54 ロルフ殿下がやって来た
「叔父上っ!!」
カナン殿下のいつにない年相応の声が、広間に響いた。
杖もつかず、支えられることもなく走るカナン殿下を見て、ロルフ王弟殿下は大きく目を見開き、己の胸に走り込んできたカナン殿下を抱きとめた。
「カナン…!!」
たまらず、と言った様子で膝を付き、カナン殿下の顔と足を何度も見比べている。
「走れるのか。本当に、本当に治ったんだな…!」
「はい叔父上!アダムとシーナ様に治していただきました!それに、サンド様の薬湯も頂いていて!それから、それからっ、他の皆様にも良くしていただいてます!」
こちらを見て満面の笑みを浮かべるカナン殿下に、わたしは小さく手を振った。かーわーいーいー!
「そうか…、うん、良くしていただいたのだな。それに、カナン。以前よりも脚に筋肉がついているな。鍛えたんだろう?お前も偉いぞ!」
クシャクシャと頭を撫でられ、カナン殿下はくすぐったそうに笑った。
「足が動くのです!歩きたくて、走りたくて!楽しくて仕方ありませんっ!」
うんうん。カナン殿下、リハビリ頑張ってるもんねー。アダムさんが「少しはお休みくださいませぇぇ」ってヒィハァしながら追っかけてるもん。運動不足のオッサンが、子どもの無尽蔵な体力について行けるはずもなく、途中で力尽きて倒れていることも多々ある。でもなー。アダムさん、マリタ王国に来てから、明らかにポッチャリしたから丁度いいかも。ザロス(お米)を丼で食べてるのがいけないんだと思うの。
「っふ、そうか。楽しくて、仕方ないのか…」
ロルフ殿下は慈しむような瞳でカナン殿下を見つめている。全身から甥ラブが溢れ出ております。
「カナン。お前が兄上の跡を継いで、王になるのが楽しみだ。安心しろ。お前の王位にグダグダ言う輩や、俺を傀儡にと画策する馬鹿共は、俺が一掃してやる」
おう。にんまりと悪いお顔。物騒な話が丸聞こえですよー。そして可愛いカナン殿下も、8歳とはいえそこは王族。ロルフ殿下の言葉に「はいっ!お任せします、叔父上」と、ニコニコしながら頷いてる。やだ、8歳にして腹黒の片鱗ありなの?可愛いさとのギャップに、オバチャン、ときめいちゃう。
カナン殿下の叔父、現ナリス国王の弟であるロルフ王弟殿下が、カナン殿下の帰国の護衛として、マリタ王国にやってきた。
本当はサイード殿下をジンさんが迎えに行った時みたいに、国境付近で落ち合う予定だったのだけど、足が治って色々頑張り過ぎちゃったカナン殿下が体調を崩し、サンドお爺ちゃんからまだ帰国するほどの体力が回復してないと、ドクターストップがかかってしまったのだ。すでにナリス王国を出立していたロルフ殿下一行は、それならばと予定を変更して、マリタ王国まで部隊を率いて迎えに来た。
カナン殿下の体調は回復していたけど、念のためにあと7日は滞在を延ばすとのこと。ロルフ王弟殿下もその間はマリタ王国に一緒に滞在する事になった。
ロルフ王弟殿下は、自然と人の目を惹きつける魅力がある。短めの黒髪に、日に焼けた肌、切長の翠の瞳の美形さんだ。ピシリと騎士服を着こなしているのに、なんていうか野生味ある大人の色香が漂っている。侍女さんズの情報を総評すると、仕事の出来る遊び人。マリタ王国の王子様達とはまた違ったタイプだね。
「シーナちゃん」
不機嫌そうな声が私の頭の上から降ってくる。見上げれば、膨れっ面のジンさんがいた。
「ああいうのが好みなのか?」
ロルフ殿下をガン見していたのが気に食わなかったのか、ジンさんはプルプルと仔犬の様に震えながら、小さな声で聞いてくる。いつもの様にわたしを抱き上げないのは、他国の要人を招いた公式な場だからだろう。手をワキワキと閉じたり開いたりと不審な動きをしています。我慢してますね。
「カッコいいねー。大人の魅力って感じで」
素直な感想を伝えれば、ジンさんの眉がヘニョリと下がる。涙目だ。泣くなよ、これぐらいで。
「ジンさんの正装もカッコいいよー。大人の魅力だねー」
今日のジンさんは騎士服。髪をオールバックにして格好良し。
いつもより3割、いや、5割増しか。制服マジックは異世界でも有効なり。
「ん、んん、そ、そうか?」
顔を赤らめデレッと緩めるジンさん。はい減点。キリッとしてなさい。
「国王陛下。カナンへのご厚情、ナリス国王に代わり、感謝いたします」
ロルフ殿下は陛下に向かって胸に手を当て、礼をする。
「ロルフ殿下。先ごろは王太子サイードの滞在にあたり過分な歓待、礼を言う」
型通りの挨拶を返した後、厳格なマリタ王の顔がふっと緩み、ロルフ王弟殿下の肩を叩いて笑う。
「堅苦しいのはここまでだ。ロルフ、よく来たな。いつもの様に気楽にせんか」
「一応、ナリス王国の使者ですからね。少しは真面目な所も見せないと。陛下ももう少し付き合ってくださいよ」
「いやー、お前が昔、ヤンチャしてた頃を知ってるからなぁ。ホレ、下町で『ローの兄貴』とか呼ばれて、弟分達を引き連れてた時とか、街の顔役相手に抗争仕掛けた時とか」
「…勘弁してくださいよ、その話。何回するつもりですか…」
情けない顔で苦笑するロルフ殿下。
昔の任侠映画みたいな感じだったのかな?抗争ってヤンチャで済ませて良いのかしら。
しかし、国賓相手に会って数分で黒歴史を暴露するとは。陛下の外交っていつもこんな感じなのかな?嫌すぎる。
「おーい、シーナちゃんおいで」
ニヤニヤ悪い顔の陛下に呼ばれ、わたしは心底断りたかった。誰が行きたいのさ、あの雰囲気の二人の所へ。まぁ、呼ばれたので無視もできず、ジンさんを道連れに行きますけど。
「ロルフ。こちらがウチのシーナちゃんだ」
「シーナです」
ウチのシーナちゃんって、陛下のフランクな紹介に動揺したけど、わたしはペコリとロルフ殿下に頭を下げる。近づくと大きいのが分かる。ジンさんと張り合うガチムチ度だ。
ロルフ殿下はわたしを値踏みする様に見た。警戒心が強い野生の動物みたい。初対面の人には気を許さないタイプなのかね?
