57 侵入者
「やぁ」
爽やかな笑顔と共に、窓から姿を現したのは、隣国の王弟、ロルフ殿下だった。
大事な事だから2回言いますが、王弟、ロルフ殿下です。
「すまない、こんな夜分に」
確かに、そろそろ寝ようかなーと準備していました。他人を訪ねる時間にしては遅いですね。ではなくて。
「淑女の部屋を、許しもなく訪ねた無作法は見逃して欲しい。こうでもしないと、君と会えなくてね」
ジンさんも、先触れもなくわたしの部屋に来ちゃうから、よく侍女さんズに怒られてますよー。でもなくて。
「いや、他人の部屋に許しもなく侵入するのは無作法じゃなくて犯罪ですよ。不法侵入、しかも王宮内で。国際問題ですよね?」
胡乱な目をロルフ殿下に向ける。コイツ、爽やかな顔で何気なく侵入しやがった。やり慣れてる感があるぞ。
「…君は面白いな。他の女性は、私がこんな風に忍び込むと、顔を赤らめて歓待してくれるんだが」
困った笑顔のロルフ殿下。はい、常習犯確定。そして、ナルシスト疑惑も発生。
「そんなに警戒しないでくれ。わたしは嫌がる女性に無理強いする様な男ではないよ」
「不法侵入を無作法で済まそうとする方に警戒するなと言う方が無理です」
不法侵入、だがイケメンだから許すとはならんぞ?犯罪は犯罪だ。
第一、今からフカフカお布団パラダイスで幸せを満喫しようとしているわたしの邪魔をした罪は重い。眠いんだ、わたしは。
ロルフ殿下は口元を片手で覆い、悩まし気に首を傾げる。無駄にカッコいいな。不法侵入者のくせに。
「少し話をしないか、シーナ嬢」
「はぁ、嫌ですが」
即答するわたしに、ロルフ殿下は困った様に肩をすくめ、一歩、一歩とわたしに近づいてくる。何となく怖くなって、わたしはこっそりイヤーカフを起動させた。
「グレイソン陛下に聞いたと思うが、確かに私は君を、コルツ家の尻尾をつかむための、餌にしようとした。そこは謝罪する」
「……」
なんだか衝撃発言を聞いたような気がするが。気のせいだろうか。コイツ、今なんて言った?ナチュラルに人を餌扱いしたよ?
「虫のいいことをと思うかもしれないが、本当に申し訳なかった。まさか、あの荒唐無稽な話が全部本物だったとは。あり得ないと思い込んでしまい、君を詐欺師だと疑った。だが今は、本気で君を守ろうと思っている。私がわざわざ引き込んだ輩から、君を守りたいなどと、信じてもらえないのは当然だろうが、もしあいつらが君に害を為せば、マリタ王国とナリス王国の間にヒビが入りかねん。私はどのような処罰を受けても構わない。今回の事は、私の一存で、国やカナンは関係ないのだ。だが陛下に、君との面会を禁じられてしまい…、それで、こんな方法をとったわけだ」
黙っていたらペラペラと話し始める侵入者、もといロルフ殿下。さっぱり事情は分からないが、取り敢えず喋らせるだけ、喋らせてみるか。
結局あの後、ジンさんも戻ってきたバリーさんも頑として何も教えてくれなかったのだ。ラナ嬢やロルフ殿下の事を聞いても、答えてくれないどころか、どんなに怒っても泣き落としをしても、カナン殿下とロルフ殿下が帰国するまでは近付かないようにと言うだけ。ジンさんだけでなくサイード殿下やルーナお姐様にまで念を押された。その後は、侍女さんズも護衛さん達も徹底してナリス王国の皆様が接触しないようにガードを始めちゃうし。うむー、なんなのさ。疎外感。
「今回の事は、完全に私の落ち度なんだ。カナンも何も知らない。君やジンクレットに会えなくなって、あの子も落ち込んでいる。あの子だけでも、元のように接してもらえないか。ナリス王国でのカナンは、足の事もあって、常に他人に対して警戒心を持つような子だった。だがこの国では、シリウスや君達が相手なら、心の底から寛げているようなんだ」
ロルフ殿下の表情が柔らかに緩む。甥っ子が可愛いんだろうなぁ。まぁ、カナン殿下は他人のわたしから見ても、可愛さの塊だけどね。
