間話 ラナ・コルツとその仲間たち
遅くなりました。
別視点の間話ばかり続いていますが、次回から元に戻る予定です。
「ああっ!もうっ!忌々しい!」
ガシャンと音を立てて、薙ぎ払ったティーカップが床に落ちて割れた。
「なんなの、このお茶、不味いのよっ!新しいモノを準備させなさいっ!」
ティーポットを侍女に投げつけると、すっと一歩引いて避けられる。割れたポットとカップを素早く片付けると、侍女は無表情なまま一礼して下がっていった。
マリタ王国の王宮に仕える侍女達は、コルツ家の侍女達のように私に対して怯えた表情を見せない。まるで馬鹿にされている様で、腹が立つ。
「私が王子妃になったら、あんな侍女達、全員クビにしてやるわ」
どっかりと行儀悪くソファに座ると、すかさず私のお気に入り達がすり寄ってくる。
「ラナ様。その様に難しいお顔はなさらないで下さい。美貌に憂いまで備えてしまっては、世の男どもが群がってきてしまう」
私の一番のお気に入りのサミエルが、私の手を取りそっと口付け、悩ましげな目を向けてくる。金色の柔らかな髪と翡翠の瞳の美しい男だ。身分は男爵家の次男と低いが、顔が良く小利口で私の意のままに動いてくれるので、とても重宝している。
「だって、サミエル!腹が立つじゃない!なによっ!あの汚らしい平民の聖女と忌々しい異国の侍女っ!私の扇子を燃やされたわっ!」
私はあの侍女の爛々と輝く銀の瞳を思い出して、ゾクリと背中が冷たくなった。本気で私を害そうと考えている眼だったわ。
「あの侍女は、聖女の護衛も兼ねているのでしょう。あのような半端者、ラナ様の魔法に掛かればなんの障害にもなりませんよ。ラナ様は本当にお優しい。あの様な無礼者を見逃してやるなんて」
サミエルは微笑む。彼は私の魔法の信奉者だ。私にとっては大したことない魔法でも、彼は奇跡を目の当たりした様に称賛する。私の本気の魔法を見たら、腰を抜かしてしまうんじゃないかしら。
「まあ、そうね。あんな者、私の敵じゃないけれど。ふふ、次も見逃すかは分からないわよ?あの侍女にも、誰が主人か分からせてやらなきゃ」
サミエルは頷いていたが、ふと、何かを思いついた様に笑みを浮かべた。
「そうだ、ラナ様!あの侍女に協力させましょう!」
「協力?」
サミエルの輝く笑顔に、私は首を傾げる。あの無礼な侍女に、協力させる?
「あの者は随分と聖女に信頼されている様です。まあまあ使えそうな手駒でしょうから、こちらで買収し、我らの計画に協力させるのです。マリタ王国内部に協力者がいた方が、コチラも動き易い」
サミエルは自信たっぷりにそう言うけど、大丈夫かしら。
「でも、上手くいくかしら。あの侍女、あの汚らしい聖女にベッタリだったじゃない。こちらにつくと思う?」
サミエルは自信ありげに頷いた。
「コルツ家の調べによると、あの侍女は聖女とともにグラス森討伐隊に参加していた元傭兵です。ヤツらを動かすのは簡単です。金ですよ。金さえ積めば、どんな事でもするんです」
サミエルの話に、私は不快な気持ちになった。サミエルの話が本当なら、傭兵とは、なんて下賎な者達なのかしら。
「そんな下賎な者を、信用していいの?お金だけ懐に入れて、こちらに協力せずにマリタ側に寝返るんじゃなくて?」
「その時は始末してしまえばいいのです。なぁ?」
サミエルは護衛に笑いかけた。護衛のビスクは大柄で野生味のある美丈夫だ。そんな彼がニヤリと笑って応える。
「ええ。しかし、サミエルほどの顔の良い貴族に言い寄られて、断る女など居ませんよ。ラナ様の様な高貴な方は無理ですが、あの傭兵上がりの侍女なんぞ、コイツが微笑んだだけで、一発で逆上せてどんな事でもやるでしょう。女タラシですからね、コイツは」
「おい、ビスク。ラナ様の前で下世話な言い様は止めろ」
サミエルが慌ててビスクを止めるが、私はサミエルがどんな女遊びをしているか知っていたし、別にどうとも思わなかった。彼は綺麗な顔とスラリとした身体つきの美しい男だし、傍に置いていると気分が良いので気に入っている。それに私の役に立つならば、何をしようと知った事ではない。
「ふふふ。では、サミエルのお手並拝見ね。あの侍女を籠絡して、私の計画に協力させてみなさいな。でもね、計画の邪魔になるのは駄目よ?私にとって、ジンクレット殿下はこの上ない結婚相手なの。妹を見返すには、彼ぐらいの相手じゃなきゃ、足りないのよっ!」
妹のことを考えただけでイライラした。あの大人しくお父様の言うことを聞くしか能のない女が、コルツ家の跡取りになるなんてっ!お父様もお父様よっ!あの腰抜け婚約者が病んだからなんだというの?私の婿になりたがる男など、他にも星の数ほどいるというのに、どうして私の代わりに妹が後継になるのよっ!
