間話 サミエルとキリ【後編】
「今の話は本当なの?」
怒りに震えるラナは、サミエルを睨みつけた。
「あの孤児を由緒あるナリス王国に迎えるだなんて、なんて、おぞましい」
「聖女の侍女から聞きましたので、間違いないかと」
「平民の血が半分流れるロルフとはお似合いかもしれないけど、ダイド王国の大罪人をナリス王国の王族の末席に加えるなんて、許されるはずないわ。陛下も、なぜそんな事をお許しになったのか!」
ため息をつくラナに、サミエルは笑みを浮かべた。
「その様な忌まわしき話ごと、聖女など潰してしまえば問題ありません。その為に、ラナ様。少々、ご協力を」
「協力?」
不機嫌そうにラナは鼻を鳴らしたが、サミエルの話を聞いて、コロコロと笑い出した。
「ふふふ。面白いわ。私にお芝居をしろと言うのね。仕方ないわ、お前の言う通り、暫く大人しくしてあげる。…それにしてもお前は、本当に悪知恵の働く事。あの侍女も、すっかり貴方に夢中の様ね?」
「あの手の自意識の高い女は、少し弱々しい男として同情させ、ここぞと言う時に頼り甲斐を見せると、コロリと堕ちてしまうんですよ。ラナ様も、悪い男にはお気をつけ下さい」
すました顔のサミエルに、ラナは笑う。
「お前程度の男に騙されるのは、田舎臭い小娘ぐらいよ。生意気ね」
「これは…、失礼いたしました」
似たもの同士の主従の間には、毒の花の様な笑いが広がっていた。
◇◇◇
帰国も数日後に迫ったある日、サミエルが思い詰めた様な顔でキリの前に現れた。
「キリ。僕を信じて欲しい」
サミエルは小瓶に入った薄桃色の液体をキリに見せる。
「これは、我が国で貴婦人が眠れない時に飲む、軽い眠り薬なんだ。これを、シーナ様に飲ませてくれないか?」
「何ですって?」
キリは驚いて仰け反った。サミエルから逃れようと一歩引くが、サミエルはそんなキリの腕を掴み、懇願した。
「シーナ様のためなんだ、頼む!」
「一体、何を…。シーナ様の為とは?」
「君はシーナ様が、ジンクレット殿下の妃になる事が、本当に彼女の為になると思っているかい?平民という身分で、殿下の寵愛だけを頼りに妃になったシーナ様が、殿下の心変わりで捨てられたらどうする?何の寄る方もなく打ち捨てられて、それでも一度妃になったからには、別れる事も出来ない」
一夫一妻制をとるマリタ王国やナリス王国では、離婚もそう容易くは出来ない。一度夫婦となれば、心が離れても形の上では夫婦を続けるのが常だった。
「平民で下級貴族に嫁入りする事はあるが、その後も幸せが続くなど殆ど例がない。他の貴族からは陰で笑われ、実家も後ろ盾もない平民の妻は、婚家で蔑ろにされる事が多く、酷い時は虐待や病んでしまうこともある。君も知っているのではないか?」
キリは平民の出だが、確かにそんな話を聞いた事があった。貴族と平民の結婚は、御伽噺のように簡単に幸せになれるものではない。貴族同士の結婚のように、家同士でパワーバランスを保つ事も出来ないので、平民はどうしても立場的に弱いのだ。
「それに、貴族は教養や社交が出来る事が、家を取り仕切る妻の必須条件となる。王族ともなれば、普通の貴族よりもより高い教養が求められる。平民のシーナ様に、それが出来るのかい?出来なければ、彼女は社交界で軽んじられ、辛い想いをするかもしれない。そんな時に、殿下のお気持ちまで離れてしまったら…」
「ですが、ジンクレット殿下はシーナ様を必ず幸せにするとっ…」
「それは、シーナ様の能力を利用する為の便宜か、同情の気持ちから出た言葉ではないのか?シーナ様が不遇な境遇だったから、庇護欲にかられ、有用であるから保護下に置いた。シーナ様を同情で妻にすると仰っているのでは?」
「そんなっ!」
「キリの目から見て、殿下のシーナ様を想う気持ちは、単に利用する為だとか、同情ではないと言い切れるか?」
「そ。それは…」
キリは唇を噛み締めた。初めてシーナとジンクレットが出会った時、ジンクレットはシーナの事を放って置けないと言っていた。あれは同情心から出た言葉ではないと、言い切れなかった。
そして、最近、マリタ王国に疑心を持った一件、ロルフ殿下の事もある。シーナやキリに内緒で、マリタ国王は、ナリス王国の王弟を婚約者候補に選んでいた。ジンクレット殿下もそれを知っていて、シーナに何も言わなかった。
それは、シーナの気持ちを蔑ろにして、国益のために利用しようとする、最たる証拠ではないのか。
「キリ。ラナ様もシーナ様のことを心配している。最近は落ち着かれて、癇癪も減っているだろう?俺が、キリから聞いた話を、ラナ様のお耳に入れたんだ。そうしたら、凄く、考え込まれていた」
「ラナ様に?話してしまったの?」
他言はしないと言ったのに、と非難がましく見つめるキリに、サミエルは首を振った。
