61 侵入者の去った後
内容的には「58 疑惑」の後になります。
ここから暫く、ラナ嬢とその仲間達の捕縛の裏側のお話になります。
裏でどういう動きがあって、あの捕縛に繋がっていくのか。とっ散らかっていたお話が全て繋がるように、頑張ります。
「わたし…なんて、いない方がいいのかなぁ」
頼りなく消えていく声。グラグラと足元が崩れていくみたい。手が冷たくなっていた。暗い想いに囚われたわたしの心を反映するように、身体のすべてが冷え切っていく。
そんなわたしに寄り添ってくれたのは、キリだった。温かな手が、そっとわたしの手を取る。
「シーナ様」
いつもの、キリの優しい声。グラス森にいる時も、ずっとこの優しい声が、わたしを包んでいてくれた。ゆるゆると顔を上げると、銀の瞳がわたしを見つめていた。
「シーナ様を害する者は、私が倒します。シーナ様がマリタ王国を出ると仰るなら、私がどこまでもお供いたします」
いつものキリの言葉。でも、今日は続きがあった。
「シーナ様が、王子妃にふさわしく無いなどと、そんな事はございません。シーナ様はご自分の価値を軽んじていらっしゃいますが、私にとっては最高の主人であり、素晴らしき可能性を秘めた稀有な方です。シーナ様は以前、私にバングルとほのおの剣を下さった時に、仰いましたね。『混血の孤児なんか、なんて二度と言うな。わたしのキリを貶すのは、たとえキリ自身であっても許さない』と」
嬉しそうに微笑んで、キリはわたしの手を両手で包み込んだ。
「私はシーナ様から色々なものを賜りましたが、あの言葉以上に嬉しかったものはありません。シーナ様と出会うまでは、混血の孤児と蔑まれることが多く、自分自身を誇りに思うことが出来ませんでした。しかし、シーナ様から頂いたお言葉のお陰で、私は誇りを持って生きることが出来ます」
「キリ…」
「シーナ様。あの時のお言葉をお返しいたします。『わたしなんて、などと二度と仰らないでください。私の主人を貶すのは、例えシーナ様ご自身でも、私は許しません』」
キリの柔らかな叱責に、胸に温かな光が灯ったみたいだった。
「うん…。ごめんね、キリ」
誰に疎まれても、わたしにはキリがいる。
わたしを信じて、どこまでも付いて来てくれる、キリがいる。
「うん…!もしマリタ王国に要らないって言われるんだったら、もう、2人で出ちゃおう!また、2人で旅をしよう!」
わたしは色々なものを振り切る様に、勢いをつけて、そう言った。大丈夫。きっと大丈夫。今は痛くても、時間が経てばきっと、痛みは消えてくれる筈。
でもキリは、何でも分かっているみたいな顔で、ゆっくりと首を振る。
「シーナ様。この国を出るとお決めになる前に、もう一度ジンクレット殿下とお話をされてはいかがでしょうか」
「ジンさんと?」
ジンさんの事を思うと、胸が軋んだ。決心した筈なのに、グラグラと迷うわたしに、キリがしっかりと頷く。
「はい。私は、レクター殿下の側にいる時のシーナ様も、ジンクレット殿下の側にいるシーナ様も、ずっと見守って参りました。今のシーナ様は、レクター殿下に騙されていた時とは全く違います。シーナ様は、レクター殿下相手には、萎縮なさって、言いたい事も沢山呑み込んで、我慢ばかりなさっていました」
キリが、辛そうに目を伏せる。そうだね、あの頃は、ずっと薄笑いを顔に貼り付けてた。そうしないと、キリが心配するから。他の言葉を口にしたら、そこからパリンと砕けてしまいそうだった。大丈夫が口癖で、何を聞かれてもそう答えてた。
「シーナ様は、ジンクレット殿下のお側にいらっしゃる時は、幸せそうな顔をなさっています。安心して、寛いで、嬉しそうです。ジンクレット殿下がお相手だと、毎日怒ったり、笑ったり、甘えたりなさっています。私にも、素直にお心を見せてくださいます。それは、ずっと見守ってきた私が断言いたします」
キリが優しい顔で笑ってくれる。手を握り、しっかりと頷いてくれる。それだけで、不安に取り込まれそうになっていた心が静かになっていった。
キリはずっとわたしを見ていてくれた。
グラス森討伐隊にいた時は、ここから早く出るべきだ、レクター殿下を信用してはいけない、このままでは死んでしまうとずっと言われてたっけ。
でもマリタ王国ではそんな事、言われた事はない。いつもピンと張り詰めていたキリも、柔らかくなった。何より、わたしの世話を、他の人に任せる様になった。それはキリが、マリタ王国を、ジンさんを、信頼しているからだろう。
