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間話 ジンクレット視点 猶予はない

「なぜ部屋に入れないんだ!」


 イライラと怒鳴ると、恐ろしい顔をした侍女にジロリと睨み付けられた。


「シーナ様はまだお支度中でございます。女性の支度中に押し入るなど、紳士としてあるまじき振る舞いでございます!」


 古くから仕える古参の侍女だ。侍女長の次に権力を持つ彼女に、口で勝てたことなど一度もない。


「で、でもようやく帰ってきたんだぞ!一目顔を見るぐらい…っ!」


「ジンクレット殿下におかれましては、淑女の下着姿を覗き見る卑しき悪癖がおありになるのですか?」


「し、下着っ…!」


 思わず想像しかけて、頭に血が上った。馬鹿な!そんな破廉恥な悪癖などない!


「そんなこと、するわけないだろう!!」


「ではお待ちくださいませ。何より先触れもなく淑女の部屋にいらしてはいけませんと、何度申し上げれば宜しいのですか!」


 侍女の厳しい言葉に、俺は言葉に窮した。

 確かに俺は暇さえあればシーナちゃんの部屋を訪れている。先触れを送り、返事を待つべきだと分かってはいるのだが…。


「気がつくとここに来てしまうんだ。…仕方ないだろう」


 俺の情けない言葉に、侍女は大きな溜息をついた。


「あ、いたいた!ジン様!また勝手に行動して!」


 額に青筋を浮かべたバリーが、駆け寄ってくる。

 ちっ!見つかったか。


「晩餐用の衣装に着替えろって申しあげましたよね?ったく、陛下への報告が終わった途端、すっ飛んで行きやがって。まあどこに居るかなんて、分かりすぎるぐらいで助かるけどね!」


 バリーの奴に頭を叩かれる。俺は王族だよな?不敬だろ!


「…分かりましたよ、ちょっと待っててください。あー、侍女様、うちのジン様が申し訳ありません。しかし一目女神の姿を見ないと、伝説のアキュロストのように溶けて消えてしまうかもしれないのです。どうぞ、その神々しき御姿を、恋する男に現していただけないでしょうか?」


 バリーは恭しく騎士の礼をとる。侍女の顔に笑みがこぼれた。

 伝説のアキュロストとは、女神に恋をし、その姿が見れぬまま戦地で散った騎士の名だ。最期まで女神を恋い慕い、その身体は淡雪のように溶けて消えてしまったという。彼を憐れんだ女神は、天に昇った彼を、唯一人己に仕える騎士としたという。マリタ王国に伝わる伝承だ。


 昔はなんと軟弱な男だと思ったものだが、今は気持ちが分かる!凄く分かる!二度と会えなくなるなんて、考えただけで死にそうだ。


「では騎士殿。美しき女神の支度が整いますまで、お茶でも如何でしょうか?」


 そう言って、侍女はシーナちゃんの部屋に続くドアを漸く開けてくれた。


 応接室に通され、お茶と焼き菓子が準備されたが、なかなかシーナちゃんは出てこない。身支度を整えているだろう隣室から、時々侍女達の叫び声が聞こえるが、大丈夫なのだろうか。


「ったく、落ち着いてくださいよ、ジン様。シーナ様から少し離れて大人の男の余裕を身につけるんじゃなかったんですか?」


「身に付いただろ?こんなに離れていたんだぞ?」


「『ジン様からシーナ様には連絡しない大作戦』も1日で挫折してたくせに。こちらからの連絡がなかったら、シーナ様が少しは意識してくれるかもとか仰ってたのは何処のどなたですか?」


「シーナちゃんに会えず声も聞けずに1日過ごしたら、俺が死ぬ」


「死にません!馬鹿ですか、あんたは!」


 バリーに怒鳴り付けられ、俺は口を閉ざした。


 俺がシーナちゃんに恋をしていると自覚したのは、カイラット街襲撃の時だが、この気持ちを彼女に告白するのは躊躇っていた。

 理由はいくつもあるが、何よりもシーナちゃんがまだ幼いということが大きい。

 出会った頃に比べたら、サンド老の食事指導と投薬のお陰で、少しずつだが成長している。抱き上げると軽いが、骨が浮き上がっていた頃に比べれば、かなり健康的になってきた。しかしその年齢にしては、やはりまだ小さい。あの薄い身体に欲を持てるかといえば、答えは否だ。俺のような大男が相手だと、彼女を壊してしまいかねない。まだ彼女は15歳。これから大きくなって、女性らしく成長するのをゆっくり見守り待てばいい。