「足が良くても悪くても、ナリス王国の次の王はカナンだ。私にも王位継承権はあるが、あの子ほど王に相応しい者などいない。私は一臣下として、生涯を兄とあの子に捧げると決めている」
ロルフ殿下の目には、偽りなどないように思えた。本気で王になるつもりはないのだろう。
「だが馬鹿な輩は多い。カナンを退け、私を傀儡にしようとかな…。コルツ家の様に直接王位を狙う奴らに、カナンは何度も命を狙われてきた。本当に、嫌になるぐらい、何度も。その度に、自分が不甲斐ないからと思い込み、落ち込むカナンが哀れだった。だから、今回もまた詐欺かと…。カナンの足を治すと恩を売って、我が国を害するつもりだと思った。兄はグレイソン陛下がそんな事をする筈がないと言ったが、私は信じられなかった…」
周りは敵ばかりで、何を信じていいか分からなくなったって事でしょうか。まあ、気持ちは分かりますが。
「そんな時に、マリタ王国から、君との婚約話の打診があった。カナンを治すなどと騙し、詐欺師を我が国に押し付ける気かと思った。兄も義姉もマリタ王国を信頼し、疑うどころか、この話に賛同した。俺は、断ることができないなら、君と私の婚約話を逆手に取り、カナンを害そうとするコルツ家を衰弱させたかったんだ。だからわざと、ラナ嬢が付いてくるのを止めなかった。あの女なら、君やジンクレットに何か仕掛けるだろうから、そこを押さえればコルツ家に打撃を与えられると…」
ホワッツ?ちょっと待て。なんて言った?この人。
「誰と、わたしの婚約話ですか?」
呆然と呟くわたしに、ロルフ殿下は不思議そうな顔をしている。
「陛下やジンクレットから、何も聞いていないのか?君の婚約者候補として、私が選ばれた事を。陛下から打診を受けたのだが」
何言ってるの?
わたしの婚約者は…、ジンさんだ。
ふと、そういえば、まだ仮婚約だったな、と思い出す。わたしの養子先がなかなか決まらなくて。まだ正式な婚約には至ってないのだ。カイラット卿とサンドお爺ちゃんが、どちらもなかなか引いてくれなくてなーと、陛下が言ってた。そう、言ってた。
それに、ジンさんの様子が変だった。ロルフ殿下とは兄弟みたいに仲が良いとバリーさんから聞いていたのに、妙に敵視してたし、冷ややかな目を向けていた。あれは、ロルフ殿下がわたしの婚約者候補と知っていたから、なの?
知っていたなら、どうして教えてくれなかったの?
「シーナ嬢?どうした?酷い顔色だ」
一歩。ロルフ殿下が近付く。
何も答えられず、わたしは一歩、後ずさった。それを見て、ロルフ殿下は苦笑する。
「シーナ嬢。婚約の話があるとはいっても、君に無体を働くつもりはない。今日私がここに来たのは、あくまで謝罪と、君を守りたかったからで…」
更に一歩。ゆっくりと、わたしが怖がる事を配慮したのか、殊更ゆっくり近付くロルフ殿下。
もう少し。あと、もう少し。
バンッ。
キリが凄い勢いで部屋に飛び込んできた。銀の瞳に殺気を漲らせ、一瞬でロルフ殿下とわたしの立ち位置を確認する。さっきお休みなさいをしてからキリも部屋に戻って着替えたのか、侍女服ではなく鍛錬用の簡素な上着と下は動きやすいパンツスタイル。お仕事後は鍛錬するのがキリの日課だもんね。
「シーナ様っ!」
剣を抜いたキリがわたしを抱え、後ろに飛ぶ。キリの剣は炎を纏って…。って、おおお、ヤバい。フルスロットルだ!キリぃ。落ち着いて。呼んだのわたしだけど。だって、男の人と夜に二人きりって、やっぱりジンさん以外は怖いじゃん。しかも相手は権力者の王族。怖がるなという方が無理だ。わたしでも攻撃は出来るけど、人間相手には過剰戦力なんだよね。スパーンするわけにもいかないし。
「どうやって侍女殿に知らせを?この部屋の伝令魔法は封じたはずだが…」
ポツリと呟くロルフ殿下。どう聞いても犯罪者の言葉です。良かった、イヤーカフの通信機作っておいて。術式が違うから無効化は免れたようだ。通報3分、キリ登場。ウチの子、警備会社より優秀なのです。
