間話 バリー視点
「あああああ、どうしよう。あああああ、どうしよう」
さっきから同じことを繰り返して全く晩餐会の支度が進まないのは、俺の主人にしてこの国の第4王子、ジンクレット殿下である。
上着に袖を通しては唸り、ボタンを手にかけては唸り、儀式用の長剣を手にしては唸り。
うるさいので何度か殴ったが、殴られたことにも気づかずに唸っている。重症だ。
原因は分かっている。先程ジン様は想い人であるシーナ様に求婚したからだ。想いを告げたすぐ後は、高揚感からか「後はシーナちゃんの心次第だ。彼女の返事を待とう」とか格好つけて言ってたくせに、時間が経つにつれて、頭を抱えて唸り出した。
「ジン様、こんなに情けない男でしたっけ?魔物狂いと呼ばれていた時も、もうちょっとマシだった気がするんですけど」
「あああああ、王族は嫌だと断られたらどうしよう。王族やめたらもう一度考えてもらえるだろうか。それより年上が嫌だとか、赤毛が嫌だとか言われたらどうしよう。俺の妻なんて死んでも嫌だとか、他に好きな男がいるとか。シリウスの方がいいと言われたらどうしたらいいのか。土下座してお願いし続けたら頷いてくれるだろうか」
「本当に聞いてねぇな。このヘタレ!さっさと晩餐会の準備しろよ。別に今断られても何度でも申し込めばいいじゃねえか」
イラッとしながら蹲る大男を立たせて、晩餐会の支度を整えていく。
正装に身を包み、髪を撫でつければ、そこには完璧な氷の王子、ジンクレット・マリタがいた。燃えるような赤毛に、青く澄んだ瞳、整った怜悧な顔立ち、鍛え上げた堂々たる体躯。夜会で美女たちに熱い視線を注がれ、戦場では兵士達に熱い視線を注がれる男が、今は頭を抱えて唸り声をあげている。
無理もないかと俺は溜息をついた。
シーナ様のあの姿、本当に綺麗だった。成人しているとは理解していたが、まだまだ幼いと思っていたのに、着飾るだけであれほど変わるとは。侍女達が常々、シーナ様を磨き上げたいと嘆いていた意味が分かった。
元々可愛らしい顔立ちだったが、ほんの少しの手入れと化粧で艶やかさが増していた。髪を上げ、露わになった首筋と、鎖骨から胸元にかけての白さといったら、俺ですら目のやり場に困った。あのシーナ様を抱っこで運んだり、お膝抱っこしていたのか。キリさんが睨むのも分かる。あれはもう、やっちゃいけないヤツだ。
「ほら、ジン様。支度終わりましたから!行きますよ!シーナ様も初めてサイード殿下にお会いするから、不安かもしれないでしょ?側にいてあげなくていいんですか?」
ナリス王国の帰り道、サイード殿下から根掘り葉掘りシーナ様のことを聞かれた。カイロット街を救い、アラン殿下と多くの兵を癒し、リュート殿下の腕を治した。ザロスの可能性を広げ、食糧危機まで救い、新たな調味料も開発した。
ここのところマリタ王国に暗い影を落としていた問題を殆ど解決に導いたシーナ様の印象が悪いはずがないが、あまりに荒唐無稽な話だ。そばで見て聞いていた俺ですら、未だに夢なんじゃないかと思っているので、話だけのサイード殿下にしてみたら、俄には信じられないだろう。何にせよ、早くシーナ様の側にいてあげたほうがいい。
「シーナちゃんが?そうだな。何してるんだ、行くぞ、バリー!」
待たせたのはお前だろうが!と言ってやりたかったが、ヘタレの姿は既にそこにはなかったので、俺は怒りを飲み込んで後を追った。
陛下たちの待つ部屋につくと、そこにはロイヤルファミリーが集結していた。そんな中、小さなシーナ様の髪にシュラクの花が飾られているのを見て、俺は叫び出しそうになった。シーナ様が、シュラクを身に付けている!ジン様の妃になることを、承諾した!?
