間話 ジンクレットの試練
ダイド王国へ探りを入れている最中、陛下より指示があり、執務室に呼び出された。
「ジンクレット。ナリス王国よりロルフが来る」
その言葉に、俺は口の端を上げた。ロルフ・ナリス。ナリス国王の弟にして、ナリス王国騎士団を束ねる男だ。国王が最も信頼する臣下であり、その地位に相応しく、ナリス王国随一の騎士であり、ずば抜けた強さと指揮力がある。年も俺たち兄弟と近く、昔から気心の知れた仲だ。まあ、素行と性格はアレだが。
「カナンの迎えですか?」
久しぶりの再会になると喜ぶ俺を、陛下は平坦な目で見ていた。同席していた王妃も、同じような表情をしている。
なんだ?二人とも何故そんな顔をしているんだ?
「ジンクレット。ワシはな、シーナちゃんの伴侶について考えた時、お前やシリウスよりも、一番にロルフを思いついた」
陛下の発言に、俺は身体が急速に冷えた気がした。
「何を言って…」
「あの娘は、利用価値が高すぎる。類稀なる魔法の才能、豊富な魔力、柔軟で斬新な発想力。あの娘一人で、才のある者100人の働きが出来る。その癖、人が良すぎて危なっかしい」
陛下はため息をつく。王妃も、それに深く頷いていた。確かに、シーナちゃんは人が良い。騙されやすいともいう。
「あの娘を、万が一にもダイド王国に奪われる隙を作らせてはならぬ。あの娘にとっても不幸な事になるであろうし、あの国にあの才能が渡れば、我が国や周辺国の脅威にもなりうる」
「それがどうして、シーナちゃんの相手がロルフにという話になるんだ。シーナちゃんを守るのは俺の役目だっ!」
「ワシはお前に、シーナちゃんを守り切れるとは思えん。お前は腕力こそ強いが、己自身の問題を解決する事も出来ん、ふ抜けよ。あの娘とマリタを守るには、お前ごときでは到底足りぬ。だからロルフをあの娘の伴侶にとナリス国王に打診した」
親父の言葉に、俺は衝撃を受けた。俺とシーナちゃんの婚約は仮のまま。シーナちゃんの養女先が決まらないせいだったが、本当は、これが狙いか。
「ナリス王国には、シーナちゃんとお前の婚約が、仮婚約であると伝えている。なんの奇跡かあの娘がお前を選んだので、お前との婚約を許したが、ワシは今でもロルフの方が相応しいと思っておる」
悔しいが俺とロルフならば、確かにロルフの方が有能だ。あの人ならダイド王国に隙など見せず、シーナちゃんになんの波風を当てる事なく守るだろう。
だが。
「シーナちゃんが選んでくれたのは俺だ」
足りない俺でも良いと、彼女は選んでくれた。情けない所を沢山見せても、この手を取ってくれたのだ。
「選ばれた上に胡座をかけば、あの子の気持ちも変わるやもな?あの子の世界にはまだ、お前以外おらんのだ」
国王は的確に、俺の心の弱さを突いてくる。
奪われぬ様に、他に気持ちを移さぬ様に、誰も居ない場所に囲い込んで隠したい気持ちを見透かされている。
ギリと拳を握る。真っ黒な気持ちが心を覆っていく。奪われて、なるものか。抑えようとも抑えきれぬ魔力が、ゆらりと立ち昇る。
「はっ。いつもそれぐらいの気概を持て。出来なければ、ロルフにあの子を添わせる」
「シーナちゃんの気持ちは無視か?そのやり口のどこが、ダイド王国と違うと言える?」
にっと国王の口の端が上がった。
「ロルフに会えば、シーナちゃんの気持ちが変わるとは思わんのか?」
ぐむっと息を呑んだ。考えたくもない事だが、ロルフは昔からとてつもなくモテた。未だに独身、婚約者もない身だが、それはナリス王国の後継であるカナンを守る為だ。ナリス国王にはカナンしか子がなく、足の欠損が原因でその地位は不安定だった。王弟のロルフ殿下は第2位の王位継承権を持ち、もしロルフに子ができれば、次の王はロルフにとする動きがあるかもしれない。
しかしカナンの左足が再生した今、治療が終わればその地位は強固なものになるだろう。ロルフが婚姻出来ない理由はなくなる。
「ロルフ殿下なら、シーナちゃんを任せても安心ね。ウチのバカ息子よりは遥かに」
王妃は優雅に扇子を仰いだ。俺は冷や汗をかいた。シーナちゃんに対する日頃の態度について、それはもう恥ずかしい説教をされたのはつい先日のことだ。誤解だといっても信じてもらえなかったが。
「精々、ロルフに奪われぬ様に精進するんだな。ロルフはな、カナンの恩人との婚姻に、大層乗り気らしいぞー。あのロルフも、とうとう結婚か」
国王の揶揄う様な口調に、殺意が湧いた。ニヤニヤニヤニヤしやがって、腹が立つ。