キリはわたしを背に庇い、ロルフ殿下の視界から隠してくれる。キリが触れている手が温かい。キリが、いてくれて良かった。
「この様な夜分に、シーナ様のお部屋に侵入した理由を伺っても?」
返答が気に入らなければ、即座に斬ると言わんばかりのピンと張りつめたキリの殺気に、ロルフ殿下は慌てて弁解をする。
「誤解だ、侍女殿。邪な気持ちなどない。シーナ嬢に謝罪と、今後のコルツ家への対策を話したくて、ここに来たんだ」
「コルツ家への対策?」
「キリ…。ロルフ殿下もわたしの婚約者候補なんだって。陛下がナリス王国に打診したんだって」
コルツ家の対策云々より、さっきの婚約話がグルグルと頭の中を巡っている。いったい、どうしてそんな話になってるの。
わたしの声が震えていたせいか、キリは額に青筋を立てた。
「事情はよく分かりませんが、それは、まずシーナ様のご意向を確かめてから打診すべきでは?」
キリさん同感です。わたしもそれが普通のルートだと思います。
「いや、私もまさか、シーナ嬢が何も聞いていなかったとは思わず…。ただ…、グレイソン陛下は、シーナ嬢が大事なのだ。君を守る為なら、何を犠牲にしても厭わぬほど。彼は義に厚く、恩を忘れぬ、マリタ王国そのものだ。シーナ嬢を守り抜ける男に託したいと…」
本当かな。
もしかしたら、わたしがマリタ王国でも王子妃に相応しくないって思われたんじゃないかな?
色々やらかしているから、邪魔だって思われたんじゃないかな。
だって、わたしはこの件について何も知らされていない。結婚相手って、将来に関わる大事な事だよね?それに…。
「わたしを守り抜ける人って選んだのが、不法侵入常習者のナルシスト?」
しかもわたしの事を、誰かを陥れるための餌扱いする悪逆非道なヤツだ。どこが守ってくれるのさ。
「いや、それは、その、すまないと。シーナ嬢、ナ、ナルシスト?とは何かな?」
狼狽えるロルフ殿下。ナルシストの意味は分からなくても、良い言葉ではないと悟ったようだ。
「どこか遠い国で、水面に映った自分の顔に惚れちゃった人の名前を起源とした言葉です。転じて、自分大好きで自信に溢れた人の事を指します」
「う…、思った以上に酷い扱いだな」
「不法侵入しても全ての女性が喜ぶと思っていらっしゃるようなら、当たってますよね?」
わたしはロルフ殿下を冷ややかに睨みつけた。
「いや、本当に誤解だ。私はそんな事、思っていないぞ?窓から忍び込むのは、恋人になってからで…。いや、あぁ、もう、君には変な印象ばかり与えてしまう…最悪だな…」
額に手を当て、呻くロルフ殿下。最悪なのは寝るのを邪魔され、衝撃的な事を聞かされたわたしの方ですよ。
「ロルフ殿下。シーナ様の安全にかかわるお話というなら、明日にでも私がお伺い致します。シーナ様は食事や睡眠を疎かにしない様、主治医たるサンド様よりご指示を頂いております。寒い夜にこの様な薄着でいらっしゃるのも、お身体に良くありません。謝罪をと仰るなら、シーナ様の状況に配慮されるのが最低限の礼儀かと思いますが」
キリは一歩も引かない様子で、ロルフ殿下を睨みつける。ちなみにほのおの剣から轟々と炎が出ているので、言うほど寒くはない。便利だね、ほのおの剣。
「サンド老に…。そうか、それは済まなかった。では出直そう。シーナ嬢、明日、また会えるのを楽しみにしている。君の眠りを邪魔して悪かった。良い夢を…」
ロルフ殿下はそう言って、あっさりと引き下がった。駄々洩れる色気を振り撒いて、にこりと微笑む。
あ。なんだか明日、わたしも会うことになっている。キリの額に、ピキリと青筋が浮かぶ。
ロルフ殿下は、侵入してきた時と同様、ひらりと窓枠を超えて、夜の闇に消えていった。
嵐に巻き込まれた気分の、わたしとキリを残して。





