42 ジンクス
ジンさんが凄い勢いで出て行った。廊下は走っちゃ行けませんよー。
いつも変なジンさんだけど、今日はもっと変だな。せっかく会えたのにもう行っちゃった。晩餐までの時間は一緒に居るのかと思ってたのに。
つまらなくて口を尖らせていたら、バリーさんが面白そうな顔でこっちを見ていた。
「バリーさん、ジンさん何かあったの?」
「えぇもう。雷が落ちたぐらいの衝撃があったみたいですよ」
ニコニコしながらよく分からないことを言うバリーさん。侍女さん達が顔を見合わせクスクス、キャッキャしている。
今日はみんな、よく分からない話ばかりしてるなぁ。
「バリーさんも無事に帰ってきてくれて良かった。旅は順調だった?」
ジンさんから毎日連絡もらってたけど、大丈夫しか言わないんだもん。かえって心配になるよ。
「はい。時々A級の魔物に襲われましたが、私達の隊で片付けられる数でしたので問題なく。誰も怪我もなく戻って参りました。やはり、魔物避けの香の威力は凄いですね」
「やっぱりA級の魔物、出たんだ…」
街道に出るなんて。ジンさん達みたいに強い人なら大丈夫だけど、それ以外の人だったら…。
「街道には騎士団を交代で配備する計画ですから。シーナ様、あまりお気に病まないで下さい。一人で何でもしようと思わない。マリタ王国には優秀な者が沢山います。皆でどうしようか考えましょう」
バリーさんが優しく諭すように言ってくれた。どうしようと一人で焦っていた気持ちが落ち着く。
「うん、そうだね。わたしもいいアイディアがあったら協力するね!」
「是非よろしくお願いします。シーナ様の協力は心強いですからね」
バリーさんの笑顔を見ているうちに、わたしはハッと気づいた。
「バリーさん!バリーさんがいない時に大変なことがあったの!」
「アラン殿下とリュート殿下から伺っていますよ。犯罪組織の捕縛と玩具の開発。お任せください」
苦笑いするバリーさんが神様に見えたよ。
「うううぅ。ごめんね、仕事を増やしちゃって」
「そんなことはお気になさらず。シーナ様は思う通り行動なさってください。但し、これからは事前にご相談いただけるとありがたいです。こちらも段取りというものがありますからね」
「分かった!何かするときはジンさんとバリーさんに相談するね!」
なんて頼りになるんだ、バリーさん。ただの巨乳好きだなんて思っててごめんねバリーさん。仕事の出来る巨乳好きなんだね。
「ありがとうございます、バリー様。私も出来る限りお手伝いいたします」
キリが微笑みながらそう言うと、バリーさんが目に見えて動揺していた。
「き、キリさんが俺に笑いかけている?まさか…。ははは、いつもの夢をみているんだ。きっと俺はまだ野営地のテントの中なんだな」
「バリーさんしっかり!夢じゃないよ。本物のキリだよ!」
わたしはバリーさんに耳打ちする。
「バリーさんのいない間に、契約の話とかお金の話とかで大変だったの。バリーさんが全部こういう大変なことを引き受けてくれたんだって、わたしたち気づいたんだよ。だから、しっかりして、バリーさん!汚名返上のチャンスだよ」
バリーさんの目に光が戻る。でも釘を刺すのは忘れない。
「但し、キリを口説くならわたしの査定は甘くないよ。キリを大事にすること、女関係を綺麗にすること。キリを泣かしたらタダじゃ済まないからね」
「キリさんを射止めるためなら、それぐらい出来なくてはそもそも資格なんてないですよ。シーナ様、キリさんが俺を選んでくれたら、その時は俺にキリさんを頂けますか?」
バリーさんが囁き返してくる。声は必死さがこもっていた。
「キリがそう望むなら」
キリが幸せになってくれるなら、わたしが反対する訳ないでしょ。寂しいけどさ。
