間話 ザイン商会 ナジル・ザイン【後編】
結論からいうと、邪魔者の排除は恙無く成功した。
途中、台本無しの芝居にスルリと順応しているローナに惚れ直したり、内心はプリプリ怒ってるのに微塵も表に出さないローナに惚れ直したりと忙しかったが、まぁ、ローナに惚れているんだからこれは仕方ない。
「っはー、やっと帰った!」
ソファにグッタリするシーナ様に、激しく同情した。あの痛い貴族の見本、ラミス・ガードックと短時間とはいえ同じ馬車だったとは。病み上がりな所にあんなのを宛てがわれるなんてなぁ、気の毒に。俺は毎日アレとおんなじタイプの阿呆と働いているからよく分かる。早く馘首にしてぇ。
「大変でしたねぇ」
同情込めてそう言ったら、シーナ様はゲンナリした顔だったが、机に並べた菓子や果物に気づくと、嬉しそうに摘んだ。うんうん、好きなもの食べて元気を出してくれ。
初めてお会いするシーナ様は、親父から聞いていた年齢にしては、小さく感じた。細身ではあるが、髪や肌には艶があり、瞳には知性の輝きが感じられる。なんつーか、精神年齢が外見に合ってねぇな。子どもだと侮ると、痛い目を見そうだ。人は良さそうだけどな。
思った通り、ローナとは馬が合いそうだ。侍女さんも、ラミス嬢がいた時の刺すような殺気が消えている。うん良かった、護衛も兼ねているのだろうが、生きた心地がしなかった。この人が噂のキリさんだろう。銀髪と褐色の肌の美人って外見も一致するし。
シーナ様はキリさん以外の護衛を連れていない。親父曰く、他に護衛など必要ないぐらい強いらしい。いつだったか、酔っ払った親父が「カイラット街でなぁ、魔物に囲まれて生きた心地がしなかったが、シーナちゃんが凄いんじゃあ。全部すぱーんしてのぅ。キリさんも剣でゴウっとバシバシっと倒してなぁ!」と語っていた。すぱーんとかゴウっとバシバシって何だよ。全く伝わらん。まぁ、あの親父がジンクレット殿下より強いと断言するから、そうなんだろうが。
とはいえ、女3人連れ(しかもタイプは違うが全員美人)だからなぁ。王都は治安が良い方だが、けしからんナンパ野郎が出るかもしれない、こっそり護衛を付けるかとなやんでいた所、シーナ様が爆弾発言を。
「ローナさん。王都で素敵な出会いはありました?」
おおう。俺がローナに聞こうと思って聞けずにいた事をアッサリと!シーナ様、貴女は女神の遣いか?
俺は平静を装い、ローナの答えに神経を集中させた。
「まだこっちに来たばかりで仕事を覚えるので精一杯ですもの。王都の他のお店にも、ようやく顔が繋げるようになったばかりだし!今は仕事よ!恋はまだまだ!」
「そーなんだー」
そーなんだー。ローナの答えに半分安心し、半分ガッカリした。恋人はいないが俺も意識されていないと。
俺が表情を消し切れてなかったせいか、シーナ様がこちらを盗み見て、ドンマイという表情を浮かべている。ははぁ、バレてますか、そうですよね、俺の気持ちは店中にすら周知されてますから。当の本人にはさっぱりですが。
俺はニヤリと笑った。ご心配なく。本気だし逃す気もありませんとも。
シーナ様はちょっと気の毒そうにローナを見て、首を振っていた。表情豊かなのはシーナ様も同じだな。
美女3人が買物に出発するのに合わせ、俺は店の護衛達にこっそり付いて行くよう指示をする。気付かれるなよ、と注意をしたら涙目になった。筋骨隆々のデカブツ達が、女子の好きそうな服屋やら雑貨屋やらカフェやらに気付かれる事なく付いて行くのは、至難の業だろう。買物っつーのは雰囲気も大事なんだ。むさ苦しい威圧感のある野郎に囲まれて、心底お客様が買い物を楽しめるわけねぇだろ。普段から口酸っぱく店の雰囲気に溶け込む努力をしろと言っているから、まぁ、何とかなるだろ。なんだかんだ言って、あいつら優秀だしな。
それから普通に仕事をこなしていたら、ローナ達に付いて行った護衛達の一人から、伝令魔法が届いた。
『騎士隊員達に絡まれ連れ去られそうになったが、介入する前に地面に穴が開き騎士隊員達が落ちた』
連絡・報告は簡潔にが原則だが、さっぱり分からん。騎士隊って、何か問題があったのか?
