51 寝てる間に
「もう大丈夫だってば」
何度大丈夫って言っても、ジンさんは安心できないみたいだ。熱も下がり、食欲も戻り、ふらふらもしない健康体ですよ。前に熱を出した時も、こんな感じだったな。
「分かっている。分かっているが俺が不安なんだ」
真面目な顔でベッドの側から離れないジンさん。やたらウロウロしてわたしの世話を焼こうとするから、侍女さんズに露骨に邪魔者扱いされている。ジンさんって王子様じゃなかったっけ。古参の侍女さんズには「ジンクレット様、暇ならこの荷物、あっちの部屋に運んでください」とか、顎で使われているんだけど。大丈夫なの、この扱いで。
王妃様を筆頭とする女性陣には、ものすごく心配をかけてしまったようで、全員が子育て中の熊の様にピリピリしている。お見舞いも面会も王妃様の許可なしには通さないほどだ。
「急にお倒れになったのです。皆様も心配なのです。キリも生きた心地が致しませんでした」
と、キリに泣かれたら否やはない。大人しくベッドの住人となっているが、ジンさんが朝も昼も夜もへばりついているので、この人仕事大丈夫だろうかと逆に心配になる。意識のない間は、それこそトイレぐらいしか側を離れなかったらしい。4日も寝なかったのに元気一杯なガチムチライオン凄い。でも、わたしの部屋で素振りはするな。
一方、主治医であるサンドお爺ちゃんはどっしりと構えていた。いつかはこう言う症状が出るだろうと予想はしていたんだって。今までは気を張って抑えられていたけど、緊張が緩んでいる証拠らしい。なるほど。マリタ王国で気が緩んだって事ですね。
「今後も何度かこういう揺り返しが来るかもしれん。過去の辛い記憶は変えられん。時が過ぎれば受け入れられることもあるし、受け入れられなくても、段々と薄れていくものじゃ。時が一番の薬とは、よく言ったもんじゃよ」
長いクルクル顎髭を撫でつつ、サンドお爺ちゃんは優しく言ってくれた。でもその手にある『忘れられない味』の特製薬湯のおかげで、その言葉はわたしの中に全く入ってこなかった。4日間、意識が無かった間は飲めなかったからって、量が増えたのは解せない。飲み過ぎはどんなに良薬でも宜しくないのでは、と意見したら、サンドお爺ちゃんに「ちゃんとギリギリを攻めているから問題ない」と返されました。なんだ、その峠を攻めるライダーみたいな台詞は。カナン殿下はもうすぐ薬湯は卒業って言ってたのにー。わたしの薬湯ライフは終わりが見えないよ。
仕返しにサンドお爺ちゃんの髭をモッフモフのモフモフにしてやった。クルクルがモシャモシャになっただろう。何故か緩んだ顔で「コラコラ」と怒られたけど、知らないもんね。後ろで順番待ちしているガチムチライオンには気づかないふりをした。早く髭を剃れ。
「シーナ様、お見舞いです」
以前に寝込んでいた時との違いは、ジンさんを連れ戻しに来るバリーさんが、いっつもお見舞いを持ってくるところだ。女子ウケしそうな菓子やら小物やら。お見舞いのお裾分けとして侍女さんズやキリにも持って来ている。キリには特に、お見舞いの対象であるわたしよりも手厚い。
照れながらぎこちなく受け取るキリ。デレデレのバリーさん。何これ。わたしの意識がない時に何があった。ちょっ、わたし、大事なとこ見逃してない?頼りの侍女さんズに聞いても、皆さんも把握してなかったらしく、興味津々。ダメ元でジンさんに聞いても「本丸がいつの間にかな…」としか言わないし。さっぱり分からん。くぅ。ドラマの大事なシーン見逃した気分。
今も甘々な口調でキリと仕事の打ち合わせをしているバリーさんと、緊張して顔を赤らめながらぎこちなく対応するキリ。
ねえ、なんなのこの、付き合う直前のカップルみたいな感じ。教室の隅で繰り広げられていた、甘酸っぱい恋の始まりみたいな雰囲気。
「ジンさんはどう思う?」
バリーさんの今日のお土産の葡萄っぽい果物を食べながら、ジンさんの意見を聞いてみた。
「バリーは本気だ。あいつが本気になったのは長い付き合いだが、初めて見た」
「へぇー。バリーさんもてるのに本気になるの初めてなんだー」
色々な女性に誘われてるの知ってるぞー。何人か元カノがいるのも知ってるぞー。帰ってきてすぐ別れた人も知ってるぞー。
「っごほんっ!バリーは諜報も兼ねているからな」
あーはぁん。ビジネスありきの恋愛ですか。でも元カノ、全員巨乳だったよ。情報持ってる女子は全員巨乳って凄くおかしな確率じゃない?