「夫婦でお二人にお仕えするのだから、今までと何も変わりませんよ」
笑ってもらっただけでもう夫婦になった事を想像するとは!強気だな、バリーさん。
「お二人で、何の内緒話ですか?」
キリが不思議そうに聞いてくる。わたしはちょっとキリに同情した。
「頑張ってね、キリ。逃げられないと思うけど」
「…はい?頑張ります?」
顔中に?が浮かんでいるキリだったが、とりあえず頷いてくれた。バリーさんが獲物を狙う目になっている。
その時、ドアがバタンと大きく音を立て開いた。
「ジンさん?」
息を弾ませてやって来たのはジンさんだった。その手には一輪の花を持っている。
ピューっとバリーさんが口笛を吹いた。
「ジン様、まだ日も沈んでいませんよ?」
「月夜など待っていられるか!」
ジンさんの言葉に、侍女さん達からキャーッと悲鳴が上がった。
「ま、余裕がなくても仕方ないですよね、こんなに美しく変身されては。では我々は、席を外しましょう。キリさん、さっそくですが手伝って頂きたいことがあります。お付き合い頂けますか?」
「…はい。シーナ様、すぐに戻ります」
キリはわたしを気遣いながら、バリーさんの後について行く。侍女さん達もあら私達も晩餐会の仕事が〜とか、花壇に水撒かなきゃ〜とか、裏庭に叫びに行って来ま〜すとか言って部屋を出て行く。
最後に侍女長さんも出て行くが、クルリと振り向き私に言った。
「シーナ様。私はシーナ様の倍以上生きており、有り難くも侍女長という職を頂き、ご令嬢方や若い侍女達の相談役も務めて参りました。娘も育て上げ、最近は孫も出来、人並みに人生経験もあるつもりでございます」
侍女長さんは、フワリと柔らかな笑みを浮かべる。
「助言などと偉そうなことは出来ませんが、共に悩み、共に泣き、共に怒ることはできます。ただ、愚痴を聞いて差し上げる事も、不安を聞いて差し上げることも出来ます。だからシーナ様。沢山悩んで、沢山泣いて、沢山笑って幸せになりましょう。私達がいつでもシーナ様を思い、お側にいることを忘れないで下さい」
「侍女長さん?」
侍女長さんは美しい礼をして、部屋を去って行った。
残されたわたしは、同じく部屋に残っているジンさんを見つめた。
「ジンさん、どういうこと?」
皆、どうしたんだろう。今日は何が起こるの?わたし、何と戦ったらいいの?
不安になるわたしに、ジンさんは笑みを浮かべた。
「大丈夫。皆は気を遣って席を外してくれただけだ。今から俺が言う言葉は、シーナちゃんだけに知っておいて欲しいからな」
ジンさんはわたしに近づくと、そっと手を取った。
「シーナちゃんは知っているか?この国には、古くから伝わる物語がある…。その昔、時の王が妻にと願った女性に、月の美しい晩に、一輪の花を送って求婚した。その恋は見事に成就し、二人は終生仲睦まじく、しかもその王の治世は平和で豊かに発展したという」
ジンさんの手にある白い花が、微かな芳香を放っている。
「それ以降、マリタ王国では、月の綺麗な晩に求婚すると、その夫婦は幸せになると言われている」
ジンクスってやつだね。そっかー、幸せな話だね。
「この話にあやかるなら、月の美しい晩まで待つべきなんだろうが…。こんなに綺麗なシーナちゃんを見たら、待つことなんて出来なかった」
心臓がドキドキと音を立てた。
ジンさんのわたしを見る眼に、熱が篭っている。
時折、ジンさんにこんな眼を向けられていることは気づいていた。いつもは、目が合うとすぐに優しい眼に戻っていた。
でも今日は、熱を孕んだままの眼でジッと見つめられている。わたしはお腹の底がムズムズするのを感じた。
ジンさんは視線をわたしに向けたまま、わたしの前に跪いた。
彼の手にある一輪の花に、落ち着かない気持ちになった。