「キリ。君が考えているほど、今回の件は軽いことではないんだ。ラナ様はとても心配していらっしゃる。あの様な何も分からぬ成人したばかりの娘を妃にするなどと、シーナ様が不幸になるのが目に見えていると。今は御伽噺の様な恋に溺れていても、直ぐに現実を思い知るだろう。マリタ王家にいい様に利用されるのを見殺しにするのは忍びない。ラナ様も婚約の解消で社交界であらぬ噂を立てられ、辛い思いをしてきたのだ。そんな思いを、シーナ様にはさせたくないと仰ってくださるんだ。辛い思いをしたからと、自分の傷ばかり見て他人に当たり散らし、シーナ様にも失礼なことを言ってしまった事も、謝罪したいそうだ」
確かに、最近のラナは与えられた部屋で大人しくしている。癇癪も治り、謝罪めいた言葉や労りの言葉を侍女たちに掛けるまでになっていた。
「ようやく、本来のラナ様に戻られたのだ。言い訳に聞こえるかもしれないが、あの方は、社交界で本当に辛い目に遭われていたのだ。だからあの様に、自分を守る為に、周囲に攻撃的になって…。本来のラナ様は、公爵家の令嬢に恥じぬ、気高く優しい方なのだ。だから、シーナ様のことを、本当に心配している」
「でもそれならどうして、シーナ様に眠り薬なんて」
キリはラナが元に戻ったと喜ぶサミエルに疑問をぶつけた。
「ラナ様が、シーナ様に会おうとすると、ジンクレット殿下や、陛下の邪魔が入るんだ。シーナ様は今、ナリス王国の者と面会を許されていないだろう?」
シーナは今、陛下直々に、ナリス王国との接触を禁じられている。これまで毎日の様に会っていたカナン殿下とも会えず、それが一層、シーナの孤独や疎外感が増す原因となっていた。
「ラナ様の今までの態度を考えれば、それも仕方ないんだけどね。でもラナ様は一度、王子妃になる事の心構えを、シーナ様にお伝えしたいと仰っているんだ。もし少しでも不安があるならラナ様が力になるし、シーナ様の覚悟がお有りなら、ラナ様はジンクレット殿下から身を引き、コルツ公爵家の力を持って、マリタ王家から簡単に利用されぬ様、シーナ様の後ろ盾になっても良いと。妃になるという事は、甘く楽しい事ばかりじゃない。ジンクレット殿下は耳に優しい事しか、シーナ様に伝えてないのではないかと、心配しておられる」
サミエルは、ラナ様は心配性で優しい方なのだと苦笑した。祖国でも他の貴族家の令嬢の相談相手になっていたという。しかし、親身になって助けた筈の令嬢達からも、あの婚約解消後は冷たい目を向けられ、それが余計に、ラナの心を傷つけたのだ。
「だがあの方は公爵家の令嬢としてのあるべき姿を思い出された。他の貴族の模範として、高い身分の者の義務として、矜持を持って生きると。弱い立場の者の味方になると。だから、シーナ嬢の助けになりたいと」
サミエルはキリの両肩を掴み、縋るような眼差しで見つめた。
「だから、シーナ様を部屋から連れ出してラナ様に会わせる手伝いをして欲しい。シーナ様に事前に話すと、ジンクレット殿下に伝わってしまうから、この薬を飲ませて、どこか静かに話せる所にお連れしたいんだよ」
「ですが、そんな事…」
「キリ。全ての責任は俺が持つ。万が一露見したら、俺のせいにしていい。ラナ様もそこは保証してくれているから」
サミエルは小瓶と共に、懐から皮袋を取り出した。
「これ、キリに渡しておく」
ガチャリと硬貨のぶつかる音がした。サミエルは皮袋を開き、中を見せた。
「金貨…?こんなにっ?」
皮袋の中には金貨が100枚ほど入っていた。
「これは、ラナ様がキリに保証金として渡して欲しいと仰ってたんだ。もし万が一キリに責が及んで、侍女をクビになってしまったら、暫くはこのお金を生活に使って欲しいと。その後の生活もちゃんと面倒を見て下さると仰っているよ」
「そ、そんな、こんなに?私、こんなに沢山の金貨、初めて見ました!」
「そうなの?キリの実力を考えたら、金貨ぐらい、いくらでももらえそうだけど。もしキリみたいに美しく優秀で護衛まで出来る侍女がナリス王国に来たら、もっと稼げるよ」
そう言いながら、サミエルは顔を赤らめ、俺は妻に働かせる気は無いけどね、と小さく付け加えた。
「…サミエル」
キリはサミエルを見つめ、目を潤ませた。そして、サミエルの小さく付け加えた言葉を、噛み締めた。
「キリ、俺を信じて欲しい。君の大事なシーナ様を守りたいだけなんだ。もしシーナ様がジンクレット殿下の元に嫁ぐ覚悟があるなら、俺も、コルツ家も、シーナ様の為に力になるよ」
どこにも味方がないと思っていた。守ると覚悟を決めても、国一つを相手にどう主人を守ればいいのかと、悩み続けていた。しかし、意外なところに、救いの手はあった様だ。
真剣なサミエルの視線を受けて、キリはゆっくりと頷いた。





