63 そして誤解は解ける
結論から言うと。
ジンさんは翌朝、わたしの元に全速力で駆け付けて、早々に白状した。
最強の助っ人凄い。わたしは、マリアさんの言うとおりに手紙を書いただけなのに。
『全て聞きました。しばらく会いたくないです』
そう、書いただけ。
初めは半信半疑だった。だって、キリと2人で、ジンさんとバリーさんを問い詰めた時は、頑なに何も教えてくれなかったんだよ。まさかこんな簡単な手紙で?と思ったのだ。
マリア先生曰く。第一のポイント。何を聞いたとも、何故会いたくないかとも書かない事。色々隠し事をしているときは、全部白状させるために、わざと曖昧な表現で、どこまで知っているのかを濁すのが効果的なのだとか。
第二のポイント。可能な限り短く、簡潔にする事。
わたしも王子妃教育の一環でお手紙の練習をしているから、これがどれほど礼を欠いた手紙かは分かる。貴族の手紙は長ったらしい回りくどい表現で書けば書くほど、喜ばれるのだ(偏見)。
プラス、ちょっと強めの乱れた筆跡で、いかにも、怒りや悲しみの余り、取り乱してこの短い手紙を書いてしまった風にしましょうと細かい指示付き。
こんな手紙が、恋しい女性から届いたら、大抵の男性は動揺します。直ぐに会いに来るでしょう。そこを一気に崩しましょう。
キリがマリアさんのお話を聞きながら、ふむふむと頷きメモを書き書きしていた。すぐに使える、男女間の駆け引き講座ですね。勉強になるね。
マリア先生からは、手強い男性だと、逆にこちらを探って情報を探ってくる事もありますが、その時は黙って男性の出方を見極めましょうと言われてたんだけど。
「違うんだ!シーナちゃん!誤解だ!!」
何が違うんでしょう。
「俺はただシーナちゃんを危険に巻き込みたくなかっただけだ!ラナ・コルツが侍従と護衛に命じて、よからぬ薬を我が国に持ち込んでいるという情報があって!奴らの目的が俺なのか、シーナちゃんなのか、まだはっきりしていない。そんな奴らに君を近づけたくなかったんだ!決して君を蔑ろにしていた訳じゃないっ!」
ほうほう。よからぬお薬。それは不穏ですね。
「ロルフの言う事は信じてはいけないっ!アイツはシーナちゃんを危険に晒すのを分かっていて、わざとラナ・コルツを我が国に連れ込んだんだっ!悪いヤツだぞ!あんな悪いヤツはいないぞ!」
慌てて追いついたバリーさんが、顔を覆って天を仰いでいらっしゃいます。ジンさんの口止めが間に合わなかったーとか嘆いている暇はないですよ、バリーさん。貴方も崖っぷちだからね。
キリが静かにバリーさんに近づいていく。何かを囁き、悲しげな顔でそそくさとバリーさんから離れる。バリーさんが驚いた顔で、慌てて、キリに何か弁明している。
キリには『バリー様の信頼を得られず、残念です』とだけ言いなさいと、マリア先生から指示が出ている。二人の関係がちょっと進み、これから本腰入れて口説こうとしているのにそんな事を言われたら、いくら冷静沈着で腹黒なバリー様でも慌てるはずです、と言っていた。
手強い男性用の講義までは必要なかったなぁ。
ジンさんもバリーさんも、凄い勢いで白状してくれてますよ。
「シーナちゃんっ!俺を信じてくれっ!ロルフより俺の方が絶対、シーナちゃんを大事に想ってる!君の為なら、どんな敵だろうと、一族諸共、根絶やしにしてみせる!お願いだ…俺から離れるなんて言わないでくれっ」
「キリさん!信頼していないなどと、とんでもないっ!ただ今回の相手は、違法な薬物を持ち込んでいて危険度が高かったので、ジン様と相談して、こちらで処理する事になったのです。ラナ嬢のお供も、貴女の目に触れるのも憚る下衆なんですっ!私は貴女に、公私共に私のパートナーになって欲しいと思っているんです。そんな貴女に、嘘なんて吐きませんっ!」
重い。
ジンさんが重いのはいつもの事だし慣れてたけど、バリーさんの言動を目の当たりにするとキツイ。処理って、何するつもりだったんだろ。
そして、どさくさに紛れて、プロポーズしてないか?キリってば、毎日こんな熱烈な告白されてるのかな。
…もしかして、周囲からすると、ジンさんの愛情表現もこんな風に見えるのだろうか?