護衛達から続けて伝令魔法が届く。
『危険はなさそうなので待機して様子を見る。騎士は偽騎士の模様』
『お客様が穴の中の騎士達を水や土責めにしている。止めるべきですか?』
『護衛の侍女様から詳細の説明を受けた。アラン殿下がお出ましになり、撤収いたします』
おぉ、キリ様には護衛が付いて行ったことがバレてるじゃねぇか。続報が来てもさっぱり分からん。取り敢えず、危機は去って戻ってくるって事か?そしてこいつら、もうちょっと文章力を鍛えさせよう。何一つ分からねぇよ。
今度はシーナ様から伝令魔法が届いた。
『騎士に扮した犯罪者に拐われかけたが撃退。ローナさんが服装などから偽騎士と看破。お手柄。怪我も被害もなし。迷惑をかけて申し訳ない。今から戻る』
おおっと、偽騎士とはなかなか大事だったみたいだな。ローナがお手柄か。戻ったら誉めてやらなきゃならん。
『ローナさんは強がってるけど大分動揺してる。フォロー宜しく』
シーナ様から続けて届いた報せに、俺はハッと胸を衝かれた。そうか、そうだよなぁ。シーナ様達が居て下さって大事には至らなかったが、そんな荒事に巻き込まれたんだ、怖い思いをしただろう。それなのに服装で偽騎士達を見抜くとは。お客様を知る為に、隅から隅まで観察しろという商会の教えを忠実に守って。全く、肝の据わった、大した奴だ。マジでドストライクだわ。
やがてシーナ様達に送り届けられたローナが、馬車から降りてくるのを見たら、堪らなくなった。青白い顔で、よく見ると手が震えている。
俺は店から飛び出し、ローナを抱き締めた。ローナは何が起こっているのか理解できていないようで、ポカンとしている。
「ご無事でお戻りになられて、安心いたしました」
馬車の窓からこちらを見ていたシーナ様にお声を掛けると、シーナ様は申し訳なさそうに詫びた。
「ごめんねぇ、ローナさんまで怖い思いをさせちゃって。今日は忙しくなっちゃったから、また落ち着いてから、ゆっくり説明するね」
「お気になさらず。本当に、無事で良かった…」
腕の中の温もりが、失われてたかも知れないのだ。そう思ったら、あり得ないぐらいの恐怖を感じた。ヤベェな、思ってた以上にのめり込んでるわ。
「まぁ、頑張って。無理強いはダメだよー」
去り際にシーナ様にそう言われて、俺はちょっとだけ理性を取り戻す。10歳以上も年下の少女に釘を刺されるとは。やっぱり見た目と中身がそぐわねぇお人だわ。
「あ、あの、商会長…」
モジモジとローナが身を捩る。可愛いな、いや、イカン。抱き締めたままだったわ。
「あぁ、すまん。大変だったな、ローナ」
俺はローナから身体を離したが、ローナの顔がまだ強張っているのを見て、急いで俺の執務室まで連れて行った。従業員に命じ、温かいものを持って来させる。茶を準備した古参の従業員が、心配そうにローナを見つめ、ギロリと俺を一睨みして、しっかり慰めろと無言で釘を刺す。今日は釘を刺されっぱなしだな。
温かい紅茶で一息ついたのか、ローナが深く息を吐いた。少し顔に赤みが戻っている、良かった。
俺はローナの隣にピタリと寄り添っている。離れ難かったのもあるが、ローナが不安そうだったからな。頭を撫でると気持ち良さそうにしている。くっそ可愛い。撫でても嫌がらない、それだけで心が浮き立つ。いや、落ち着け俺。