しかしロルフ殿下がそんな顔をしていたのは一瞬だった。警戒心を綺麗に隠し、大人の余裕を持った笑みを浮かべ、恭しくわたしの手を取る。じっと真正面から見つめられ、手に唇がギリギリ触れない、儀礼的な挨拶をされる。
「初めてお目にかかる、シーナ嬢。この度はカナンを治していただき、心から感謝する」
美形とお腹に響くバリトンに、いい匂い。わー。カッコ良い。間近で見るご尊顔には毛穴ひとつございません。素晴らしい!
「近い。見ちゃダメだ、シーナちゃん」
見惚れていたら、不機嫌MAXのジンさんに後ろから抱き上げられる。おまけにジンさんの手で視界を塞がれた。
「ロルフ殿下。私の婚約者に近過ぎる」
あんまり聞いたことないジンさんの冷たい声に、ちょっと背筋が寒くなった。うん。これはカイラット街でわたしに絡んできた令嬢達にメッした時のジンさんだ。キレてますね。何故だ。
「へぇ、話に聞いていた以上の溺愛ぶりだな。あの、ジンクレットがねぇ」
揶揄う様なロルフ殿下に、ジンさんの機嫌が急降下する。言葉の調子に、子ども扱いを感じるもんね。
バリーさんに教えてもらった情報によると、ロルフ殿下とマリタ王国の4兄弟は昔から付き合いがあるらしい。仲良しだって聞いたけど…。
今のジンさんは毛を逆立て威嚇する犬みたいにガルガルとロルフ殿下を敵視している。どうした、仲良しじゃないの?わたし、挨拶を受けただけなのに何で怒ってるのさ。
「シーナちゃん。あれは悪い大人だ。決して二人きりで会ってはダメだ。お菓子をくれると言ってもダメだぞ?遠いところに連れていかれるからな?」
ジンさんや。貴方はわたしを何歳だと思っているのかね?カナン殿下(8歳)にも言わないよね?そんな事。
そして悪い大人って…。本人を目の前にして、なんつー事を言うんだ。
「ブッハっ」
目元をジンさんの手で塞がれているので、ロルフ殿下の様子は見えないが、くくくと笑い声が…。わたしは何もやらかしていないのに、めちゃくちゃ恥ずかしくなった。なんだ、この辱めは。
「ジンさん、下ろして。手も退けて。何も見えないよ」
呆れてジンさんの手を叩くと、ジンさんが渋々とわたしを下ろした。ジロリと睨むと、迷子みたいな顔をしたガチムチライオンがいた。なんで被害者みたいな顔してるのさ。
そしてロルフ殿下の後ろに控える兵士の皆様が『驚愕』という顔をしているのが見えた。ナリス王国だけではなく、マリタ王国の兵士達もだ。
『魔物狂い』だの『氷の王子』だの恥ずかしい呼び名が沢山あるクールガイのジンさんの人間味?溢れる様子は、兵士の皆様にも珍しかったのか、「魔物以外に興味があるのか」とか、「今、婚約者って言わなかったか?」とか、「あの子どもが婚約者?ジンクレット殿下って幼女趣味…」とか。聞こえてますよ。幼女とか失礼な。見た目はティーンエイジャーだし、なにより成人しとるわ。
マリタ王国ロイヤルファミリーは、ジンさんの態度に呆れ顔。聞こえ漏れた呟きが、「余裕なさ過ぎだろ」「情けない」などと容赦がないのも仕方ないかも。その呟きの中に「ぶん殴りてぇ」というバリーさんの声がたくさん混じっていた様な気がしたけど、気のせいかなあ。
「ジンクレット。陛下から話は聞いているんだろ?俺としても、マリタ王国からの申し出に、異存はない。まずは今回の滞在で、お互いによく知り合えればと思っている」
ジンさんを宥めるロルフ殿下だったが、その顔は愉しげだ。
「シーナ嬢。短い滞在となるが、よろしくな」
「はぁ…?」
ますますガルガルしているジンさんと、余裕綽々なロルフ殿下。何をよろしくされているのか分からないけど、何だか面倒な臭いがしますね、これは。