いや、ジンさんの発言は、ちょっと大袈裟だけど、普通なはず。多分…。違うの?
視線を転じると、こちらを見守るマリアさんとバネッサさんの表情が…。あぁぁっ!そんな生贄を見るような目でわたしたちを見ないでぇ。
…心中の嵐はともかく。
ジンさん側の事情はある程度分かった。わたしの膝に縋りついているジンさんのこの様子だと、キリが言う通り、ロルフ殿下にわたしを託そうなどと微塵も思っていないのだろう。
わたしに事情を話そうとしなかったのは、わたしとキリを危険から遠ざけ、ジンさんとバリーさんの2人だけで問題を解決する気だったからだろう。
心の中に、黒い気持ちが一杯になる。
守ってもらって嬉しいなんて、思えなかった。
ジンさんにも、そして何より、ジンさんを信じられなかった自分に、腹が立った。
「…ジンさん。わたしに危険があるから、ラナ嬢に会っちゃダメって言ってたんだよね?でもそれって、わたしの知らない所で、わたしの代わりに、ジンさんが危険な事してるって事だよね?」
そっぽを向いたままわたしが問えば、ジンさんの動きがピタリと止まる。
「シーナちゃん、俺はっ」
「全部任せてしまえばいいって、ジンさんは言ってたけど。嫌だよ、わたし、絶対に嫌。辛くても大変でも、自分に関わる事なら全部、自分で分かっていたい。ジンさんに押しつけて、知らない内に守られているなんて、嫌だ」
もしそれで、ジンさんが危ない目にあったら。
怪我をしたら。
命を落とす様な事にでもなったら。
考えただけで怖い。涙が出てきた。勝手に出てこないでよ。泣き落としなんて、したくないっ!
流れた涙を袖で拭って、わたしはジンさんを見つめた。
「わたしは、ジンさんに全部押し付けて幸せにしてもらうために結婚したいわけじゃない。何かあったら、一緒に考えて解決したい。すぐにヘロヘロになるし、揺り返して寝込んじゃうから、ジンさんはわたしの事、頼りないって思ってるかもしれないけど、わたしだって、ジンさんの事、大事だから守りたいよ」
ジンさんが、苦しそうに顔を歪める。でもわたしは、言葉を止める事が出来なかった。
「それに、ロルフ殿下の事だって…。陛下がロルフ殿下を婚約者候補に選んだって聞いて、凄くショックだった。わたしの事なのに、誰もわたしに教えてくれなかった。わたしとジンさんの将来に関わる、大事な事なのに」
ロルフ殿下に婚約者候補の事を教えられた時、足元がガラガラと崩れていくようなショックを受けた。ジンさんの事も、マリタ王国の事も、信じていいのか、分からなくなった。また、前みたいに、騙されてるんじゃないかって、怖くなった。だけど。
「キリが…、ジンさんと、もう一回話してみた方が良いって言ったから…」
キリがそう言ってくれたから。だからわたしは全てを捨てて逃げ出す前に、踏みとどまった。逃げたかった。真実なんて、知らない方が良いかもしれないって、怖かった。知って、また裏切られて、傷つくのが怖かった。
だけど、キリが予想していた通り、ジンさんが黙っていたのは、わたしの事を守るためだった。そんなジンさんを、キリみたいに、わたしはちゃんと信じる事が出来なかったのだ。
「信じたいのに…。ゴメンね、ジンさん。わたし、全然、ダメだったの」
やっぱりジンさんはジンさんだった。ホッとしたと同時に、わたしを守ろうとしてくれた人を信じられなかった事に、嫌悪感で一杯になった。
わたしは、こんな風に、大事にしてもらう価値なんてない。
弱いわたしはすぐに揺らいでしまう。信じるべきものも、そうでないものも、やっぱりわたしには分からないんだ。大好きなジンさんの事さえ、疑ってしまった。きっとどこか、わたしは壊れてしまっているんだ。
