間話 ザイン商会 ナジル・ザイン【前編】
35 ザイン商会あたりの話です。ザイン商会長ナジル視点ですが、客前と普段の口調が全く違います。丁寧な口調の裏ではこんな事を考えてました。
「会長、夢の中で数字が追っかけてくるんです…」
「おう、目ぇ開けてても数字が追ってくる様になったら一回休め。それまでは死んでも手ぇ止めるんじゃねぇ」
「ひぃえぇえぇ」
どこぞの男爵家の三男だか四男だか忘れたが、貴族家出身の従業員が泣き言を言ってきやがった。このクソ忙しい時に甘い事言いやがって。取引先の男爵家に頼まれたから雇ってみたが、他の平民の従業員に高圧的だわ、客に対して横柄だわ、事務仕事を他の奴に押し付けるわ、使えなさすぎる。他の従業員からの苦情が多すぎて、直接俺付きにしたが、俺に次ぐ地位になったと勘違いしてやがる。だからちょっとばかり扱き使ったら、このザマだ。
取引先の男爵家から、使えなければ遠慮なくクビにしていいと言われているが、こいつに労力を割いた分、回収できなければ損失になる。唯一の取り柄の計算能力を存分に発揮させてから放逐しないとなぁ。
「ナジル会長。先代から伝令魔法です」
「ちっ、またかよ。もうこれ以上無理だぞ?」
引退した先代の会長、俺の親父だが、今は趣味の行商に出ている。『魔物狂い』と噂されているマリタ王国の第4王子が、周辺国の調査をしているのだが、親父の行商の護衛に扮してあちこち回っているようだ。もういい歳だし、マリタ王国一の商会の創業者かつ先代会長なのだから、そんな危険な仕事は止めて孫の相手でもしてりゃいいのに、じっとしている事が出来ない、困った爺さんなのだ。
そんな親父から、ある日突然、『魔物避けの香』の販売についてマリタ王国から請け負ったと連絡が来た。早馬と共に届けられた『魔物避けの香』を試してみたら、その効果に驚かされた。マリタ王国が国の事業として国中に配布するので、買付けと配布をザイン商会で行うと言うのだ。
はっきり言って、俺の代になって一番の大仕事だ。と言うか、ザイン商会始まって以来の大仕事。その規模はマリタ王国に留まらず、隣国ナリス王国まで範囲が広がりそうと聞いた時は、まだ帰らない親父を引っ捕まえてぶん殴りたくなった。人手が足りねぇよ。勝手にでかい仕事、了承してんじゃねぇ。せめて一言相談しろ!
ただでさえ親父から商会長を継いだばかりで、従業員や取引先から舐められないようにガムシャラに働いてるって言うのに、親父は俺を殺す気か?獅子は我が子を鍛える為に谷から落とすって言うけど、落としただけじゃ飽き足らずに上から岩でも落としてるのか?
それでもやらない訳にはいかねぇから、従業員総出で取り掛かっている。全支部に通達したら、各支部長から悲鳴が上がったが、これを乗り越えて儲けてこそ商人だよなぁ!って言ったら全員、変なスイッチが入った。ウチの支部長になるのは、一癖も二癖もある奴ばかりなのだが、全員、根っからの商人なので儲けの二文字には敏感だからな。うむ、働け。
そんな毎日がお祭り状態の時に、更なる親父からの伝令魔法。なんだと身構えたが、カイラット街の救援も一通り終わり、そろそろ王都に戻る。カイラット街の支部から数人、従業員を連れて行くだとよ。支部の方も人手が足りないだろうに大丈夫かと思ったが、支部長の弟も納得しているようなので、有り難く受ける事にした。
◇◇◇
「カイラット街支部から参りました、ローナです」
やや緊張した面持ちで、ローナがペコリと頭を下げる。茶に近い赤髪、丸い顔、翠の瞳。少し鼻にソバカスが散っているが、それもまた可愛い。平均より少し低い身長、華奢だが出るとこは出ている身体付き、キビキビした動きに、好奇心が強そうなイキイキした目つき、柔らかな声、笑うとエクボ。
俺はローナの挨拶を受けて、一瞬呆けた。何だこの、俺のドストライクな娘は。連日の過労働が見せたご褒美か?