怒りが収まらないまま自分の部屋に戻ると、敬意を何処かに置き忘れてそのまま側近が、面倒臭そうに話し掛けてきた。
「何だったんですか、陛下のお話は」
「ロルフが来る」
「あー、カナン殿下のお迎えですか?」
「シーナちゃんの結婚相手として、ナリス王国に打診しているそうだ」
バリーは目を見開き、面白そうな顔をした。
「えっ?あー、だから仮婚約が長引いているんですか。ジン様、ロルフ殿下がいらっしゃるまでの繋ぎっすか?」
「誰が繋ぎだっ!」
「いや、だって、ロルフ殿下でしょ?あの人が本気出したら、あっちゅー間にシーナ様、獲られちゃいますよ?」
「だが、シーナちゃんは、俺が好きだとっ!」
「え?勝てると思ってるんですか?あのロルフ殿下ですよ?各国の令嬢から街の歌姫、教会の巫女すら虜にする色男ですよ?ヘタレには荷が重い相手ですよー」
無理無理ーと軽口を叩く側近を、俺はジロリと睨みつけてやった。
「シーナちゃんがロルフを選べば、自動的にキリさんもナリス王国に行く事になるな」
「ジンクレット様!呑気に構えている場合じゃないっすよ!シーナ様を死守しないと、俺達に未来はありませんっ!」
ようやく危機感を持ったのか、バリーが真剣に言い募る。やっとキリさんとの仲に進展があったのに、万が一にもシーナちゃんがナリス王国に行く事になれば、キリさんは迷わずついていく事だろう。それはもう、サッパリキッパリ、バリーは振られるだろうな。
「そうだな。ほんのちょっぴり上向きに修正されたキリさんのお前への評価など、シーナちゃんへの忠義に比べたら、紙っぺらより薄いからな。お互いに振られない様、最大限に努力せねば」
「シーナ様にロルフ殿下の悪口を山程吹き込みましょう。シーナ様の嫌いな王族で、どんな女も虜にする美貌で、仕事は出来るけど、非情で合理的すぎると。ジン様みたいに泣き虫でもヘタレでも執着束縛男でもないと!」
バリーはロルフについて語っている内に、首を傾げた。
「あれ?シーナ様の好みに合わないところを列挙したら、逆に褒め言葉じゃないですか?シーナ様、趣味悪すぎ。ジン様のどこがいいんでしょうか?」
「側近の無礼を笑って許す、懐の深い所じゃないか?」
ガツンと拳をバリーの頭に落とす。これぐらいで許すとは、俺はなんて優しい主人なのだろうか。
「いっだ!俺、本当のことしか言ってないのに、なんで怒られているんですか?理不尽ですっ!」
「本当の事でも、主人に対して慮るという、必要最低限の能力が欠けているからだ。反省しろ」
不満そうなバリーは放っておき、俺は気合を入れ直した。カナンの治癒は、サンド老曰くほとんど終わっている。後はサンド老の特製の薬湯と地道なリハビリを続けるのみなので、ナリス王国に帰っても問題ない。ナリス国王と王妃が、足の治ったカナンを確かめたくて、帰りを首を長くして待っている。迎えのロルフが来るまで、それ程、猶予は無いはずだ。
ロルフが来ても揺らがぬ様に、己を心身共に鍛える。それしかない。シーナちゃんが俺の腕を触りながら、「ジンさん、筋肉は裏切らないんだって」とよく分からない事を言っていたが、今は己を鍛える事ぐらいしかできないだろう。
「え〜。ジン様のヘタレがそんなんで改善されるんですか?生まれた頃から甘やかされた筋金入りの末っ子体質なのに?無駄なことはしないで、ここはいっそ、シーナ様に捨てないで欲しいと土下座しましょうよ。きっと憐れんでジン様を選んでくれますよ。なんだかんだと、優しい人ですから」
「お前…、常々感心しているが、俺を貶すバリエーションが豊かだな?」
「多角方面的にお伝えして、自覚していただきたいんですよ。本当に、もうちょっとしっかりしてください。シーナ様に捨てられた後、幸せな人生を送れる自信あります?いつまでもウジウジウジウジしている主人に仕える羽目になる、俺の身にもなって下さい」
俺はフッと笑った。
「そこはお前、俺に愛想を尽かすという選択肢はないんだな」
「そこまで疑ったら、本気で愛想を尽かしますよ?」
サラリとバリーに言われ、俺は口角を上げた。
「精々、キリさんに振られぬように頑張れ。俺に仕える限り、シーナちゃんに仕えるキリさんと、一生顔を合わせる事になるぞ?」
「貴方がシーナ様に振られたら、生木を割くように俺とキリさんが別れなきゃいけなくなるんですから、死ぬ気でシーナ様を繋ぎ止めてください。失敗したらヘタレ王子に改名してもらいますからね」
相変わらず無礼な奴だが、仕方がない。
俺の側近は、バリーにしか務まらないからな。





