間話 サミエルとキリ【前編】
遅くなりました。
また間話かよ、と怒られそうです。我慢してお付き合い下さいませ。
ようやくナリス王国編の終わりが見えてきました。あと何話続くのか…。早くスカッとしたいです。
「申し訳ない、キリ。またお茶の用意を頼めるだろうか」
困った顔だが、甘さの混じる調子で、サミエルがキリに声を掛けた。
「また、お気に召さなかったのですか?…貴方も大変ですね」
呆れたように言うが、キリは手早く茶器を整える。本日、既に3回目。サミエルの主人であるラナの評判は、王宮内で既に下がりようがないぐらい下がっていた。
お茶が不味い、料理に品がない、部屋が気に食わない、湯殿が狭い、寝床が固い、等々。口を開けば文句ばかり、茶器や本や小物を投げつけられる、激しく罵倒される。それは自分が国から連れてきた侍女達相手であろうと、マリタ王国の侍女達相手であろうと関係なかった。彼女の中では使用人など、人として認識されていない様だ。
そもそも、ラナはナリス王国の公爵家の娘であるが、マリタ王国に赴いたのはロルフ殿下の一部下としてである。そのような立場でロルフ殿下より高い待遇を求めることなど、常識外れだ。
ラナの侍従を務めるサミエルと、護衛のビスクはラナを諌めようとしているが、激昂した彼女に悉く撥ねつけられている。主人に意見をするなんてと、事あるごとに酷い叱責を受けていた。しかし彼らは決して主人に屈する事なく、諌言を続け、時には叱責を受ける侍女達を庇い、労っていた。
「今のラナ様は、いつものラナ様ではないのだ。あの婚約破棄で、傷つき混乱されているが、元々は我らに心を砕いて下さる優しい方なのだ。あの婚約破棄とて、元はお相手の体調不良が原因だったのに、ラナ様に責がある様に他の貴族家から面白おかしく噂され、歪められてしまったのだ。それが原因でラナ様は、どうせ何をしても悪くとられるのだからと自暴自棄になられているのだ…」
ラナが癇癪を起こすたびに、サミエルはキリや他の王宮の侍女たちの元に顔を出し、そう言って謝っていた。特にシーナを害そうとした事で、反感が強いであろうキリには気を遣い、丁寧に謝罪を述べた。そうしたサミエル達の振る舞いで、初めはラナに良い感情を持っていなかったキリや他の侍女達も気持ちも変化してきた。こんなに忠実に尽くす侍従が仕える主人ならば、彼らの言う通り、ラナもそう悪い主人では無いのだろうと。
キリも、主人であるシーナがダイド王国で無実の罪で陥れられ、その後も悪い評判を立てられた事もあって、ラナに仕えるサミエルたちの苦悩に共感していた。特にサミエルとはよく言葉を交わす様になり、そうすると、他の侍女たちも、サミエルのフォローはキリに任せる事が多くなった。日に何度もラナが癇癪を起こすので、その回数も頻繁になり、キリとサミエルは短い時間で、お互いに敬称なしで呼び合うぐらい、急速に親しくなっていった。
「すまない、キリ。ラナ様も落ち着かれたらきっと態度を改められるだろう。俺もビスクも、ラナ様が必ず立ち直られると信じているんだ。あの方は俺たちが心からお仕えすると決めた方なのだから」
サミエルは主人であるラナを大事にしていた。いつかちゃんと立ち直ると信じていた。今はひどい振る舞いばかりのラナだが、サミエルの忠臣っぷりを見ていると、婚約破棄の前までは良い主人であったのだろうと思わせた。キリの主人であるシーナの時もそうだったが、悪い評判というものは、実際とはかけ離れた形で伝わる事もあるのだ。同じく主人に仕える身として、キリはサミエルに親近感を持つようになっていた。
「こんな事を出会ったばかりの君に言うと、軽い男と思われそうだが、君の美しさと剣技に一目惚れしたんだ。そして今は、その優しい所に、惹かれている…」
サミエルが突然そんな事を言い出した時は、キリも驚いた。今回の滞在が短期なものであり、数日後にナリス王国に帰ってしまうとあって、サミエルも振られるのを覚悟で想いを告げたのだそうだ。
「私は、シーナ様のお側を離れる気はありません」
「キリは本当に忠義者だな。そんな所も尊敬するよ。でも、俺も諦めきれない。このままお別れなんて嫌だ。俺にはキリが必要なんだ」
毎日少しでも時間があればキリの元へ通い、想いを伝えるサミエルに、頑なだったキリも、次第に軟化していった。ラナの癇癪を諌め続け、主人へ言葉が届かぬ事を苦悩するサミエルに同情を感じていたのもあるだろう。しっかりしている様で、どこか頼りないサミエルを、放ってはおけなかった。
「俺は君と生きて行きたいんだ。キリが側にいてくれたら、力が湧いてくるんだ」
サミエルがキリの手を握って弱々しく呟く。キリはその度に甲斐甲斐しくサミエルの手助けをしてやった。
「ごめん、キリ。こんな男、情けないよな。いつもキリに悩みを聞いてもらってばかりだ。なぁ、君も何か辛いことはないかい?俺で良ければ、何でも聞くよ?」
「情けないだなんて、そんな事ありません。貴方はラナ様の為に、いつも心を砕いて、頑張っていらっしゃるじゃないですか。私は、そんな貴方を尊敬します」
「キリはやっぱり優しいな。そんな所が、堪らなく眩しい」
サミエルはキリの両手を取り、真摯にたずねた。
「ねぇキリ、俺で力になれることは無い?なんだか最近、少し元気がないだろう?こんな俺だけど、君の為に、役に立ちたいんだ」
そう熱心に何度も聞かれ、キリはつい、心の底にしまっていた不安を話していた。ロルフ王弟殿下の事、マリタ王国への不信感、シーナがジンクレット殿下に対して猜疑心を持ち、深く傷ついている事。
「シーナ様がどのような決断をなさっても、私はシーナ様のお側を離れません。この国がシーナ様を守ってくれないと言うならば、私の全てでお守りいたします。ですが、シーナ様が、お可哀想で…」
「…なんてことだ」
キリの話を聞き、サミエルは顔を歪めた。そして、労わる様にキリの手を撫でる。
「キリ。君のような侍女に恵まれて、シーナ様は何て幸せな方なのだろう。俺も、何かお役に立てないか、考えてみるよ…」
サミエルは微笑み、キリを讃えてくれた。それだけで、キリの心は温かな気持ちになった。
サミエルがキリの視界の外で、唇を歪めて嗤っている事など、気付いてもいなかった。
そんな話をした数日後、事態は思いがけない展開を見せた。





