間話 レクター殿下の視点
久々のダイド王国側視点です。
何故だ。
どうしてこんな事になったんだ。
馬を駆り、後ろから迫る魔物達から逃げながら、レクターは何度も自問していた。
何故、何故僕がこんな情けない真似をしなくてはならないんだ。
横を走るグリードが、風魔法を使って魔物を薙ぎ払う。どれほど倒しても、魔物はドンドン湧き出てくる。こちらの魔力にも限界がある、魔力が尽きれば終わりだ。
「グリード、兵はどれほど残っている?」
「半数は…!奴らを盾にすれば、我等は逃げ切れましょう!」
「…分かった」
父に与えられた兵の大半を失う事になる。兄と王位を争う身としては痛い失敗だが、死んでは元も子もない。何とか無事にこの森から逃げ切らなくては。
いつからだろう、歯車が狂い始めたのは。
ほんの一季節前までは、全て順調だった筈だ。
高レベルの魔物の討伐も十分な人数で当たれば、容易ではなかったが可能だった。魔物の洞窟を攻略し、本丸である最深部の古龍の骸まで、もう少しだった筈なのに。兵士たちの士気も高く、多少の犠牲はあったが、今までのどの時代の討伐隊よりも成果を挙げていた。私の隊が、ダイド王国の悲願であるグラス森討伐を果たす筈だったのに。
初めの異変は、魔物の香が切れた事が切っ掛けだった。
弱い魔物ならば寄せ付けぬその香は、昼間の討伐時には勿論、夜間の休憩時にも使用し、兵士達の消耗を抑えていた。香が無くなると、弱い魔物も強い魔物も間断なく襲ってくるようになり、昼間は全兵士が常時警戒体制を取らなくてはならなくなった。
夜間は1部隊30人程が交代で夜警に当たれば良かったところ、香が無いだけで3部隊での警戒が必要になった。当番から外れている兵士たちも、終夜続く魔物達の声と気配に安眠どころでは無くなり、消耗が激しく士気が下がった。疲労で倒れる者、長く続く緊張に精神状態が悪くなる者が続出し、頼みの回復魔法は魔術師の質が悪かったのか、充分に回復せず、しかも1人で数人程度しか癒せない。
「何故一度で全員を癒さないんだ!回復が間に合っていないでは無いか!」
ちまちまと回復している魔術師達を怒鳴り付けると、魔術師達は青い顔で頭を下げた。
「か、回復魔法は通常、一人一人に掛けるものです。1人で回復できるのは精々10人程度。それ以上は魔力切れを起こします…」
「嘘を言うなっ!我が隊の回復はこれまでは1人で賄えていたのだぞ?!それを大幅に増員してもらったのに、何を巫山戯たことを言っているのだ!」
「ですがっ!部隊10名につき回復の魔術師は2名の配置が推奨されている所を、今は1名配置!この状態で魔力切れが続けば魔力枯渇になり、命に関わるのですっ!そんな事、常識でしょう!」
常識。
そう、確かに。
王子として受けた兵法の授業でも、長期的な戦や討伐における理想的な魔術師の配置はそう示されていた。
何故。いつの間に。
このグラス森討伐隊でその常識が覆されたのか。
初めの頃は討伐隊にも回復役の魔術師がきちんと配置されていた。約500名の兵士に付き100名弱の魔術師。10名の兵士当たり2名が配置されていた。それがいつの間にか、これほど多くの回復要員の配置は不要との結論になった。実際、回復要員の魔術師達は暇を持て余していた。だから全員を攻撃部隊に割り振ったのだ。魔術師達は回復専門という訳ではなかった。攻撃部隊の人員が増えれば、その分グラス森の攻略が進む。問題などなかった、驚異的な回復力を持つ、あの娘がいたから。
ぞくりと、背中が冷えた気がした。
おかしいだろう。今考えれば、あり得ないことだ。500名の兵士に対したった1人の回復役。
だがあの娘はやってのけた。青白く隈の浮いた顔とガリガリの身体で。ボロボロの衣服を聖女のローブで隠し、細い腕で杖を構え、レクターやグリード、その他の兵士たちの要求に応えていった。対価は粗末な食事に粗末なテント、そしてレクターの甘い声。それだけであの娘は魔術師100人分に匹敵する働きを見せたのだ。
