62 最強の助っ人
ピシーンと、鞭を打ち鳴らす幻聴が聞こえた。
にっこり。いつも通りの、優しく、温かく、頼もしい笑顔な筈なのに。ゴゴゴゴゴッと炎が見える。これは幻覚ですね。
「申し訳ございません、シーナ様。主人の言葉を疑うなど、有るまじき事だと分かっておりますが、敢えてお聞き致します。今、お話し頂いた事は、事実でしょうか?」
怖い。
グラス森で色々と手強い魔物と対峙して、討伐してきたわたしとキリだけど。
多分、今が一番、生命の危機を感じている。それぐらい、怖い。キリも緊張の面持ちで、ピシリとわたしの横に立っているもの。
「うん…。本当の事だよ、マリアさん」
最強の助っ人。キリがそう言ったのは、マリタ王国の筆頭侍女長である、マリアさんだ。身分は高く無いけれど、陛下に見込まれ若くして侍女長に登用されたその実力は、広く国内外に知れ渡っている。マリタ王国の気難しい大臣さん達だって、マリアさんと接する時は敬語アンド直立不動だ。軍部の大臣さんなんて、言葉の最後に『イエス、マムッ』って付けちゃうぐらい恐れているんだよ。あんな強面の筋肉の塊を、どうやって手懐けているのかは謎。
見た目は年齢不詳の美魔女だが、中身は肝っ玉母さんの様で、わたしもキリもマリアさんには頭が上がらない。特にわたしは心配とご迷惑を掛け倒しているので、前世の母、ヨネ子と同じぐらい、足を向けて寝られ無い人だ。
ロルフ殿下が帰ったあの後。キリは秘密裏に侍女長さんに連絡すると、すぐに侍女長さんと腹心のバネッサさんが駆け付けてくれた。キリがわたしを毛布で包み、侍女長さんとバネッサさんが最低限の荷物を纏め、侍女長さんの腹心の護衛達に前後左右を囲まれて、別のお部屋に連れていかれた。厳重だ。
それからわたしは、マリアさんとバネッサさんに先ほどまでのロルフ殿下との会話とか、不安とかをまるっと相談した。話していくうちに、バネッサさんの顔がどんどんと能面のように無表情になり、マリアさんは逆に笑顔が広がっていくのが怖かった。
「陛下と王妃様ともあろう方々が…」
マリアさんって、怒る程に笑顔になるんだー。凪いだ水面みたいな静かな怒りだけど、その下はグツグツマグマが激っている様だ。バネッサさんは無表情。すごい、素の顔。
「あの、ごめんなさい、マリアさん、バネッサさん。相談しちゃったら、マリアさん達まで巻き込むことになっちゃう…」
頭がぐるぐるしてたわたしは、いつも親身になってくれるマリアさん達についつい相談しちゃったけど、2人は陛下や王妃様に仕える立場だ。こんな事に巻き込んだら、陛下や王妃様の意向に逆らっちゃう事になるもん。立場が悪くなっちゃう。
なんでそんな簡単な事も考えられないんだ、わたしって。こんなんだから、王子妃には相応しくないって思われたんじゃないだろうか。
王子妃になる為の勉強は頑張っているけど…。やっぱり庶民だから、生粋のご令嬢が普通に身につけている優雅さとか常識とか、全然追いつかない。ジンさんはそんな事ないって言ってくれるけど、わたしの事、頼りないって思われているんだろうな。
自己嫌悪と申し訳なさに、ぎゅっと目を瞑って俯いていたら、目の前に気配を感じた。
そうっと目を開けると、マリアさんが目の前にいて、優しい笑みを浮かべていた。
「お優しいシーナ様。私達の事を、ご心配いただいたのですね」
壊れ物に触れるみたいに、優しく頬に触れられる。
「シーナ様。以前に差し出がましくもお話を聞くぐらいなら出来ますと申し上げた事、覚えていて頂き、光栄にございます。矮小な身でありますが、シーナ様の為に、全力を尽くしましょう」
マリアさんはフフフと笑う。
「陛下や王妃様より、私共はシーナ様の御心に添い、お世話をする様に命じられております。例え此度の事が、陛下がシーナ様ご自身の安全を考えての事であろうと、この様にシーナ様の御心を曇らせるのならば、それはシーナ様の御為にはなりません」
笑んだまま、ギリリッと、マリアさんの目が吊り上がる。夜叉の顔だよ。
「主人の行いが正しく無い時、真の臣下はこの身を懸けて諌める義務がございます。ええ。例え尊敬する陛下、王妃様がお相手でもです」
「マ、マリアさん…?」
「いくらシーナ様の安全の為とはいえ、勝手にあのタラシに婚約を打診した?確かにジンクレット殿下はキングオブヘタレでございますが、日々、少しずつは成長を見せております。何より、シーナ様をご覧になっていれば、あのヘタレに深い愛情を持っていらっしゃるのは一目瞭然!それを引き裂こうなどとっ!しかも相手に選んだのが、あのいけ好かないタラシ!確かに武勇や知略に優れた方とはお聞きしておりますが、あのタラシに、ウチの侍女が何人泣かされたか、ご存じなのかしら?」