「申し訳ありません、商会長。ご心配をおかけしました」
「別にお前が悪いわけじゃねぇよ、謝んな。それよりお手柄だってシーナ様が誉めていらしたぞ。偽騎士だって見抜いたって?」
髪をくしゃくしゃにして撫でると、ローナの目に涙が盛り上がる。
「そんな、そんな事ないです。シーナ様やキリ様はあの男達をサッサと捕えたのに、私は怖くて固まるだけで、何も出来なくて。カイラット街の魔物の襲撃の時だって、逃げる事しかできなくて。私、私、役立たずで…」
「いやいや、それでいいだろ。悪人や魔物相手に戦うこともそりゃあ大事だけどよ。それが全員出来るわけでもねぇし。逃げるのも戦う人達の足手纏いにならねぇためだし、それ以外に例えば物資の確保やら、その後の復興やら、色々やることはあるしなぁ。出来ることをやればいいし、今回のお前はやれる事を最大限発揮したんだろ?」
うーわぁー、余計に泣いた。泣き止まねぇ。ボロボロ涙が溢れてくる。あーあ、鼻垂らしてても、何でこんなに可愛いかね。俺はローナの涙を拭いてやり、ついでに鼻も擤ませてやった。あー、可愛い。
落ち着くまで頭を撫でてたけど、やがてローナの泣き声が止んだ。真っ赤な顔で目も赤くなって、恥ずかしそうだ。
「ありがとうございます、商会長。落ち着きました」
「おー」
俺は腑抜けた声で答える。
「…あの、商会長。もう離していただいても、大丈夫です。もう泣きませんから!」
「んー、大丈夫じゃねぇ」
俺はローナの髪を撫でながら、ため息を吐いた。
「俺が大丈夫じゃねぇ。お前に何かあったらと思うと、正気ではいられんわ。惚れてるからかなぁ」
本当に、無事で良かったよ。
「えっ?」
ローナが俺の顔を見てポカンとしている。まだ鼻垂れてるな。ぐいぐい拭いているとみるみる真っ赤な顔になった。
「商会長、あの、今、なんて?」
「あ?無事で良かったって話か?」
「いや、惚れてるって何ですか?」
「んぁっ?!」
何だ?何でバレた?撫ですぎたか?あれ、訴えられるほど触ってたか?触ってるな…。
「あー、一目惚れしてな。もうちょっとカッコつけて言いたかったが、あー、締まらねーな。くっそ、好きだ」
ヤケクソで告白すると、ローナはますます真っ赤になった。目がウロウロしてる。
「スマン…、お前が仕事に慣れたら本腰入れて口説くつもりだったが、今日の事で箍が外れた。今から全力で口説くわ」
「商会長って、タラシ…?」
「自慢じゃねぇが、タラされた事はあるがタラシた事はねぇ」
「タラサれた事はあるんですね」
「若い時になぁ。いい社会勉強させられたよ…。親父にぶん殴られたなぁ、あん時は」
「貢いじゃいましたか、それは殴られますね」
「冷静に分析できるところも好きだぞ」
ローナはツンとそっぽを向いた。
「私、そんなに簡単に好きにはなりませんよ」
「ははは、俺が惚れた女だからな。そうじゃなくっちゃ張り合いがねぇよ」
俺の肩書きとか、こんな簡単な言葉ぐらいで堕ちてもらうぐらい単純な女だと困る。なんせ俺の片割れは、ウチの商会を俺と一緒に束ねる立場になるんだからよ。
「まぁ、交渉は商人の基本だ。覚悟しとけよ、ローナ」





