間話 護衛騎士の願い
我がナリス王国の次代を担うのはカナン・ナリス王太子殿下である。陛下の一粒種であり、御歳8歳にして聡明、優秀、驕らず、思慮深く、我ら一介の護衛騎士にも気さくに接して下さり、労いを忘れぬ慈悲深さも待ち合わせ、将来に楽しみしかない稀有な方である。
だがカナン殿下には一つだけ、悲しいかな、弱みがあった。殿下が3歳の頃、乗馬の練習をなさっていた際、突然、馬が暴走した。殿下は馬に引き摺られ、その結果左の踵から先を欠損してしまった。その時、護衛として少し離れた場所で見守っていたのは私だった。馬術の教師を薙ぎ倒し、カナン殿下を引き摺りながら暴れ回る馬を止めることが出来なかった無能な護衛は私だったのだ。
殿下が助け出された後、踵の欠損が判った時、私は陛下に死を賜る様、強く願った。私の命など取るに足らないものだが、それぐらいでしかこの失態を償うことなど出来ない。だが陛下はこの卑小な願いは叶えて下さらず、慣れた護衛のお前がこれからの殿下の支えになる様にと御命じになられた。私の様な愚か者に生きよと命じ、更には殿下の護衛の栄誉すらそのまま。私は、最早一時たりとも殿下の御許を離れず、忠義を尽くす事を己に誓った。
殿下はまだ幼くていらっしゃるのに、足を失った事について、一度たりとも周りを責めたり、悲観されたりなさらなかった。王妃様から足についてみだりに弱音を吐いてはいけないと厳しく言い含められていたせいもあるかと思うが、あの幼さで、己の言動がどう周りに影響を与えるかを、しっかりと理解しているのだ。
回復魔法では、欠損した手足を復元する事はできない。だが陛下も妃殿下も一縷の望みを掛けて、欠損の復元方法の研究と調査を行った。この広い世界のどこかに、欠損の復元方法があるかもしれないのだ。
復元が出来ると言う触れ込みの魔術師や、怪しげな民間療法の薬師に、我らは嫌になるほど出会ってきた。この世にこれほど詐欺師が蔓延っているのかと思えるほど、彼奴等は洗脳に類する話術と小細工で、我らを騙そうとする。
カナン殿下の専従魔術師を務めるアダム師など、詐欺師どもがカナン殿下を騙す度に、壁に拳を打ち付けて、声も出さずに悔し泣きに泣いていた。あの詐欺師どもは、まだ幼いカナン殿下が、今度こそ治るかも、と期待に顔を輝かせ、治らぬと知った時の消沈した様子を見ても、何も感じないのだろうか。とても、我らと同じ人の心を持つ者の仕打ちとは思えない。
カナン殿下が長じるにつれ、足の不具を理由に王位に相応しくないのではと言い出す輩も多かった。我らは殿下の王たる資質に何の疑問も持たないが、難癖をつけたがる者も多い。王妃様のお身体の関係でこれ以上の子が望めぬからと、陛下に側妃を勧める者もいて、カナン殿下はその度に母君たる王妃様に要らぬ心労を与えたと、悲しんでおられた。かと思えば王弟であるロルフ殿下に強引な縁談を持ち込み、新たな後継者を作り出そうとする輩もいたり、我らには何の手出しできず、歯痒い思いをしたものだ。
そんな日々を過ごす中。カナン殿下がお怪我をされてから5年が経ったある日、ナリス王国最大の友好国であるマリタ王国から、復元魔法についての情報がもたらされた。たまたまマリタ王国のサイード王太子が我が国にいらっしゃったので、サイード王太子から直々にカナン殿下のマリタ王国への訪問を打診されたのだ。急な話ではあるし、魔物の動きも油断ならぬ状況であったから、陛下も殿下の訪問には難色を示したが、マリタ王国のリュート殿下の腕の復元の話を聞いてから、俄に興味を示した。