「シーナちゃん、あんまり男を追い詰めてはいけない。上手く行くものも行かなくなる」
「大事なキリの相手だもん。疑問点は全部確認したい。大体キリだって、バリーさんの元カノには全員気付いてるよ」
キリはめちゃくちゃ勘が良いからね。そしてキリはスレンダー美人なのだ。バリーさんの嗜好からは外れているから、ちょっと心配。まあ、胸部の脂肪の塊の大小でつべこべ言う奴になんて、キリはあげないけどね。
「そ、そうなのか?」
「気の強い人もいてさ。キリにわざわざ当て付けみたいに文句言う人もいるよ。バリーさんに目を掛けられているのが気に食わないみたいでさ」
でもキリは物腰は柔らかいけど、強い。伊達にあのグラス森討伐隊で、曲者揃いの上司たちや血気盛んな兵達の相手をしてたわけじゃない。バリーさんに情報を抜かれるぐらいしか価値のない、平和な暮らしに慣れたお嬢さんが太刀打ち出来るはずがないのだ。ケチョンケチョンに返り討ちにして、侍女さんズからの喝采を浴びていた。
「それでもバリーを好いてくれたのか…」
「キリは心が広いからね。わたしは無理。昔の事ならともかく、彼女がいながら口説いてくる男なんてヤダ。絶対ヤダ」
前世の彼氏、本名なんだっけ?渾名が二股クソ野郎略して『フタクソ』君に振られた時のことを思い出した。彼氏のフタクソ君から呼び出されてウキウキで向かったら「あのさー、隣のクラスの亜美に告られたから、お前への告白はナシで。お前と付き合ったのも、ノリみたいなもんだったし。亜美とお前じゃ亜美だろ、普通」と言われたんだよね。なんかもう、悲しいとか言う前に、プライドがぺっしゃんこになったよ。
不誠実な男はヤダ。自分勝手な理屈捏ねくり回して正当化する男もヤダ。
「ま、わたしならジンさんが浮気したら即別れるけど。王子妃だろうと関係ないもんね。即、国外逃亡する」
「はっ?」
「え?だってマリタ王国って一夫一婦制でしょ?側妃も愛妾も、後継がいないとかよっぽどな事がない限り認められないじゃない?そんなお国柄なのに浮気とか…。わたし、ジンさんが好きだから結婚するって決めたんだよ?浮気したら嫌いになるし、好きじゃなかったら王子妃はヤダし、逃げるしか…」
「俺は浮気などしないっ!」
「皆そう言うんだよねー」
君だけが好きだーとか、一生大事にするーとか。嘘つかれて二股され、搾取されたわたし。ジンさんの事は信じたいが、人の心はいつ変わるか分からない。好きになり過ぎないように依存し過ぎないように、セーブしてる。別れた時に空っぽになってしまうから。
狡いかな。こうやって、予防線をはって恋愛するなんて。でも用心はしておきたいのだよ。
でもジンさんの発言で、わたしのささやかな予防線なんぞ吹っ飛んでしまった。
「俺は自慢じゃないが、シーナちゃんが初恋だ!この年まで女性を好きだと思ったのも、美しいと思ったのも、欲しいと思ったのも、誰にも渡したくないと思ったのも君だけだ。俺は心移りなど絶対にしないぞ!信じられないなら、死ぬまで俺に監視をつけても構わないっ!俺は君以外の女性には微塵も興味を持たんからなっ!」
一々、選ぶワードが重くて物騒なのはいつものジンさんだ。監視の趣味はないので結構です。
それにしても。初恋。22歳の初恋。そっちの方が破壊力があった様な気がするのは気のせいか?わーい、ジンさんの初恋の相手がわたしなんて嬉しいなーとならないのは、わたしが薄情なわけではないと思う。
「一度聞きたいと思っていたのですが」
「な、なんだ、シーナちゃん。何で敬語に?」
真面目な顔のわたしに、ジンさんが警戒の目を向ける。
「ジンクレット殿下はもしかして少女を好む性癖が」
「ないっ!!!」
「えー」
本当かなぁ。
こんなに好き好き言ってもらえて嬉しいけど、見た目はまだまだ子どもなのよ、わたし。実年齢は成人の15歳だけど、こちらの見た目年齢的に未成年。こっちの15歳は日本の同年代に比べて中身も外見もかなり大人だ。15歳で結婚して子どもを持つのも納得と言えるぐらい成熟している。ジンさんは何で好きなのかなぁ、やっぱり少女趣味が…。
「俺は君の全てに惹かれているが、確かに身体は幼いと思う。だが逆に、その幼さが抑えになっているんだ」
ジンさんに手を取られた。きゅっと握る手に、力がこもる。
「もし君が、実年齢通り、成人した外見だったら…。式など待てなかっただろう」
低く熱の籠った声は、蕩けるように甘くて、恐ろしい程の色気を孕んでいた。
ぐびり、と緊張して喉を鳴らしたわたしに、ジンさんの瞳がふっと緩む。
「出会ったばかりの頃に比べたら、大きくなった」
ぽんっと頭に手を置かれ、穏やかに微笑まれた。
「よく食べて、寝て、休んで。早く大きくなってくれよ、シーナちゃん。待ってるからな」
その日は、倒れて以来見続けていたグラス森討伐隊の夢を見なかった。
その代わり、羊になって牧場で飼われたわたしが、ナイフとフォークを持った牧場主のジンさんに、「早く大きくなぁれ」と舌舐めずりされる夢を見た。怖すぎ。





