間話 ジンクレット視点
「はぁ…」
知らずに漏れるため息。埋められぬ心の空洞に、やたらと響いた。
「はぁ…」
昼はまだいい。部下の目もあるし行程を進める間は気が紛れる。だが何もすることのない夜は、考えずにいられない。
「はぁ…」
寂しがってはいないだろうか、泣いてはいないだろうか。今夜は冷える。ちゃんと暖かくしているのか。
「はぁ」
「ちょっとジン様。はぁはぁはぁはぁ煩いですよ?!寝られないじゃないですか。静かにしてくださいよ」
毛布をかぶっていたバリーが、イライラと起き上がる。
「煩いなバリー。俺はシーナちゃんが」
「はい、銀貨1枚でーす」
「ぐっ!」
バリーが右手をこちらに差し出す。俺は財布から銀貨を取り出し、バリーに放った。
「毎度ありー。ジン様、この調子じゃ、国に帰る頃には財布の中身は全部俺の懐に入りそうですね」
「………」
国王と王妃に釘を刺されたあの日から、俺なりにシーナちゃんを守る方法を考えていた。自分でも自覚しているが、俺はシーナちゃんに依存し過ぎている。彼女の姿が見えないだけで、不安で居ても立っても居られない。彼女に近づく者は、敵ならまだしも味方でも気に食わずに威嚇する。そんな状態で、彼女をどうして守れるのか。
悩む俺に、バリーが物理的にシーナちゃんと離れることを提案してきた。少し離れて、自分の出来ることを考えろと。ちょうどサイード兄さんたちを迎えに、ナリス王国との国境へ兵を派遣する話が出ていた。近頃はAランクの魔物が街道でもチラホラ目撃されている。サイード兄さんたちの護衛にカナン王太子の護衛たちもいるが、念のためこちらからも兵を向かわせることになった。それに志願した。
期間は往復30日程だ。いつもの遠征に比べたら短か過ぎるぐらいだ。シーナちゃんと離れるといってもそれぐらいなら大丈夫だと思った。外交も絡む、大事な仕事なのだ。しかし。
出発して今夜が1日目だが、彼女に会えない禁断症状か、身体が震えた。会わない間に彼女がいなくなったらどうしよう、他の男に懐いていたらどうしようと、打ち消しても不安が次々と湧き上がってくる。
出会った頃から、シーナちゃんは規格外だった。初めて会った時に命を助けられ、その後は国を含めてずっと助けられっぱなしだ。何のお返しも出来てない。悩んでいたリュート兄さんとの仲も、シーナちゃんの後押しのおかげで修復できた。守られて助けられてばかりだ。情けない。
物理的にシーナちゃんより強くなるのは難しい。あの魔法は天賦の才だ。並ぶ者などないだろう。男としては情けないが、今の俺ではシーナちゃんの盾になるぐらいしか出来ないだろう。
それならばと、精神的に彼女の支えになろうと俺は考えた。幸いにも俺は王族の生まれであり、身分的にも彼女を狙う不埒な輩から守りやすい。幼い頃から搾取され続け、馬鹿な輩に傷つけられた彼女を守り、支えてやりたい。
そうしたらシーナちゃんは俺の側から離れずに居てくれるかもしれない。
そうバリーに話したら鼻で笑われた。シーナ様の言動一つで右往左往しているジン様が、彼女の精神的な盾になるって正気ですかと。それでシーナ様と対等でいられると思うなんて。あの人は本当の聖女なんですよ?俺の主人はそんなに身の程知らずだったとはと嘆かれた。
バリーの言葉はいつも通り辛辣だが、本当のことなので反論出来なかった。
では俺に何が出来るのか。悶々と悩みながらナリス王国との国境に向かっていたのだが、バリーからシーナちゃんシーナちゃん煩いと苦情を言われた。どうやら無意識の内に、俺はシーナちゃんの名前を呟いていたらしい。まったく自覚がなくて驚いたが、シーナちゃん不足による禁断症状の一種だろう。仕事のことを考えている時も呟いているようで、部下たちからは不審な目を向けられている。
「あんたバカの一つ覚えみたいにシーナちゃんシーナちゃんって言ってるの自覚してくださいよ?!もう俺、シーナ様の名前を聞き過ぎて気が狂いそうなんですけど?只でさえクッソ寒くてイライラしてるのに勘弁してくださいよ?」
「分かった。気をつける」
この数分後にまた呟いてしまい、本気でバリーに後ろ頭を殴られた。不敬だぞ?!