リュート殿下は魔物討伐の際に利き腕を魔物に取られたと言われていたが、その凶報以来、殆ど公の場に出ておられなかったため、その真偽は不確かなままであった。我が国でも、いくら友好国のマリタ王国の言葉であっても容易に信じるべきではないと言う意見と、リュート殿下の欠損は事実であり、マリタ王国に訪問して真偽を確かめるべきと言う意見に分かれた。
結局、陛下の強いご意向もあり、カナン殿下はマリタ王国に訪問する事になった。サイード王太子ら御一行の帰国に合わせて、我らも護衛と侍従達を調整し、マリタ王国へ急遽の訪問となった。
道中、カナン殿下はマリタ王国の方々がいらっしゃらない移動の馬車の中などでは、憂いを隠せない様子だった。カナン殿下も、数多の詐欺師どもの仕打ちに、すっかり心を疲弊されていたのだろう。
「僕の足がこのまま治らなければ、父上の様な立派な王になる事はできないのかもしれない」
小さな声でポツリと呟かれるカナン殿下に、アダム師や我ら護衛達は必死で否定した。足が治ろうと治るまいと、カナン殿下に何の不足があろうか。
「でも、僕は一人で馬に乗ることが出来ません。もしもの時、戦場に立てぬなど、王としてこれ程不甲斐ない事はない」
殿下の思い詰めた声に、我らは安易に否定することが出来なかった。必ず王が戦場に赴くわけではないと、聡明なカナン殿下とて分かっていらっしゃる。殿下は足の不具が王としての存在を脅かし、ナリス王国を揺るがす様なことがあってはならないと考えていらっしゃるのだろう。王になったからと言って、付け入る隙を見せれば有象無象の輩がその地位に取って代わろうとするだろう。カナン殿下の様に足の欠損という分かりやすい隙は、国を脅かす弱みになりかねないのだ。
カナン殿下はまだ8歳だ。いくら次代の王とて、まだもう少し無邪気に日々を楽しむことが許される年齢だろう。足の不具がカナン殿下をより思慮深く、状況を見極められるように育てた事は、なんとも皮肉なことだった。
やがて我らの隊は、マリタ王国から迎えである、ジンクレット第4王子の隊と合流した。赤髪と青い瞳の『魔物狂い』と噂される王子は、兄であるリュート殿下の右腕の負傷の原因である魔物を憎み、魔物を狩る事しか興味のない狂王子だと言われていた。その様な王子に、カナン殿下を近づけるのは正直、不安だったのだが。
「なんていう強さだ!あ、ああ、また一匹、屠ったぞ」
「馬鹿な!灰色猪を一刀だと?夢でも見てるのか?」
A級の魔物を一刀で屠るジンクレット殿下に、我らナリス王国のメンバーは驚愕の声を禁じ得なかった。二人や三人掛りでやっと倒せる魔物を、ジンクレット殿下は一刀で切り伏せる。また、お付きのバリーという男も、ジンクレット殿下には及ばないが、他の隊員の動きとは格段に違った。一撃一撃が重く、動きも早い。
マリタ王国の兵の精度はこれほど凄いものかと感心していたが、良く見るとジンクレット殿下の剣と両腕のバングルから、尋常ではない魔力が感じられた。剣から風魔法が放たれているのも目視出来た。何なんだ、あれは。
「あれは、マリタ王国の聖女様が関わって作られた武具だそうだ」
サイード王太子から極秘扱いで伝えられた情報に、我らは驚くと共に今度こそと期待を持った。こんなとんでもない武具を作れる聖女様なら、復元魔法も夢ではないかもしれない。
しかしアダム師だけは懐疑的だった。ジンクレット殿下は元々優れた武勇で知られるお方だ。あれは元々ジンクレット殿下がお強いのであって、少しばかり魔力を助力出来る武具を使っているに過ぎないのだろうと。
アダム師の懐疑的な態度は、マリタ王国に着き、歓迎の晩餐会でも続いていた。護衛なので勿論私は席についていなかったが、側に控えながらアダム師の言動にヒヤヒヤとしていた。
