間話 シリウス視点
多感なお年頃。サイード王太子の第一子シリウス殿下の視点です。
お話としては「47 花を飾る意味」の時のお話です。
ナリス王国滞在中、俺は突然父上に言われた。
「もしかしたら、お前の婚約者が決まるかもしれない」
「婚約者ですか?」
父上によると、婚約者は年上の平民で、隣国ダイド王国の元聖女のシーナという女性だと言う。
「アランから話があったらしい。陛下と王妃がやたらと乗り気でな」
父上は困惑気味だった。隣国の元聖女といえば、新しい聖女を妬んで害そうとし、グラス森に追放になった罪人だ。なぜそんな罪人を、俺の婚約者にするのか。
それに対し、母上はいつものようにどっしり構えている。
「陛下と王妃様がそう仰るなら、何か思惑があるのでしょう。どのみち国に戻るまで、詳しい事情は分かりません。今は考えるだけ無駄でしょう」
母上はそう言って、ナリス王国の大臣との交渉に備えている。魔物の跋扈により食糧危機に陥りそうな我が国への支援を取り付けるため、ここのところナリス王国の大臣と話し込んでいる。ナリス王国も魔物の被害が出始めているため、なかなか色良い返事がもらえず難航しているようだった。
まだ成人に達していない俺に出来ることはなく、ただナリス王国のカナンと一緒に過ごすことしかやる事はない。カナンはまだ8歳だが利発な子で、ウカウカしているとあっさり俺を超えていきそうで、俺も負けじと勉学や剣術に励んでいる。
俺の目標は、ジンクレット叔父上のように強い男になる事だ。剣術も魔法も強いジンクレット叔父上は、兵の指揮にも長け、兵士の間でも男が惚れるほどカッコいいと人気なのだ。
ここのところ父上も母上も険しい顔でいる事が多い。お爺様とお婆様もお忙しく、叔父上達も顔を見ることが少ない。どことなく王宮全体がピリピリした緊張に包まれているようだった。
それから数日経ったある日、父上が久しぶりに明るい顔で上機嫌だった。母上も柔らかな雰囲気で、俺は不思議に思った。
「陛下から伝令魔法が届いてな。食糧について目処が立った。魔物の襲撃についても打開策が出来た。あと、リュートの腕が治ったそうだ」
「えっ?!」
それは最近マリタ王国を悩ます大きな問題が全て解決したと言うことになる。それに、リュート叔父上の腕が治ったというのはどういうことだろう。学園の教師は、回復魔法では切断された腕や脚を治す事は出来ないと習った。それが、治った?
「リュート叔父上の腕が治ったということは、もしかして…」
俺はハッとなった。カナンの足も治る可能性があるのか?
カナンは3歳の頃、乗馬の練習中に落馬し、馬に引き摺られて左足の踵から先を無くしてしまった。利発で優秀なカナンだが、足のせいで貴族の中には、第一王位継承者として認めるべきではないと言う輩も居るらしい。ナリス王国の現王にはカナン以外の子はなく、あわよくば自分の子を即位させようと言う有力貴族どもの阿呆な主張ではあるが、それでカナンが心を痛めているのを知っている。
父上はナリス王国滞在中に、何度もナリス国王と交渉し、カナンのマリタ王国行きが決まった。屈強な護衛と信頼出来る側近や高位の魔術師達を沢山引き連れ、我がマリタ王国の供や護衛も合わせると、結構な人数でマリタ王国に向かった。
道中は、幾度が魔物に襲われたが、なんとか怪我人も出さずに済んだ。マリタ王国から届けられた魔物の香というものが、弱い魔物を退けていたので、行きよりは断然、魔物の数は減っていた。
マリタ王国とナリス王国の国境付近で、ジンクレット叔父上の隊と合流した。久しぶりに会うジンクレット叔父上は、格好良く隊を指揮し、マリタ王国の護衛やナリス王国の護衛達が数人がかりで手こずっていた魔物をたった一人で殲滅してしまう。すごい!やっぱり叔父上はスゴイ!
「ジンクレット…?随分と腕を上げたか…?それに、そのバングルと剣は…」
父上が驚きに目を丸くする。何故か戦う時以外は悄然として元気のない叔父上の代わりに、側近のバリーが説明してくれた。
「はい、シーナ様より頂いたものです」
「聖女殿から?」
「詳しくは陛下からご説明があると思います」
ナリス王国の護衛騎士や魔術師たちも、叔父上のバングルと剣に大騒ぎしていた。俺の目から見ても、魔力を飛躍的に伸ばす魔道具のように見えた。剣からは風魔法が飛び出ていたぞ?どうなっているんだ?!
