けておけば、立派に社交をこなせます」
「不安材料しかない。つまりシーナちゃんの魅力に気付かれないように、社交をこなせという事か?」
「能力や開発したもの一つでも、利用価値が高いですからねぇ。最近は身長も伸びてきて、子どもというより女性としての魅力も増していますし、って、痛いですよ!殴らないで下さいよ」
「お前がシーナちゃんを邪な目で見ているからだ」
「邪な目筆頭のジン様に言われたくありませんねっ!俺は客観的な視点で申し上げているんです。シーナ様、本当にお綺麗になりましたよ。栄養と休養が行き届いて、侍女達が毎日、精魂込めて磨き上げていますからね。仕草も姿勢も、頑張って身に付けられているし。あと一年もしたら、誰もが魅了される淑女になりますよ。しかも恐ろしいほどの付加価値があるレディです。そのお相手が、王族という取り柄しかないヘタレだなんて。はぁ。社交デビューしたその日に、シーナ様を掻っ攫われる未来しか見えない」
バリーが胡乱な目で俺を睨む。こいつが俺を敬う日は来るのだろうか。
「シーナ様がこんなに努力されているのは、ジン様の為ですからね。将来公爵夫人になられるとは知らなかった様ですが、王族たるジン様に相応しくあろうと、教師達がブレーキを掛けるぐらい、頑張っていたんですから。ジン様もあの方に相応しくあるために、外に出すぐらいでグダグダ言わないで、ドンと構えていただかないと」
バリーは俺の部屋の前で立ち止まり、ニヤリと口の端を上げた。
「ジン様の忠実なる側近からの忠告は以上です。それではヘタレ返上の手始めに、部屋に入り込んだ毒蛇の駆除をお願いします」
ギイッと開かれたドア。部屋の中から、何やら甘い香りが漂ってくる。いつもより灯が絞られた部屋は薄暗く、薄気味悪い。
「まるで、絵本に出てくる魔王の城の様だな」
「一応、媚薬を飲んだ風を装うぐらいはして下さいよ?いきなり討伐は困ります」
小声でバリーに叱られ、俺は舌打ちしたい気分になった。分かっている。証拠固めも必要な事ぐらい。
バリーを残し、部屋の中へ進むと、シャラリ、と音がした。
「ジンクレット殿下」
甘い香りに包まれた部屋の中、薄い夜着のラナ嬢が、蠱惑的な笑みを浮かべ立っていた。俺の髪色に合わせたつもりなのか、体が透けて見える程の赤い夜着は、ラナ嬢の完璧ともいえる身体の線をほとんど隠して居なかった。シャラシャラと音がしていたのは、ラナ嬢の手首にある細い金のブレスレットの音だった。
「お慕いしております。どうか、私を貴方様のものに……」
ラナ嬢が細い腕を伸ばして、俺の身体に抱きついてきた。その途端、立ち込める芳香。柔らかな肢体を俺に押し付けてくる。
俺はラナ嬢を無言で眺めた。部屋に立ち込める甘ったるい匂いも、この女が付けている香水にも、なにやら男を惑わす成分が混ざっている様だ。王族として色々と薬には耐性を付けているため、香りぐらいでは殆ど効果はないが、もし媚薬とやらを飲んでいたら、このうねうねと動く気色悪い女に惑わされていたのだろうか。薬というものは、恐ろしいな。
「ラナ嬢。どうしてこの部屋へ……?」
「女の身ではしたない事をとお叱りにならないで。私、ジンクレット殿下をお慕いするあまり、この様な事を……。それに、あの女に騙されているジンクレット殿下がお可哀想で……」
「騙されている?」
ラナ嬢は俺に身体を擦り付けながら、上目遣いで俺を見上げてきた。
「えぇ。あの偽聖女はジンクレット殿下の目を盗み、私の侍従に色目をつかっているのですわ。今日も寝所に私の侍従だけでは飽き足らず、護衛まで引き込んで……。穢らわしい」
護衛?あのビスクとかいう、弱っちそうな男の事か。サミエルの事は聞いていたが、護衛まで加えたのか。
目の前にいる女への殺意がメラメラと燃え上がったが、取り敢えずコイツはまだ生かしておかなくてはならない。
「シーナちゃんが?そんな事、信じられんっ」
俺は傷ついた様に見えるように、がくりと膝をついて顔を両手で覆った。どこかでバリーの失笑する声が、聞こえた様な気がする。なんだ、何か文句があるのか?