「分かっております、ラナ様。私の力は、全てラナ様のために…」
恭しく私の手に唇を落とすと、サミエルは爽やかな笑顔を浮かべた。
◇◇◇
「なぁーにが、私の力は、全てラナ様のためにだよ」
ビスクが近寄ってきて、俺の腹の辺りを突ついた。
「単にあの侍女に興味を持っただけだろ?ドストライクだもんな、あの侍女。見目もまあまあ悪くないし、自分の腕に自信があって、芯が強そうで」
ビスクの顔が醜悪に歪む。
「うるさいな、いいだろ、別に」
「悪趣味だよなー。ああいう女をドロドロに甘やかして優しくして、依存させて、美味しく頂いた後、容赦なくポイっ!前の前の女は、どうなったんだっけ?」
意地悪く聞いてくるビスクに、俺は頬を緩めた。
「うるさいな、覚えてないよ。死んだ女のことなんて」
「ギャハハハハ、悪党めっ!」
「お前だって、俺が捨てた女たちを、適当につまみ喰いしてるだろ?」
「傷心の女ってのは靡き易いからなぁ。貧乏男爵家の3男なんて、こんなことでもなきゃ、女なんて回ってこないんだよ。その点いいよな、お前は。同じ貧乏男爵家でも顔が良いから女が放っとかないだろ?」
口を尖らせ、暗い目を向けてくるビスク。コイツだってラナ様の護衛を務められる程度には整った顔をしているが、賭け好きが高じていつも金欠なせいで、女に掛ける金がない。性格も激昂しやすく、女だろうが構わず手を上げるので、すぐに逃げられるのだ。
「それにしても、ラナ様もえげつない事考えるよなぁ」
ビスクは俺が手にしている、薄桃色の液体を覗き込んだ。
「まぁ、ラナ様も後がないからな。今回の滞在は短いが、ここで決定打を作って、ジンクレット殿下の妃にねじ込むつもりだろ」
「それにしたってよぉ。あの孤児娘、まだ11か12だろ?流石に寝覚めが悪いや」
「馬鹿。身体は小さいが、もう成人していると言われただろう?気にするな」
「ラナ様も人が悪い。あんな孤児娘、攫ってどこぞで始末すればそれで済むだろうに、わざわざねぇ…」
ビスクの顔がやに下がっている。口では色々言っているが、本心としては楽しくて仕方ないのだろう。
「ラナ様は本気でジンクレット殿下の妃になろうとされているのだ。気の迷いとは言え、殿下があの様な孤児娘をラナ様より寵愛したのが許せないんだろうな」
前の婚約者との婚約が解消されてから、ラナ様の状況は最悪の一言に尽きた。コルツ家の後継から外され、社交界での扱いも手の平を返した様に、嘲笑の的となっている。ラナ様に付き従う我らへの態度も、冷ややかなものだ。
長年ラナ様に従ってきた我らが、今更誰の元へ行けるというのか。ラナ様を見切って他の有力者に接触を図っても、やんわりとした嗤いとともに避けられる。我らは最早ラナ様と一蓮托生なのだ。なんとかラナ様に、元の立場を取り戻して頂かなくては。ジンクレット殿下の妃になれれば、最大の逆転劇となる。我らを冷遇した者達も、見返すことができる。
『氷の王子』『魔物狂い』などと評されているが、ジンクレット殿下の評判は然程悪いものではない。特に、マリタ王国、ナリス王国の軍関係の家からの支持は絶大だ。圧倒的な強さと指揮力に心酔する者も多い。厳ついがその冴え冴えとした美貌は、妖艶な美貌を持つラナ様と並んでも引けを取らない。
前の婚約者は真面目で優秀な男だったが、地味な顔立ちで、その点ではラナ様との釣り合いが取れておらず、ラナ様が苛立ちを募らせる原因となっていたのだ。
「何としても、ラナ様にはジンクレット殿下の妃になっていただく。俺たちが浮かび上がるのは、もうそれしかないんだ」
ラナ様がこのまま貴族社会でも社交界でも爪弾きにされてしまったら、俺たち下級貴族の従者など、平民と変わらない、その日暮らしの下賎な生活に堕ちることになる。俺は良くてどこぞの未亡人の愛人の一人か、ビスクなどは一兵士として前線に赴くぐらいしか行き場がない。今までの豊かで愉快な生活を守るためなら、俺はどんな事だって、ラナ様の為にやり遂げてみせる。
だから俺は得意分野で、協力者を作るつもりだ。女は俺の顔にすぐに騙される。平民の侍女など、貴族の身分を持つ俺にちょっと優しくされただけで、愛されていると勘違いして、身も心も尽くしてくれる。従順で、馬鹿な協力者が出来上がりだ。
小瓶に入った薄桃色の液体。
これが今回の俺たちの切り札であり、武器だ。
これまで、どんな邪魔者や不要な者も、色々な手を使って排除してきた。
「ラナ様がまた輝かしい場所に戻られる為ならば、多少の犠牲は仕方ない」
それが平民の聖女と傭兵上がりの侍女を犠牲にする事で叶うならば、何を躊躇う必要があるのか。道端の虫を踏み潰すようなものだ。
「ジンクレット殿下。聖女に裏切られた傷心の貴方を、きっとラナ様がお救いになられるでしょう」
小瓶に映る俺の顔は、愉しげに歪んでいた。