「ジンクレット殿下は、シーナ様を大事に思うあまり、お一人だけで全て解決しようとしていらっしゃる様です。シーナ様は、それを望んでいらっしゃいますか?」
キリの言葉に、わたしは反射的に首を振った。
そんな事、望んでなんかない。
わたしを守って、わたしの知らない所で、ジンさんが怪我したり傷ついたりするなんて、ヤダ。
キリに言われて気づいた。何が一番ショックなのか。
陛下がわたしに黙ってナリス王国に婚約の打診をした事より、ジンさんがわたしに何も話してくれなかった事の方がショックなんだよ。どうして2人のことなのに、教えてくれなかったんだろう。
ジンさんはわたしを守ろうとしてくれているのかもしれない。でも。
視界が歪んだ。鼻の奥がツンとして痛い。それ以上に、胸が痛い。
「ジ、ジンさんは…」
嫌な想像が頭をグルグル回る。わたしに背を向けて、遠ざかっていくジンさんの姿が。
「…ジンさんは、わたしの安全のためなら、わたしの意思なんて関係なく、ナリス王国に追いやるつもり…」
「それはないと思います」
私の言葉をぶった斬り、ものすごく早口で、キリが言い切る。余りの勢いに、涙が引っ込んだ。
キリに出来の悪い子を見る目で見られたよ。え?たまにこういう目で見られるけど、何故だ。
「シーナ様。ジンクレット殿下の執着を甘く見てはいけません。あの方は、シーナ様と添い遂げる為なら、どんな非合法な事でもなさる方です」
非合法?とな?なにそのヤバい感じ。
ふうーっとキリは深いため息を吐いた。
「正直、シーナ様がジンクレット殿下の愛のヤバさ、いえ、重さ、…いえ、ええっと。…深さに、なぜお気づきになられないのか不思議なのですが。それは置いといて。ジンクレット殿下がシーナ様から離れるなんて、あり得ない心配はなさる必要はございません。それと、何故、ジンクレット殿下がロルフ殿下との婚約話を隠していらっしゃったのかは、…想像ですが、予想は付きます」
えっ?キリはジンさんが口を割らなかった理由が分かるの?
うちの子、名探偵でもあるの?凄いキリ!
「分かるの?教えて!」
キリは悩まし気な顔で口籠る。すっごく言いにくそうだ。
「私には、陛下がロルフ殿下をシーナ様の婚約者候補とした理由について、判断はつきかねます。何か深いお考えがあってのことでしょうが、正直、ロルフ殿下を過大評価し過ぎているかと思います。私には分かりませんが、どこか優れた能力はお持ちなのでしょう…。私には分かりませんが」
キリの言葉のチクチク感が凄い。嫌いなんだねー、ロルフ殿下の事。
ロルフ殿下は、女性関係は華々しいけど、それ以外の悪い噂は聞かない。仕事が出来る、身分が高い、顔がいい。表向きの性質を見れば、好条件ではあるのか。それに、多分…。あの強引で冷静な感じと、侵入やら魔法の使い方見てたら、かーなーり、裏方の仕事もやり慣れてる感がある。バリーさんぽいのよ。あの、笑顔の裏が読めない感じ。
「そして、ジンクレット殿下ですが、多分…、その。ロルフ殿下について、口を噤んでいた理由は…。ご本人から聞いた方が宜しいかと存じます。私が思い付いたのは、かなり、くっだらない理由なので」
くっだらないって…。言葉遣いに厳しいキリが、そんなに乱れるぐらいくっだらないの?気になる。
教えて欲しいとお願いしたけど、キリは「もし私の予想が外れていましたら、不敬罪になりかねませんので」と教えてくれなかった。そんなにくっだらないのか。
確証が得られるまでは謎解きしてくれないのは、前世の名探偵も今世の名探偵も一緒なのね。
「ううーん。じゃあどうしたら良いの?ジンさんもバリーさんも、何も教えてくれないし。このままカナン殿下や不法侵入ナルシストが帰っちゃったら、ナリス王国との関係が悪化しそうだし、陛下がなんでナリス王国にわたしの婚約を打診したのか、分からないままになっちゃうよ」
ナルシストが陛下はわたしの事が大事だからとか言ってたけど、あんな奴を婚約者候補に選んだ時点で、説得力ゼロだし。こんなモヤモヤした気持ちのままでいるのは嫌だー。かといって、陛下やジンさんを真正面から口を割らせるのは、わたしの交渉力じゃ無理ー。煙に巻かれる未来しか見えない。
今回はモテ友直伝の、涙目でお願いも、ジンさんにはギリギリ効かなかったのだ。くそぅ。
「ナルシストはどうでもいいけど、カナン殿下とは仲良くしたいのに…」
わたしの癒しのカナン殿下が。ぷくぷくほっぺとこのままお別れなんて、耐えられん。
唸りながら悩むわたしに、キリはにっこりと微笑んだ。
「シーナ様。私、最強の助っ人を存じ上げております」