「それで、ジンクレットのあの様子は?」
ぼーっと空を眺めているジンクレット叔父上。バリーが父上に何かを耳打ちして、父上が目を丸くする。
「はあ?」
またバリーが父上に耳打ちして、しばらくの後、父上が大爆笑した。叔父上の様子を心配そうに見ていた母上をすぐに呼び寄せ、耳打ちする。
「ぷっ、あははははっ」
母上まで爆笑した。淑女の笑いではなく、爆笑だった。あの母上が、珍しいっ!!
「し、失礼…ふっ、ふふふっ!は、早くお会いしてみたいものだな」
母上が笑いを堪えながらそう言うと、父上が温かな笑みを浮かべて頷いた。
◇◇◇
マリタ王国に着き、しばらくして陛下よりお召しがあった。今日は晩餐会の予定だ。その支度も終えていたので、正装したまま父上と母上と共に陛下の元に参上した。
そこにはシーナと呼ばれる女もいた。
可愛い。小柄ではあるが、茶色の髪を緩く結い上げ、黒い瞳はキラキラと輝き、頬はほんのり薔薇色。首筋から胸元までの肌が輝くように真っ白で、青いふわふわしたドレスと赤いリボンが腰に巻かれ、妖精のように儚気だ。俺より年上だというが、生き生きした瞳は幼子のように輝き、柔らかな表情はハッとするほど艶いている。
俺は顔が赤くなるのを感じた。あれが俺の婚約者。
しかし俺は、学園に通う学友達の言葉を思い出した。学友達の中には、既に婚約者を持つものも多く、彼らは揃って婚約者を甘やかすなという。特に最初が肝心だと。婚約を喜んでいるなんてお世辞でも言おうものなら、あれが欲しいこれが欲しいとねだり始め、断ると婚約が嬉しいなんて嘘なんですねと泣き出す。こちらが強気に出ないと、一生尻に敷かれますと。
俺は気を引き締めた。どんなに可愛くて可憐でも、女は貪欲なものだ。
「なんだ、僕より年上だと聞いていたのに、小さいな」
目の前の女を見下ろして言ってやる。近くで見ると余計に可愛い。キョトンとこちらを見返してくる瞳の綺麗なことといったら。頬や髪に触れてみたくて堪らなかった。
なんとか頬がだらしなく緩まないように気を引き締めていると、後ろ頭に凄い衝撃が走った。
「淑女になんと無礼な。このうつけ者が」
母上に殴られた。目には本気の怒りがある。ヤバい。
いやいや、最初が肝心なんだ。最初が。
「母上!しかし!僕はこんな女が婚約者だなんて、嫌です」
こてんっとシーナ嬢が首を傾げる。髪に飾られたシュロスの花が揺れ、か、可愛いぃ。
「たわけが!淑女をこんな女呼ばわりするお前のようなうつけに、婚約者など100年早い。シーナ殿はお前の婚約者になど勿体なさすぎるわ。今宵の晩餐会が終わればその性根を叩き直す故、覚悟しておけ」
「シリウス。君とシーナ殿の婚約は絶対、金輪際ないから。余計なことを言わないように」
母上とアラン叔父上に婚約を全否定される。
えっ?なんでだ?俺は本当は嫌じゃないぞ?こんな可愛い娘となら、婚約大歓迎だ!!
慌てて父上に視線を向けると、沈痛な顔でゆっくり横に首を振った。え?
そこに遅れていたジンクレット叔父上がやって来た。
男の俺から見ても、カッコイイ。騎士の隊服も似合うが、正装も似合う。遅れたので急いだのか、少し息を乱していた。
ふと気付いた。今日のシーナ嬢の格好は、まさにジンクレット叔父上の色を纏っているなと。ジンクレット叔父上の瞳と同じ色のドレス、腰のリボンは叔父上の髪の色だ。
叔父上がシーナ嬢に近づき、そして、…泣き出した。
そこからの展開は信じたくないものだった。
カッコイイはずのジンクレット叔父上は始終泣き倒し、可愛いシーナ嬢は叔父上の婚約者となった。
どうして…?俺の、俺の婚約者だったのでは?
正式な決定はまだだが、シーナ嬢とジンクレット叔父上は手を繋ぎ、幸せそうだ。泣いている叔父上はともかく、シーナ嬢の表情を見ていたら、俺の割り込む余地は無さそうだ。母上が、父上を見る時と同じ表情をしているもの。
退室する時、父上に謝られた。婚約の話はあのあとすぐに陛下より撤回の連絡があったそうだ。忙しくて伝えるのを忘れていたと。
出来れば早く教えて欲しかった。お陰で、母上には鉄拳制裁と性根を叩き直されることになり、シーナ嬢には嫌な思いをさせただけだった。いらん恥もかいた。
こうして、俺の初恋は、始まったと思った瞬間に終わったのだった。





