間話 ロルフ殿下視点【中編】
サイードとルーナ妃が退出した後、俺は兄夫婦と、今後の事を話し合った。兄夫婦は俺ほど、マリタ王国への危機感を持っていなかった。
「確かにマリタ王国は苦境に陥りつつあるが、これぐらいで、あのグレイソンが揺らぐとは思えん」
「ええ、私も同感です。これぐらいの事は、これまでも幾度もありました。我が国にも、マリタ王国にも。両国はお互いに助け合い、乗り切ってきたのです」
「だが、あの荒唐無稽な話はなんだ?元聖女などという怪しげな存在に誑かされる程、マリタ王国は揺らいでいるのではないか?」
俺の疑念を、兄は一笑に伏す。
「元聖女の話が、嘘だとは決まっていない。あのグレイソンが守りを厚くする相手なのだ。本物なのだろう」
一度無くした腕や足を再建するだとか、魔物を追い払う香だとか。そんなものを、どうして信じられるのだ。あれ程、カナンの事で詐欺師どもに振り回されてきたのに、なぜこんな御伽噺を兄夫婦は信じるのか。
「本気でカナンをマリタ王国に行かせる気か?」
声を荒げる俺に、兄は頷いた。隣に座る義姉も、力強く頷く。
「魔物が頻発する状況を考えれば、マリタ王国への道行が、危険なものだとは承知している。だが、まだ商人達も街道を行き来している。屈強な護衛で固めれば、そう問題はないだろう、…それに」
兄はジワリと目を潤ませ、声を詰まらせた。
「…リュートの腕が治ったのなら、カナンの足も治る可能性がある」
「そうですとも!あの子もきっと、マリタ王国へ行く事を望むでしょう」
兄夫婦はもう心を決めてしまっていた。俺は二人の様子に危機感を覚えた。安易にお伽噺を信じ、マリタ王国まで出掛け、そしてカナンの足が治らなかったら。帰国したカナンに注がれる視線は、これまで以上に厳しいものになるだろう。足が治ると信じて、隣国まで赴いた可哀想な王子などと侮られ、王に相応しくないと言い出す輩が増えるかもしれない。急いで危険な賭けをするより、他の使者を送り、治るという確証を得てからでも遅くはない。ここは慎重に行動すべきなのに。
「兄上、いつもの様に冷静な判断をして欲しい」
「マリタ王国を信じよ。腕利きの護衛をつけるし、サイードの隊も同行するのだ。何の心配がある?その上、国境付近までジンクレットの隊が迎えに来るそうだ」
ジンクレットの隊が…。確かに、ジンクレットはマリタ王国でも随一の強さを誇り、兵の指揮にも長けている。俺が唯一、戦いたくないと思う相手だ。脇を固める部下も曲者が多く、その筆頭である側近のバリーは、計略と情報操作に長け、ジンクレットの良き右腕としてその網をどこまでも広げている。
「ジンクレットが…」
「これ程に守りが堅い道行はない。逆に、此度を逃せば、いつになるか分からん。このまま魔物が増え続ければ、我が国もマリタ王国もお互いに行き来が難しくなるだろう」
街道にまで魔物が出始めている事を考えれば、兄の危惧も理解はできるが。だが。
「お前はレルート領への討伐から戻ったら、カナンをマリタ王国まで迎えに行ってくれ。立て続けの任務で申し訳ないがな」
魔物の被害が増えている最近では、連続した任務が常態化している。俺の隊だけでなく、どの隊も同じようなものだ。
兄と義姉の顔を見ていたら、説得は無理だと感じた。重臣たちの中にも、カナンのマリタ王国行きを反対する者が出るだろうが、兄はすべてをねじ伏せてでも、カナンを行かせるだろう。心の底から、カナンの足が治る事を信じているのだ。
「それにな、グレイソンからもう一つ提案があった。これはサイード達にもまだ知らせていないようだが、お前に、元聖女を娶る気はあるかと」
「はあ?」
俺は思わず叫んだ。何を言っているんだ。
「元聖女を、娶れだと?!」
「ああ。元聖女の安全のために、お前に娶ってほしいと。お前のほかに、任せられる男はいないそうだ」
俺は頭が痛くなった。俺がどれほど貴族の血が流れる令嬢を娶りたいと望んでいるか、グレイソン陛下も知っているはずなのに。理解してくれていたはずなのに。なぜ、そんな事を。
