間話 侍女会議
「では、次の議題。まずは報告からお願いします」
侍女会議。これはマリタ王国の王城内で働く侍女たちによる、月2回の定例会議だ。参加者はそれぞれの部署で働く侍女たちのまとめ役とサブの侍女、議長は侍女長マリア、副議長は侍女長補佐のバネッサである。
この会議はマリタ王国建国時、働く侍女たちの間で始まったものであり、長い歴史のある大事な会議である。日々の侍女業務に対し問題点や改善点を話し合い、質の高い侍女の育成を目標に開催されているのだが、ここ数ヶ月はその様相を一変させている。それは、ある少女がマリタ王国に来たことによるものだった。
「はい。シーナ様お世話第一隊から報告させて頂きます。シーナ様の健康状態は改善傾向にあります。サンド老の指示通り、3食と補食のオヤツは10の時と3の時。それ以外にシーナ様からのお求めがあった場合は適宜、果物を。お薬もキチンと服薬なさっておいでですが、最近追加になった薬湯は苦手なご様子です。睡眠についてはやはりまだ多い傾向にあります。お昼寝のお時間がないとお辛い様子が伺えるので、お勉強の時間の調整が必要かと思われます」
「なる程。まだ万全とは言えないようね。教師の皆様と調整いたしましょう。幸い、ダンス以外は進み具合が良いようですから」
マリア侍女長が、心配そうに頷いた。侍女達は手元のメモ帳を確認してスケジュールを組み直し、お互いで確認し合った。
「次、お世話第二隊からです。シーナ様の体力改善の為の運動ですが、回復魔法の使用回数が減ってきています。庭の散策時間も伸びてきています。先程のダンスの件ですが、ステップなどの覚えは早くていらっしゃいますが、途中で体力が切れてしまうのが進みの遅い原因かと思われます。体力さえ改善されれば、問題はないかと思います」
「そう、流石はシーナ様。どの教科も意欲的に取り組んでいらっしゃるのね。でも無理は禁物です。お世話隊はその点だけは注意するように」
「はいっ!」
「では次に、シーナ様とジンクレット殿下のその後について」
マリア侍女長がそう言った瞬間、侍女達から興奮したザワメキが漏れる。
「お静かに!では報告をお願いします」
「はい!お世話第一隊から。ジンクレット殿下とシーナ様の婚約がお決まりになった後、お二人の間は以前と同じ様に睦まじくしていらっしゃいます。それに加えて、ジンクレット殿下がシーナ様へ愛の言葉を、明確に、何度も伝えられているのが、複数の侍女により目撃されています!」
その言葉に、侍女達の間から「やっとね!」「ようやく言えるようになられたのね!」との声が上がる。
「対するシーナ様は、あれだけ頻繁に言われていらっしゃるのに、その都度に真っ赤になって慌てていらっしゃいます!可愛らしいです!」
「私も目撃しました。確かにあのジンクレット殿下のご様子は、今までお気持ちを抑えていた反動というか…、初心なシーナ様には刺激がお強いかもしれませんね…」
マリア侍女長の遠い目に、揃って頷く侍女達。ジンクレット殿下を余り暴走させると、シーナ様のお気持ちが離れるかもしれない。漸く上手く行き始めた2人をここで破局させてはならないのだ。
「キリ様。いかがでしょう。ジンクレット殿下をお止めするには…」
侍女達の目が、一斉にキリに向かう。注目されても全く怯まず、キリは静かに口を開いた。
「その心配は必要ないかと…」
キリの言葉に、マリア侍女長が怪訝な顔をする。
「そうですか…?私の目から見て、シーナ様はお困りのようでしたが」
「シーナ様はされて嫌なことはジンクレット殿下にハッキリ仰る方です。殿下に人前では止めて欲しいとハッキリ仰っていらっしゃいましたので…。シーナ様が慌ててらしたのは、他の方の視線があったからかと」
「……。シーナ様は、ジンクレット殿下のあの重い、いえ、ふ、深い愛の言葉を受け入れてらっしゃると…?」
「婚約前から時折、あのような言動をなさる方でしたので、特に気にしていらっしゃらないようです」
侍女長は頬を引き攣らせた。侍女達からの報告にあったのは、愛の言葉を通り越して、激しい束縛や軟禁を思わせる言葉だったが…。あれを気にしないというのもまた…。