ラナ嬢はますます俺に縋りつき、俺の頭を宥める様に撫で回す。気持ち悪いが我慢だ。
「まぁ。お可哀想なジンクレット殿下。私がお慰めいたしますわ。さぁ、気を落ち着けるために、これをお飲みになって」
ラナ嬢は俺から離れ、グラスにワインを注ぐ。受け取ったグラスに口を寄せ、匂いを嗅ぐと、アルコールに混じってはいるが異質な臭い。ほぅ、ダメ押しの媚薬を仕込んだか。
これは素晴らしい証拠だな。王族の寝所に許しもなく入り、薬入りのワインを手渡した。アウトだ。よし、終わりでいいよな。
「さぁ。ジンクレット殿下。お飲みになって。これからは私が、貴方様をお支えしますわ」
女の目がギラギラ輝く。金や地位や名誉。これから手に入るであろうものに、興奮が隠しきれない様子だ。なんとも醜悪なものだ。見目がどれほど美しくても、その様なドロドロした目で見られては、嫌悪感しか湧かない。
シーナちゃんの目は、いつも澄んでいてキラキラしている。嬉しい時も楽しい時も、辛い時も悲しい時も。あの瞳は美しさを損なわない。前を見て踏ん張って、幸せな未来を掴もうと諦めない強さに溢れている。俺はそんな強さと、どこか脆さを秘めた瞳に、惹かれずにはいられないのだ。
そんなシーナちゃんが、この女の侍従と護衛に襲われているというのに、何故俺は、こんなヘビ女の相手をせねばならんのだ。
「おぉい、もういいだろう、バリー!」
「はいはい、お疲れ様でした、ジン様」
ペイッとラナ嬢を引き剥がし、そう声を上げると、暗闇の中から滲み出る様にバリーが出てきた。
「ご苦労だったね、ジンクレット。後の処理は任せなさい」
その横に、悪鬼の様な表情のアラン兄さんが佇む。おぅ、随分と怒っているな。
「あー。アウトっす。媚薬検知しましたー」
バリーが瞳に魔力を煌かせ、グラスを覗き込み親指を立てた。兵士に縛り上げられたラナ嬢が、金切り声を上げる。
「無礼ものっ!私に触れるなぁ!」
「無礼はどっちだ、ラナ・コルツ!お前は王族の寝所に不法に侵入し、薬物を盛った容疑で取り押さえられたのだぞ!」
アラン兄さんの大きくはないが威圧感のこもる怒声に、ラナ嬢が青ざめる。甘やかされて育った貴族の令嬢は、本気で怒鳴られた事などないのだろう。手練れの暗殺者さえ萎縮させるアラン兄さんの本気の殺気に、ひぃぃとしゃがれた悲鳴を上げた。
「後は任せたっ!」
「あー、ジンクレット」
しっぷうの剣を握って走り出そうとした俺を、アラン兄さんが止める。
「なんだよっ?」
急いでシーナちゃんの側に行かないと。囮になる事になんの躊躇いもなかったが、本心では怖がっているに違いない。早く行って安心させてやりたい。
「いやな……。お前、もう少し、演技の勉強をしなさい」
「ぶっふぇえ」
アラン兄さんの一言に、バリーが噴き出す。ぶるぶる震えて笑うもんだから、グラスが揺れた。慌てて側に控えていた兵士が、バリーの手からグラスを受け取る。大事な証拠を零されては敵わないからな。
「なんだあの棒読みは。聞いてて背中がむずむずしたぞ」
「ぐぶっ、ふぇふぇ、ア、アラン殿下、もう、そのぐらいで。ジン様、あれでも本気なんですからっ、ひぃっひぃっ」
「やはり、あれで、本気なのだな。あれでか……」
そんな、信じられないものを見る様な目を実の弟に注ぐな。
「人間、何かしら演じるという能力が、最低限は備わっているかと思っていたが、そうではないんだなぁ」
「ひぃ、ひぃっ、やめて、アラン殿下っ!俺の腹筋がっ、保たないっ!」
のたうち回るバリーを、アラン兄さんは叱りつける。
「笑っている場合じゃないぞ、バリー。ジンクレットの演技力をこのままにしてはおけんだろう。王族たるもの、腹芸の一つぐらいは出来ないと」
「分かっています、分かっていますからっ!ジン様の最優先課題の一つに追加しますっ!ひっひっ、でも今は、勘弁してくださいっ。死ぬ程笑うの我慢してたのに、笑わせないでっ」
バリーは「ぐっふ、何かしら演じる能力っ、ぶっふふ」とピクピクしながら呟いていた。しばらく使い物になりそうにないな。
「チッ、先に行ってるからな!」
護衛数名と共に、今度こそ俺は駆け出した。
それにしても。俺としては、会心の演技だったのだが。
一体何がいけなかったのだろうな。