こんなんじゃ、いつかきっとジンさんを傷つける。わたしに疑われてばかりで、きっと、嫌になる。王子妃なんて、ただでさえ大変な立場なのに、こんな疑ってばかりで、信頼関係も碌に築けないような相手じゃ、ジンさんの負担が大きくなる。
「シーナちゃん」
ポンポンと、ジンさんの手がわたしの頭を撫でた。その感触の優しさが申し訳なくて、わたしは俯いたまま顔を上げられなかった。
「いいんだ。いいんだ。シーナちゃん。君はそのままで。俺やマリタ王国の事が信じられなくても、いいんだ。無理に信じなくていいんだ。罪悪感なんて、持つ必要はない」
一言、一言、ジンさんは言い聞かせる様に言葉を区切った。
「全部、俺が悪いんだ。君の信頼を揺るがしてしまった俺が」
ジンさんの両手が、スルリとわたしの両頬を包む。優しく顔を上げられて、わたしは逸らしていた目を、ジンさんの青い瞳に合わせた。
「シーナちゃん。君は何も悪くない。身も心もすり減らして信じていた相手に裏切られたんだ。簡単に他人を信じられなくなって当然じゃないか。君は何も悪くないんだ。俺が足りないだけだ、シーナちゃん。君に無条件に信じてもらえるほどの信頼を得られていない、俺が悪い」
ジンさんは苦い笑いを浮かべた。
「なあ、シーナちゃん。バリーは口が悪いだろう?俺に対する敬意を、多分、生まれる時に母親の腹に置き忘れてきたんだと思うぐらい、横柄なヤツだ」
「なんですか、急に。喧嘩売ってるんですか?」
突然の話題転換に、バリーさんが剣呑な声を出す。
そんなバリーさんには見向きもせず、ジンさんは続けた。
「でもなぁ。俺はバリーがどんな怪しげな態度を取ろうとも、周りがどれほど疑おうとも、コイツが俺を裏切るなんて、思う事は無い。疑う余地もないぐらい、コイツを信頼している」
「ふぉっ?!」
バリーさんが変な声をあげた。
「な、な、な、ジン様っ、何をっ!」
珍しく、バリーさんが赤面してる。いつもの余裕がなく、パクパク口を開け閉めしている。
「君にとってのキリさんと同じぐらい、俺はバリーを信頼している。俺はな、まだ、俺のバリーの様に、君のキリさんの様に、君に無条件に信じてもらえるまでにはなっていないんだ。君に好いてもらえているとは思うが、まだ、信頼を積み重ねてはいないからな」
ふっと、ジンさんは笑った。得意げに。
「なぁ、シーナちゃん。俺はやるぞ。絶対に、キリさんぐらいの信頼を、君から勝ち取ってみせる。俺がどんなに疑わしい事をしても、君から無条件に信じてもらえるぐらいに。俺に任せておけば、大丈夫だと君に安心してもらえるぐらいに。だから、シーナちゃん。君は君のままでいい。信じられない時は信じないでいい。俺が信じてもらえる様に変わるから。だから、君は何も心配しなくていいんだ。信じられなくて逃げ出しても、俺が必ず、見つけてまた信じてもらえる様に頑張る。だから、信じられないぐらいで、落ち込まなくてもいいんだぞ」
ジンさんは振り向いて、バリーさんとキリを見て、ふぅっとため息をついた。
「なぁ、シーナちゃん。バリーとキリさんは凄いな。どうやったらあんなに信用されるんだろうなぁ?俺たち、ほんっとにアイツらを疑わないだろ?凄いよなぁ」
はははっと、目を細めて笑うジンさんに、わたしは何も言えなかった。
胸が軽くなって、目の前が明るくなったみたいだった。情けなくて申し訳なくて苦しかった心が、晴れ渡った空みたいに、スッキリした。
ぼろぼろ勝手に涙が溢れた。
ああもう、やっぱり。
全然かっこ良いところなんてないし。情けないし。ちょっと怖いぐらい重苦しいんだけど。
でも、やっぱり。いつもわたしを救い上げてくれるのは、ジンさんなんだよ。