轟々とマリアさんから、怒りの炎が燃え上がっている。誰かー!消火班を呼んでー!助けを求めるようにバネッサさんを見れば、こちらも無表情に怒っていらっしゃるー。
マリアさん達の中でジンさんの評価もまぁまぁ酷いが、それを上回る勢いで、ロルフ殿下の評価が低い。言葉遣いに厳しいマリアさんが、よその王族をタラシ呼ばわりしてる。
「そ、そんなに酷いの?ロルフ殿下って」
「確かにあの方は、割り切った関係が持てる子ばかりを選んでいらっしゃいました。だからといって侍女達に心が無いわけでは御座いません。なまじ、お優しく魅力的な方だけに、ついつい本気になってしまう子も、いないわけではありませんから」
侍女達のおっ母さんは、悲しげに顔を歪める。
本人が納得してたとしても、侍女達が先のない恋をする事に、心を痛めていたんだろう。
「吹っ切る事ができず、辞めていった子もいます。泣いて泣いて、他所へ嫁いだ子もいます。いくら可愛い侍女達の事とはいえ、男と女の間柄にわたくしが口を挟む事など出来ません。…ですが、あの子達のことを思うと、わたくしはあの方をどうしても良く思えないのです」
伏せた物言いだったけど、マリアさんの気持ちが十分に伝わった。厳しいけど、とっても優しいお母さんだから、泣く侍女達が立ち直るまで、ずっと寄り添ってあげたんだろうな。
ロルフ殿下は、優秀な人だと聞いた。
王族としての責任を持ち、国を守る為に率先して兵を率いて戦い、兄である国王を陰日向に支え、甥である王太子を厳しくも優しく導き、民や兵達からも人気が高い。涼しげな美貌で、紳士的な態度で、女性関係が華やかだけど、それも好意的に受け取られているって。所謂、大人の付き合いが上手いタイプ。
「わたし、そんな人無理だなぁ」
前世のアイドルぐらい遠い存在なら、格好良いって、キャーキャー出来るかもしれないけど。前世でフタクソ彼氏しかいなかったわたしには無理。上級レベルすぎる。取り扱えません、容量オーバーです。
「浮気とか疑って苦労しそうだし、そもそもそんな人とじゃ、並んだって釣り合わないし…」
気づいたら、頬に涙が伝っていた。
違う、違うよ。どんなカッコいい相手でも、嫌なんだよ。
ジンさんじゃないんだもん。
他の人の側にいる自分を、別の人といるジンさんを想像したら、胸がギュウギュウと締め付けられるみたいに痛んだ。
「他の人じゃ嫌だ。…ジンさんの、お嫁さんになりたいよぅ…」
「まぁぁぁ。シーナ様っ」
涙が込み上げで止まらなくなったわたしを、マリアさんが抱きしめてくれた。柔らかくて懐かしくて、温かくて安心出来た。うぅ、ヨネ子を思い出す。
「あのヘタレをそこまで想ってくださるなんて…!えぇ、えぇ。あのヘタレにシーナ様は勿体のうございますが、シーナ様がそこまでヘタレを想って下さるなら、仕方ございません。アレを私どもが責任を持って鍛え直し、一人前に致しましょう。それにしても、ヘタレのくせに、一丁前にシーナ様に隠し事をするなど。ちょっとキツめにお灸を据えなくてはいけませんねぇ」
マリアさんは、マリタ王国の兄弟たちを、子供の頃から育ててきた人だ。いわば、第2の母親の様なもので、悪さをしたら、容赦なく躾けたと聞いている。
「シーナ様を守ろうとするその志は良し。しかし全てを隠すから拗れる原因となってしまうのです。殿方というものは、秘密を嗅ぎつける女の嗅覚を過小評価しがちです。隠し事なんて、バレバレなんですよ。女をどれほど侮っているんですか、全く、男ってこれだから」
はぁぁ、と深いため息を吐いて、マリアさんはピッと人差し指を立てた。
「シーナ様、宜しいですか?最初が肝心です。鉄は熱いうちに打てと申しますでしょう?殿方には『貴方のなさろうとする事は全て筒抜けですわ。隠し事をするなら、それ相応の覚悟を持ってやりなさい』と心身に叩き込んでやらなくては、同じ事を繰り返します。シーナ様も立派な淑女となるために、お覚悟を持って、ジンクレット殿下をお躾けなさいませ」
にっこり。優雅で柔らかな笑みを浮かべるマリアさん。
その後ろで、バネッサさんもようやく、能面を解除して慈悲深い笑みを浮かべている。
キリの言う事はいつも正しい。
恐ろしく強力な助っ人を、わたしは手に入れたみたいだ。