あまりの事に、俺は頭の中が沸騰するような気がした。やはり、変わってしまったのか。マリタ王国も、グレイソン陛下も。
「兄上。やはりマリタ王国は、元聖女を厄介払いしたいのではないか?我が国に争いの火種を押し付ける気では…」
「グレイソンはそんな男ではない」
兄は全くグレイソン陛下を疑っていない。頼みの義姉も、カナンの足が治ると夢を見ているのか、兄を諫める様子はない。
迎えのついでにマリタ王国にしばし滞在して、元聖女にも会ってみるといいと、兄に言われた。娶るかどうかは、俺の意思を尊重すると。
断ろうと口を開きかけた俺は、ふと、ある事を思いついた。
元聖女との縁談など断れば済む話だが、どうせなら利用できないか。
最近、カナンを蔑ろにし、俺に媚びへつらうコルツ家の事が頭をよぎったのだ。ナリス王国内でも大きな勢力を持つコルツ家は、表向きは王を支持しているが、あの狡猾なコルツ公爵が王座を狙っているのは公然の秘密だ。先先代の国王の姉がコルツ公爵家に嫁いだことで、あの家は王位継承権を持った。正当な王たるカナンを足の事でけなし、俺を傀儡の王にして、王家を牛耳り、いずれは自分の血を引く者を王にしようと企んでいる。
コルツ家の長女の醜聞が明るみに出た時、父親である当主は身内でも躊躇せず、即、長女を切り捨てた。問題を起こしてばかりの苛烈な性格の姉より、自己主張は弱いが従順な妹を後継にした。コルツ家の現当主は男児を儲けられなかったが、妹娘が男児を産めば、孫を王にねじ込んで、後ろ盾として実権を握るつもりなのだ。
コルツ家は公爵家だけに、ナリス王家とて簡単にどうこうできる相手ではない。今は兄も義姉も目を光らせているため、カナンに直接的な害を与える様なことはしてこないが、今後もずっと大人しくしている保証はない。
どうにかして、コルツ家の勢力を削ぎたい。
そのために、あの、コルツ家の長女を利用できないものだろうか。
コルツ家の長女、ラナ・コルツは、現在、コルツ公爵家にも見放され、社交界での権威は失墜している。大勢いた取り巻きも今はすっかり彼女から離れ、彼女は孤立していた。夜会ではひそひそと嘲笑の的にされ、憤慨して周りに当たり散らし、帰っていく姿を、ロルフは何度も目撃した。
そんなラナ嬢が、最近、どういう思考回路でそうなったのか分からんが、軍や騎士団周辺をウロウロするようになった。なんでも、学園で優秀な成績を修めた自分ならば、軍や騎士団に所属してやれば、華々しい成果をあげ、国防に欠かすことのできない存在になるだろう、と。そう言って、公爵家の名の下に無理やり討伐や演習について行くのだとか。当然、学園の成績は実際の戦闘になんの役にも立たない。それに、ラナ嬢率いる煌びやかな一行は、護衛をふんだんに雇い、討伐や演習先で天幕を広げ優雅にお茶をしているだけらしい。もはや邪魔というより天災の様なものだ。ラナ嬢は嫁入り先探しに難航しすぎて、おかしな方向に進んでしまったのだろうか。
もちろん、俺の率いる隊にもラナ嬢はついてこようとした。今回のレルート領の討伐もそうだ。俺が慇懃に断っておいたが、マリタ王国行きの際は、奴らを連れて行けば…。
「兄上…。元聖女にはお会いしてから、娶るかどうか決めても宜しいのですよね?」
「…っああ!グレイソンには、カナンの滞在を延ばし、しばらくお前たちがそちらで過ごす時間を作ってもらう。グレイソンが言うには、元聖女は素晴らしい方らしいぞ。じっくり話してみるといい」
兄が笑みを浮かべる。俺がすぐに断ると思っていたので、意外という顔をしていたが、嬉しさを隠しきれないようだ。俺が結婚の話に興味を持ったからかもしれない。この年まで俺がカナンの為に独身を通してきたことを、兄はずっと気にしているのだ。
「わかりました」
俺は腹の中で笑みを浮かべた。
詐欺師の元聖女も、ナリス王国の毒虫も、相討ちとなってお互いに喰らい尽くせばいい。