「そういうことを言っている猶予はなさそうですけどね」


 ボソリとバリーが呟く。こちらを見る目は『この意気地なしめ』と言わんばかりだ。


「シーナ様は稀有な方なんです。あの能力が知られれば、どこの国もあの方を欲しがるでしょう。陛下はナリス王国にシーナ様のことを明かしました。どういう意味だかお分かりですよね?他国にシーナ様の価値が漏れたと言うことです。陛下は本気で我が国の恩人に報いようと考えていらっしゃる。シーナ様に相応しい男が、我が国ではなく他国にいるなら、あの方がマリタ王国から離れる事になっても仕方ないと考えていらっしゃるんです。貴方がさっさと本気で甘っちょろい考えを捨てないと、そもそも勝負の土台にすら上がらずに、シーナ様を掻っ攫われることになりますよ?」


 バリーの言葉は、俺に動揺をもたらした。


「だが…。シーナちゃんはまだ小さい」


「だから、あの方は外見が幼いだけで中身は相当成熟してるって言ってるでしょう!貴方だって分かっているはずです!貴方が本気でぶつかれば、シーナ様だって王族嫌悪はあるかもしれませんが、誠実に向き合おうとしてくださいます!別に今直ぐ結婚しろなんて、俺も言いませんよ。でもシーナ様にお気持ちを伝えるぐらいはしておかないと、ほんっとうに他の誰かに取られますよ?いつまでも言い訳ばかりして逃げないでください。俺が命懸けでお仕えしているジンクレット殿下が、そんな意気地なしだなんて思わせないでくださいよ?」


 バリーの怒りの声を遮るように、隣室から侍女が出てきた。


「お待たせ致しました。シーナ様のお支度が整いました」


 俺は思わず椅子から立ち上がった。バリーが不満そうな顔をしている。まだ言い足りないようだが、すぐに気持ちを切り替えたのか、にこやかな笑顔を浮かべた。


 静かに、ドアが開いた。

 可愛らしいシーナちゃんが、元気よく飛び出してくるものだと思い、俺は笑みを浮かべてそれを待った。


 おずおずと、華奢な女性が歩いてきた。

 キリさんがその後ろに付き従い、柔らかな表情で女性をサポートしている。


 茶色の柔らかそうな髪を緩く結い上げ、白く細い首筋が露わになっている。生き生きとした黒い瞳は輝き、白く輝く肌にほんのり赤い頬、プルリとした唇には紅が一差し。

 鎖骨から丸みを帯びた胸元はシミ一つなく真っ白だ。青いシフォンを重ねたスカートはフワリと広がり、細い腰に巻かれた赤いリボンがアクセントとなっていた。


「ジンさん!お帰りなさい!」


 不安げな表情がパァッと笑顔に変わり、俺の胸を貫いた。

 心臓が高鳴る。顔に血が昇るのを感じた。


「ジンさん、どうしたの?」


 無防備に俺に近づき、見上げてくる女性。心配そうな可愛らしい顔から、首筋、鎖骨、胸元に視線が惹きつけられ、俺の心臓は更に煩く動き出す。


「…シーナちゃん?」


 棒立ちになった俺は、声が震えそうになるのを必死で抑えた。見違えるように美しい女性は、俺のシーナちゃんだ。

 可愛くて小さくてまだ子どもだと思っていた彼女は、いつの間にこんなに危うい魅力を持った女性になったのだろうか。


「良かった。ジンさん無事に戻ってきた。怪我してない?」


 シーナちゃんが俺の手を取り、両手で包み込んだ。俺はたまらず彼女の手を引く。細い腰を抱き寄せると、甘い匂いがした。


「ひゃっ?ジンさん?急に引っ張らないでよ、ヒール高いからコケちゃうよ」


「綺麗だ…。驚いた」


 目の前の美しい人から目が離せなかった。


「とても似合っている。俺の色を纏ってくれているようだ。嬉しい」


 呆然としたまま呟けば、シーナちゃんの顔が真っ赤になる。


「うぅ、そう言えば、ジンさんの瞳の色みたいで綺麗だから、このドレスにしたの」


 紡がれる言葉は、媚薬のように甘い。


「わたし、ジンさんの瞳の色、大好きなの。夏の空みたいな綺麗な色。大好き」


 大輪の花が咲き誇るような笑顔に、俺の胸が締め付けられる。

 君はどこまで俺を、堕としてしまうのか。


 バリーの言う通りだ。

 猶予なんて全くない。こんな綺麗な華、見守るだけではあっという間に誰かに摘み取られてしまう。


 俺はシーナちゃんの身体を離すと、指先に口付けた。


「待っててくれ」


 俺はシーナちゃんにそう告げ、部屋を後にした。



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