「あー、もう決めた。次からジン様がシーナ様の名前を口にしたら銀貨1枚貰います。絶対貰いますから。俺への慰謝料です」
「罰金じゃないのか?」
「あんたが罰金を払わされるくらいで我慢できるはずないでしょう。絶対言うに決まってますから慰謝料です。俺の耳にタコが出来ることに対する慰謝料です」
結局俺はその時から銀貨65枚取られている。いや、今取られた分を合わせると66枚か。
すっかり目が冴えてしまったらしいバリーが、温かいお茶を淹れてくれた。
「お前には苦労をかけるな。せっかくキリさんとの仲を進展させると張り切っていたのに」
「ジン様、銀貨を取られたの、根に持っていますね?俺が連戦連敗しているの分かってるくせに」
「いや、そういうつもりは…」
バリーが珍しくキリさんに本気になっているのは知っている。さり気無くアプローチを続けているが、悉く拒否されている。無理はないが。
「しかしお前、なんでそんなに本気になったんだ?いつもみたいに遊び半分で声をかけている様じゃないみたいだけど」
「ジン様、俺のことなんだと思ってるんですか?」
「女嫌いのタラシ」
「なんです、その矛盾する評価」
「当たってるだろう?」
「まあ、否定はしませんが」
バリーは所謂、来るもの拒まずといった男だ。但し付き合うのはその必要がある時だけ。情報が取りたいとか、家の付き合い的に必要に駆られてとか。見た目良し、第4王子付の側近、有力伯爵家の三男。経済力があり、出世も約束されている。ちょっと遊ぶには付き合いやすい相手だろうし、結婚まで持ち込めば、生涯安泰な生活を送れる。そう考える下級貴族の娘や裕福な商家の娘や夫に先立たれた未亡人などに、よくモテている。
バリー自身はそう言った女達に言い寄られれば、表面は愛想良く、必要なら付き合い、必要なくなれば綺麗に別れるというのを繰り返している。基本女性には親切丁寧だが、女性というものを心から想った事はない。傍から見ればチャラチャラと女の間を行き来している様に見えるが、女性に対してはかなり冷酷だ。
「一度キリさんと、2人っきりになったことがあるんですよ。エール街に向かう途中だったんですけど」
あまりにキリさんがシーナちゃん一筋に仕えているので、いつもの愛想のいい軽口を叩いたそうだ。
「一生懸命シーナ様に仕えるのもいいけど、少しは肩の力を抜いてもいいんじゃないですか?俺ではあなたの支えになれませんか?」
バリーはそう言ってキリさんに言い寄ったという。その時にはシーナちゃんの利用価値に気づいており、取り込む為に意図してキリさんに近づいたらしい。
「でもキリさんに言われたんですよ」
『私に対して懐柔は無駄です。私はシーナ様の御心通りに動き、命懸けで守る、その為なら何でも利用する。あなたがそうしている様に』
その時はまだ俺の正体はバレてなく、バリーと俺は冒険者仲間ということにしていた。それはあっさり見破られていて、その上バリーの忠義心まで見抜かれていた。
バリーの俺に対する態度は、周りから見れば、王族に仕える側近とは思えない。口も悪いし顎でこき使うし態度は不敬の塊だ。
しかしそんな態度は、俺を害そうとする不穏分子どもを炙り出す為のものだ。俺を嵌めようとか上手く取り込もうとか企む者どもを軽薄な態度で誘き寄せ、情報を吐き出させ、その末端まで葬り去る。その為なら何を犠牲にしても構わない。そう言う守り方をする男だ。
だから俺はバリーがどんなに悪口雑言を吐こうとも、粗雑な扱いをしようとも、気にはならない。不敬だが、腹は立つが、傍におく。バリーが裏切るなどと考える必要がないからだ。