しかし、私はアダム師を止める事はできなかった。詐欺師どもの心無い仕打ちに傷つくカナン殿下に、誰よりも近く寄り添い、励ましそして時には叱咤するアダム師の姿をずっと見てきたからだ。全ては、カナン殿下を思っての事だ。
晩餐会の翌日、聖女様が魔力ポーションと共にカナン殿下の元に治療にいらした時は、我々ナリス王国の面々は緊張を持って迎えた。一体どんな治療が施されるのか、またもや詐欺まがいの誤魔化しなのか。我らは全てを見逃すまいと、全神経を集中させて聖女様の挙動に注目したのだ。
だが、その時聖女様は思いがけない事を仰ったのだ。
「もちろんわたしもお手伝いさせて頂きますが、頑張って頂くのはアダム様ですよ?」
そこからは昨夜の仕返し、いや、神の御技としか思えない展開だった。カナン殿下に慣れた魔力が良いと、治療役に指名されたのはアダム師だった。そこからの聖女様の容赦ないシゴキは、まだ私が新米兵だった頃の鬼隊長を彷彿とさせた。あの限界を見極めたギリギリのシゴキ。昨夜までアダム師に対応していた聖女様は、その恐ろしさを上手に隠されていたのだろう。
やがて治療が終わる頃には、魔力が枯渇するまで酷使された屍寸前のアダム師が床に力無く倒れ伏していた。聖女様はその姿に一切同情する事なく「魔力展開に無駄が多い、65点」と、辛口の批評をされていた。鬼だ。
だがそんな事よりも。カナン殿下が。
杖なしでは立つ事も儘ならなかったカナン殿下が。
「足が、足が動くっ!!」
杖もなしで両足で立ち、あまつさえピョンピョンと飛び上がった。まだ歩くことは出来なかったが、作り物のように青白く固まっていた左足の踵から先が、右足と同じ色合いになり、ぴょこぴょこと足首、そして足の指が動いた!
介助をする私の腕に掛かる重さは、いつもより軽い。カナン殿下の両足に、しっかりと体重が乗っている事を感じた。
夢にまで見た光景が、今、目の前にある。カナン殿下が、自らの足で立って、歩いている!
奇跡の瞬間だと言うのに、情けなくも私の視界は潤み、良く見えなかった。カナン殿下の歓喜の声も、鼻水を啜る音で聞き逃してしまう。なんたる失態だ。このような、無様な顔を晒すとは。
心無い貴族どもに、不具の王子と嘲られ、引き攣った笑顔を無理に浮かべた時。
元気に走り回り、馬を乗りこなす学友たちに、羨望の目を向けていた時。
詐欺師たちの甘言に期待し、騙され、何かが壊れた様な、虚な目をしていた時。
無力で無能な私は、護衛として側に居ることしか出来なかった。この命を差し出すから、カナン殿下の足を治してくれと、ずっと願い続けてきた。
私の人生における、最大の願いは叶った。
私の人生で、一番幸福な瞬間だった。
カナン殿下にアダム師の元に連れて行くよう請われ、私は慌てて涙を拭った。涙が止まらず難儀をしたが、護衛の任についている以上、視界を明瞭に保たなくては。
カナン殿下が声を掛けると、伏していたアダム師がヨロヨロと起き上がり、確かに動く左足首を認め、目を見開いた。
「カナン殿下、カナン殿下、ようございました、ようございましたっ!これからは、自由に、走り回れます!また馬にも!お好きな乗馬も楽しめましょう!」
「うん!父上に乗せてもらうんじゃなくて、自分で乗れるよ!父上と、丘の上まで、競走するんだ!」
アダム師が、カナン殿下の前に跪き、泣き崩れた。何度も殿下の左足を摩り、歓喜の叫びを上げている。ナリス国からの従者たちは皆、アダム師と同じく号泣していた。
憂いなく輝くカナン殿下の笑顔。私は、あの日陛下に死を賜わらなくて良かったと、初めて心の底から思う事が出来た。この笑顔を守るために、私はこれからも在るのだろう。