もう決断してくれたのか?もっと時間がかかると思ってたし、絶対断られると思っていた。ジン様がシーナ様にかっこいい所を見せた事なんて只の一度もないんだぞ。情けなく縋ったり、重苦しい執着を見せたり、ヘタレを露呈したり。俺が言うのもなんだが、どこが良かったんですか、シーナ様。本当に後悔しませんか?求婚を承諾してもらえるまで、次はどんなアプローチの仕方がいいかとか、シーナ様をマリタ王国に引き留めるにはどうしたらいいかとか、めちゃくちゃ考えていたんですけど。必要なかったのか。こう言うのも何だけど、シーナ様の好みって、相当変わっている。
ジン様はちゃんと気づいているかと目を向けると、極限まで目を見開いて、息を呑んでいる。フラフラとシーナ様に近づき、…オイオイ、泣き出したよ。どうにかしてくれ。シーナ様の気が変わりませんようにと、俺は女神に心の底から祈った。
その情けないジン様に比べ、シーナ様の凛々しい事といったら。陛下に向かって、ジン様を幸せにすると言い切ったよ。言質はとりました。返品は絶対不可です。ジン様共々着いていきますので、よろしくお願いします、シーナ様。
そしてシーナ様、俺や文官や兵士達の働きもちゃんと分かっていらしたよ。ちょっと感動して泣きそうになった。仕事が増えて大変だったけど、その苦労も吹っ飛ぶよな。シーナ様ってこういう視点もキチンと持って下さっているのが凄いよなー。貴族って下々のものの働きまで気が回らない人も多いのになー。
キリさんが幸せそうに涙ぐんでいる。幸せそうにジン様に寄り添うシーナ様を見て、綺麗な涙がポロポロ溢れていた。俺もジン様が幸せなのが嬉しいように、彼女も嬉しいのだろう。特に彼女は、5年も過酷な環境にいたシーナ様に仕え、側にいて守ってきたわけだから。
ダイド王国。少し探りを入れてみたら、シーナ様追放後、しばらくして、グラス森討伐隊は撤退したようだった。兵士と魔術師を大幅に増員しても、高レベルの魔物討伐はままならず、多くの死者や負傷者を出しているらしい。例の洞窟の攻略を始めてすぐに、シーナ様を欠いたための戦力不足で、グラス森討伐隊は魔物たちに蹂躙されたのだろう。今、街道に現れた高レベルの魔物は、討伐隊が原因で森から出てきている。
マリタ王国は魔物の香のお陰で魔物の害が抑えられているが、なんの備えもないダイド王国ではどうなっているのか。あの閉鎖的で気位だけは高い国が、他国に救援を求めてくるのは時間が掛かりそうだ。その分の皺寄せは、間違いなく力無い民達に降り掛かる。
もしあの恥知らずの恩知らずな国が、シーナ様と凄腕のキリさんの存在に気づいたらどうなるだろう。我が国の罪人達を、彼女達の齎した恩恵とともに引き渡せぐらい言ってきそうだ、馬鹿だから。
だから今回の婚約はシーナ様の身を守るためにも意義のあるものだ。これでダイド王国が何を言ってきても、マリタ王国がシーナ様の後楯になれる。陛下の言い方を借りれば、うちの嫁に何か文句あるのかと言える。
キリさんだって絶対に渡しはしない。何より、俺の妻となる人だ。もしそんな要求してきたら、腕によりをかけてダイド王国を潰してやる。
先程、キリさんと仕事のやりとりをしていて気づいたが、彼女の態度がシーナ様の言う通り、軟化していた。俺の言葉を静かに頷きながら聞き、時折、笑みを浮かべてくれた。今までの能面対応が嘘のような進歩だ。これは、俺の妻になってくれるのも近い!!外堀は完全に埋めている。後は本丸を攻めるのみ。
夫婦してジン様とシーナ様に仕える。それが今の俺の目標だ。
この時俺はとても浮かれていた。浮かれすぎて、注意力散漫になっていた。
この後、取り返しの付かないミスを犯し、シーナ様に助けられて危うく首の皮一枚繋がったのだけれども、それはもう少し先のお話。