「ナジル会長?」
動かない俺に、小首を傾げるローナ。俺は現実に戻った。仕草もドストライクで可愛いな。じゃなくてよ。
「お、おう。ローナか。よろしくな。遠路はるばるご苦労だったな。カイラット街支部は大丈夫か?」
「はぃっ!魔物の香のお陰で魔物の襲撃も減っていて、徐々に活気を取り戻しています。新しい食べ物もすごい人気で!美味しいんですよ、シーナ様考案の料理は」
「あぁ、俺も試食したよ。美味いよなぁ。スパイスミックスも王都でバカ売れしている」
「まだ王都に伝わっていない料理も沢山ありますよ!張り切って売らなきゃ。シーナ様が王都に戻られるって聞いて、本店への異動を思い切って希望して良かった!これからよろしくお願いしますっ!」
おぅ。希望してくれて俺も良かった。いちいち全部がツボなんだが、どういう事だ?
王宮に上がっていた親父が戻ってくるなり、ニヤニヤしながら俺に話しかけてきた。
「どうじゃ?ローナは?」
クソ親父。こいつの差金か。俺の好みのドストライクを何故知っている?
「おい親父、どういうつもりだ。息子にハニートラップでも仕掛けるつもりか?」
俺の言葉に、親父は爆笑しやがった。
「お前なんぞにそんなモン仕掛けて、何の得があるんじゃ。いやー、ローナが余りに優秀なモンだから、エリクに頼んで王都に譲ってもらったんじゃ」
エリク…。カイラット街支店を任されている俺の腹黒な弟の名が出たところで、物凄い嫌な予感がした。
「エリクからなぁ、お前の好みドストライクの優秀な娘がいるって聞いてな。イヤー、会ってみたら、凄いいい子だろ?本人も王都に行きたいって希望するから、ちょうど良かった」
弟まで何で俺の好みを把握してるんだよ。
それより何より、あんな可愛い娘が来るなら、事前連絡ぐらいしやがれ。昨日から店に泊まり込みで、髪はボサボサ、寝不足で血走った目、無精髭、シャツはヨレヨレ、ズボンは皺だらけ、靴は磨いてねぇ。初対面の印象が台無しじゃねぇか。
「あー、哀愁漂う男の色気で、キュンとしとるかも知れんぞ?」
疲れたおっさんに漂うのは加齢臭なんだよ。そんな希望的観測で誤魔化せるか。
◇◇◇
ローナが来てから暫くは、全く何の発展も無かった。当たり前だが。異動してきたばかりの従業員をいきなり口説く訳にもいかないからな。ローナも、本店での仕事を覚えようと必死だし、優秀だからグングン教えられた事を吸収している。男爵家の三男だか四男より断然役に立つ。比べるまでもないがなぁ。俺に今出来ることは、頑張りすぎるローナが無理をしないように見守る事ぐらいか。しかし、古参の従業員まで、ローナと俺を見比べてニヤニヤしてやがる。だからなんでお前らまで俺のドストライクを知ってるんだよ。
ある日のこと、仕事をしていた俺の元にシーナ様から伝令魔法が届いた。シーナ様とは魔物の香やスパイスミックスの取引で、これまで何度か伝令魔法でやり取りしていた。王都に来てから暫く体調を崩されていたらしく、直接お目に掛かったことはない。
「んぇぇ?」
シーナ様からの伝令魔法には、護衛兼案内人が非常に腹立つ奴なので帰らせたい。協力してほしいとあった。ラミス・ガードック?あぁ、あの痛い貴族の見本みたいな女か。
俺は素早く計画を頭の中で組み立てて、計画に必要なローナを呼んだ。シーナ様とは知己だし、お忍びなら、うってつけの人材だ。決して贔屓ではない。
「えっ!シーナ様の案内を私がですか?」
「おう。シーナ様の趣味や嗜好は、お前の方が詳しいだろ?」
「はいっ!キリ様からお好きな色や食べ物は伺っています!ウチの商品は、気軽なお買い物ならちょっとジャンルが違うかと…」
ウチの女物の主力は上品かつ高級志向だからなぁ。エール街での買物傾向から、シーナ様の普段のお召し物は軽めな物を好まれるだろう。
「そこはウチは未開発な分野だからなぁ。ローナ、いずれは上級貴族の若いお嬢様向けの、質のいい軽めな普段着を開拓してみるか」
「はいっ!!」
うん、そういう分野に興味があるのは分かってたが、キラッキラの可愛い顔でイイお返事だな。襲うぞ。
「シーナ様の案内の前にな、邪魔な御付きを丸め込んで帰さなきゃならねぇ。ローナは俺が言う事に了承してくれればいいから。腹立つかも知れねぇが、それ以外は黙っていてくれるか?」
「……?はい?」
分かってないけど取り敢えず頷くローナ。可愛いな。
そうこうしている内に、我がザイン商会の大恩人が到着したと従業員が駆け込んできた。さてと、せいぜい頑張りますかね。