それを、キリさんはあっさりと見破っていた。エール街で俺の身分がバレた時、彼女も驚いていたから俺の素性などはよく分かってなかっただろうが、バリーがどういう立ち位置なのかは分かっていたのだろう。
「俺、女の子って可愛いけどバカで強かで強欲で欲望に忠実で自分に都合の良い夢しか見ない生き物だと思ってたんですけど」
駆け引き塗れの付き合いしかしてこなかったせいか、俺の側近の女性を見る目は大分捻くれ、ねじ曲がっている。まあ俺も、人の事はいえないが。
「キリさんはシーナ様を守る為なら、なんでもする人なんですよ。シーナ様が追放された時も迷う事なく供をして、魔道具のおかげもあったでしょうが、あのグラス森で魔物相手に死に物狂いで腕を磨いた。シーナ様を守る為なら何を犠牲にしても構わないと覚悟を決めている。だから俺の戯言も見抜いたんでしょうね」
同族ですからと、ヘラリとバリーは笑う。
「ああ、こんな子がいるんだと感動したんです。それで気になって、ちょっと本気でアプローチをしてたんですけど。キリさんがこれ程までに入れ込んで守っているシーナ様は、どんな人なんだろうと思ってたら…」
カイラット街の魔物襲撃の時に、俺とキリさんがシーナちゃんには怪我人の回復に徹して欲しいと言った時に、泣きながらブチギレられ、バリーは雷に打たれた様な衝撃を受けたらしい。
ガリガリの痩せ細った15歳の少女に、もう誰も死なせてなんかやるもんかと啖呵を切られ、民を守るために自分を利用しろと怒られた。アレは確かに俺も衝撃だった。あの時の涙と泣き顔が、心の底から綺麗だと思った。あの時から、俺は自分の心を誤魔化すのは止めたのだ。
彼女が、どうしようもなく愛しくて、手に入れたいと心の底から思った。
「その時、キリさんが守っているのは本物の聖女なんだと思ったら、俺、嬉しかったんですよ。なんだか、認められたみたいで」
あなたがそうしているように。そう言われたのだ。
本物の聖女を守ろうとしている人から。
あなたも、私のように本気でその人を守っているんでしょうと。
「そう思ったら、もう、本気で欲しくなったんです。きっとキリさんなら、俺がジン様を守るために、何を犠牲にしても分かってくれるだろうって思ったら、堪らなくなりました」
そう語るバリーの目は、熱に浮かされたような色を孕んでいる。
主従揃って同じタイミングで恋を自覚するとは。
「もう家の方は根回し済みです。キリさんが平民だろうが孤児だろうが他国民だろうが構いません。必ず妻にします」
コイツが外堀を埋めたのなら、もう逃げ場はないだろう。キリさんも哀れな。…しかし一筋縄ではいかないだろうな。
「外堀を埋めてばかりで、肝心の内部はサッパリだな?」
「いや、そこはこれからじっくりとですね」
「いや、エール街でのあの言葉は致命的だぞ。ただでさえ女性からの反感を買うだろうに、その上、シーナちゃんのことだったからな?」
「なんのことです?」
キョトンとしているバリーに、俺は呆れた。
「忘れたのか?エール街の冒険者ギルドで、シーナちゃんの歳を聞いた時、お前、ぺったんこだと言っただろう。あの一言は最悪だぞ?」
バリーの趣味嗜好は分からんでもないが…。しかし、シーナちゃんは断じてぺったんこではない。抱きしめるとフニフニしているからな。最近は少しずつ…いやいや。止めよう、考えるのは。
「……は?俺、そんなこと……。い、言ったような気が…。え?き、聞こえてたんですか?」
「聞こえたんじゃないか?キリさんの表情が、あの瞬間に抜け落ちたし」
バリーの声にならない悲鳴が、夜の静けさの中にひっそりと消えていった。