「シーナ様は、ジンクレット殿下をああいう方だとご理解なさった上で受け入れていらっしゃいます。殿下を深く信頼なさっておいでですので、度が過ぎればご自身で対処なさるでしょう。私どもが気にかける必要はないかと…」
キリの言葉に、侍女達はホッと息をつく。シーナ様は度量の深い方だと改めて感心した。
「ただ一つ、気掛かりなことが…」
キリが言い淀む。僅かに、頬が赤くなった。
「どうなさいました?キリさん?」
侍女長がキラリと目を光らせた。シーナの世話において、キリの右に出るものはない。シーナの信頼が最も厚く、細やかな心配りも出来、時には姉のようにシーナを叱れるキリは、侍女長といえども一目を置いている。最終的なシーナのお世話の決定権はキリに任せているぐらいだ。
「私はこの国のしきたりには疎いので、こういうことをお聞きするのは恥ずかしいのですが…。あの、こちらでは婚姻前に閨を共にするのは普通のことなのでしょうか?」
シンッと、場が静まった。
今なら針を落とした音さえ、響き渡りそうだ。
「ま、ま、ま、ま、まさか!そのような事、ある筈ありませんっ!」
マリア侍女長の顔が真っ赤に染まる。侍女達の悲鳴がそこかしこから上がった。
「…やはり、そうですよね。ダイド王国でも婚姻前の交渉はあり得ませんでしたので。言い難いのですが…」
「ま、まさか!ジンクレット殿下が!」
「阻止しておりますが、やたらとシーナ様と2人きりになりたがりますし、うたた寝をなさっているシーナ様の横にいつの間にか一緒に寝そべっていらっしゃる事も…。しっかりシーナ様にも自衛なさるよう言い聞かせておりますが、シーナ様は閨の知識こそおありですが、ご自分がそういった対象として見られているという意識が乏しく、とても無防備でいらっしゃいます」
侍女達はシーナとジンクレットの様子を思い浮かべ、深々と納得した。
婚約を結んだとはいえ、相変わらず余裕のないジンクレット。しっかりしているようで、どこかスッポリと抜けているシーナ。侍女達が2人をくっつける為にシーナを大人っぽく着飾ったのが、こんな所で仇となるとは。
「こ、これは、侍女会議で内々に処理できる事ではございません。現状でシーナ様が閨事に耐えられる体力があるとは思えません。それに婚儀は1年後、それまでにシーナ様が身籠るようなことがあれば、シーナ様の名誉に傷がつきます!」
マリア侍女長の持つメモ帳がグシャグシャに握り潰される。
「キリさん。恥ずかしかったでしょうに、良く言ってくださいました。皆様、今後より一層、ジンクレット殿下の動向に注視し、手に余りそうな時はすぐに私かバネッサに報告を!」
「はいっ!」
「私はこの事を王妃様に報告致します。王妃様からジンクレット殿下を諫めて頂くか、デリケートな問題ですので、男性の方からそれとなく忠告をして頂くか、ご相談申し上げなくては」
マリア侍女長とバネッサが、慌てて立ち上がる。王妃様への相談の上、シーナの現在の教育カリキュラムの中で、閨事に関する教育の優先度を上位に引き上げるため、他の授業の組み直しをしなくてはならない。
シーナとジンクレットの婚約は、シーナの養女先が決まらず仮のままとなっている。シーナを養女に迎えたいと名乗りを上げたサンド老とカイラット卿が、水面下で熾烈な争いを繰り広げている為だ。それも、ジンクレットの不安を掻き立てているのか。
シーナとジンクレットの婚儀は次の次の花の季節に執り行う事になっている。次の花の季節にアランが、実りの季節にリュートの婚儀があるからだ。できるだけ早く婚儀をと願うジンクレットの意見を反映し、婚約期間も異例の最短期間なのだが、彼にとっては1年以上後など、待ちきれないのかもしれない。
それにしたってまだ仮婚約の状態でそのような暴挙に出るとは…。幼少の頃から知るジンクレットが大人になったものだと思う反面、教育を間違えたのかと、マリアは頭が痛くなった。
この後、ジンクレットは自身の振る舞いが父親、母親バレした挙句、兄達からも揶揄われ、したり顔で説教を受けるという辱めを受けた。侍女達の監視の目はますます厳しくなり、なかなか2人っきりに持ち込めずイライラする事になる。
閨事に関する教育が始まったシーナは、なぜ急に授業内容が変わったのかと首を傾げながら真面目に取り組んだという。