感覚が、麻痺していたのか。
あれが普通だと、何故思った。
甘い言葉を囁くたびに、何故王子たる自分がこんな事をしなくてはと苛立たしい気持ちになっていたが、今にして思えばあれほど有益で効率の良いモノを手放すとは、愚かだった。シンディアを害そうとした罪で一生飼い殺しにして、二度と逆らわぬ様に躾け直しておけば良かったのだ。
一人、また一人と兵の数を減らしながら、レクター達は何とかグラス森を抜け出した。大部分の兵を失ったが、魔物の本拠地であるグラス森を抜ければ、警戒心の強い魔物たちはナワバリから出るのを嫌い、追ってくる数は明らかに減っていた。
「国へ戻り態勢を立て直す」
レクターの言葉に、グリードが頷く。その顔には、レクターと同じ様に深い悔恨が刻まれている。
「グリード。あの娘の代わりを、見つけなくてはならんぞ」
「は、殿下。その件で少し気になる事が…」
「何だ?」
「王都から新たに派遣されてきた兵士達が噂していたのですが、マリタ王国のカイラット街が大規模な魔物の群れの襲撃にあったらしいのです。その際出陣した第2王子が瀕死の重傷を負ったところ、第4王子と共に駆けつけた聖女の力により、奇跡的に回復したとか…」
「マリタの第4王子…、魔物狂いか…」
王都からの情報により、マリタの魔物狂いがグラス森周辺を嗅ぎ回っているとは知っていたが…。
「あの娘を追放した後、もしやマリタの第4王子があの娘を捕らえたのかもしれません。あの王子ならば、グラス森に入り魔物を討伐していたとしても不思議ではありません」
マリタの魔物狂い。マリタ王国の王族であり、上位冒険者並の強さを持ちながら、魔物討伐にしか興味を持たぬ変わり者。第4王子という立場上、王位継承権は低いがあの大国マリタの王族だ。富も権力も思いのままであろうに、殆ど国に戻らずに魔物を追っている。レクターにとっては理解し難い存在だ。
「カイラット街の噂の中には、炎を操る女剣士の活躍もありました。あの娘と共に追放した侍女は、元は火魔法が使える傭兵として雇っていたはずです」
一太刀で魔物を2、3匹屠るとか、剣に炎を纏わせ戦うなどと荒唐無稽な噂もあったが、噂とは何かと大袈裟に語られるものだ。しかし火魔法使いの女剣士は、あの娘について行った侍女との特徴が一致する。
「グリード。マリタの内情を探れるか?」
「何匹か間者は入れております」
「ではそのマリタに現れた聖女とやらを調べさせろ。あの卑しい娘が、マリタの王子の情けに縋り、生き長らえているのなら、我が国に引き渡して貰わなければならん。あれは我が国の罪人。マリタで大きな顔をして暮らせる身分ではないわ」
「マリタがあの娘を手放すでしょうか?戦力としては使える娘です」
何の価値もない娘だが、確かにあの魔力量は手放し難い。
「その時は無理にでも攫えばいい。抵抗すれば誰が主人か思い出せる様、痛めつければいい。別に回復魔法が使えれば、五体満足でなくても構わん」
グリードは陰惨な笑みを浮かべた。
「荒事が好きな連中を何名か飼っております。子どもにしか興味を持たぬ者も混じっていますが、構いませんか?」
レクターは顔を顰めた。幼児趣味など、彼には理解し難い嗜好だ。
「まあ…。おかしくなって遣いものにならんかったら困るが、そうじゃなければ構わない」
「子どもを従順に躾けるのが得意な連中です。ご希望に沿うでしょう」
「仔細は任せる。必ず連れ戻せ」
「はっ!」
レクターとグリードは、僅かな兵と共にダイド王国の王都へと向かった。
レクターの頭の中には、既に陛下へ大半の兵を失った事をどう弁明するのかと、婚約者であるシンディアに久しぶりに会えるなという能天気な思いしかなかった。
グラス森討伐隊の撤退により、ダイド王国だけでなく、周辺国を巻き込む惨事が起ころうとしている事に、彼はまだ気づいていなかった。





