間話 アラン殿下視点
眠るシーナ殿の前で、正座する男一人。
可愛い弟ジンクレットは、シーナ殿の言いつけを守り、彼女に指一本触れはしないが、目を離したら死ぬと言わんばかりにシーナ殿を凝視している。
この熱視線はシーナ殿が起きている時も彼女に注がれているが、シーナ殿はまったく相手にしない。いや、無視しているわけではなく、普通に会話もしているが、熱視線は悉く無視している。
シーナ殿はよく眠る。年齢的には成人しているが、幼い子どものように食事をすると眠くなるようだ。シーナ殿の侍女、キリ殿いわく、グラス森で過ごした5年間、シーナ殿は夜もまともに休養など取れなかったらしい。他の兵たちが交代で休みを取るのに対し、回復役のシーナ殿の代えはおらず、怪我人が出れば叩き起こされていたと。あの5年間を倒れずに過ごせたのは、その回復力の高さのお陰らしい。回復力が高いために酷使され、回復力が高いから持ち堪えることが出来たとは、皮肉なことだ。
その反動なのか、シーナ殿は少しの時間があると、くたりと眠ってしまう。栄養も足りず、疲れが溜まっていらっしゃるんですと、キリ殿はいつも眠るシーナ殿を心配して目を潤ませる。
身分差や異国人に厳しい国だと知ってはいたが、このような幼な子を奴隷よりも酷い扱いで働かせるとは、ダイド王国は思っていたよりも酷い国だ。我が国の陛下と王妃には逐一、シーナ殿のことを報告しているが、私の報告だけで、庇護欲全開モードになってしまった。早くマリタ王国に連れて帰って休ませろと煩い。孫を心配する、ジジババのようだ。
ジンクレットとシーナ殿が初めて出会った時、シーナ殿は今よりもガリガリに痩せこけていたという。今でも細い。膝に乗せると、成人女性とは思えぬ細さと軽さに驚く。男女の差があるとはいえ、シーナ殿の2つ下の甥っ子の方が断然重い。そんな小さな彼女が、さらに痩せこけていたとは…。信じられない思いだ。
しかし、不遇の扱いにも屈することなく、彼女は強い。小さな身体から繰り出される規格外の魔法、折れない心。その生い立ちから、他人の親切を素直に受け入れられず、そんな己を恥じる素直さ。特別な力がなくとも、彼女は非常に魅力的な女性だ。
ジンクレットは、シーナ殿に惹かれている。いや、もう惹かれているという言葉では収まらないだろう。墜ちているといえばいいのか。彼女に対する愛情、熱情、執着。我が弟ながら狂気じみていてちょっと怖い。
なにせ、彼女に別の男が近づいただけで、威嚇、威圧、排除に動き、彼女が逃げるような素振りを少しでも見せると、恥も外聞もなく縋り付く。ベタ惚れだ。
しかしそれがシーナ殿に通じているかと言われればそうとは思えない。聡明な彼女だが、恋愛面はサッパリだ。この年頃の女性なら、あれほどアプローチされていれば気づきそうなものだが、子ども扱いされていると勘違いしている。あれでは女神の元で婚姻を宣誓するまで、ジンクレットに想われているなど気づかないかもしれない。
さて、そんなシーナ殿とジンクレットだが、数日前から様子が一変している。今まで猫の子のようにくっついていたシーナ殿が、一切ジンクレットに触れなくなった。眠っている間も、ジンクレットが触れぬよう、キリ殿に見張るよう命じるほどの徹底ぶりだ。キリ殿に命じると言うのが、彼女の本気が伺える。私やバリー、ジャンにではなく、キリ殿。キリ殿以外はジンクレットに絆されて、寝ている彼女に触れるのを見て見ぬふりしそうだからな。
そんなジンクレットにとって、苦痛としかいえない状況に何故なったかといえば、ジンクレットと第3王子リュートの仲を心配してのことだった。
ジンクレットはリュートの利き腕が動かなくなったことを自分のせいだと決めつけ、殻に閉じこもるようになった。リュートが怪我をして以来、そのことはマリタ王国の蔭となっている。ジンクレットの気持ちもリュートの気持ちも分かるが故に、誰も強く言えずにきたのだ。誓っていうが、リュートは少しもジンクレットを恨んではいない。しかし、自分がジンクレットの立場だとしたら同じようになっていたかもしれぬと、どちらもウジウジしているようだった。
陛下や王妃、サイード兄貴や私が、お前のせいではないと何度も言い聞かせたが、ジンクレットは頑なだった。それどころか、段々と家族から距離を取るようになった。私たちはどうすることもできず、魔物狩りにのめり込み、危険な討伐を続けるジンクレットを見守ることしか出来なかった。
そんな時。王都が近づくにつれ、様子がおかしくなるジンクレットを、シーナ殿が連れ出した。そこで理由を聞き出したシーナ殿がジンクレットに一発お見舞いした。ガツンと頭突きを。隠れて二人の恋の進展を見守っていた我々4人(私とジャン、バリーとキリ殿だ)は、吹き出すのを堪えるのが大変だった。キリ殿だけは、シーナ殿のおでこを心配していたが。
そしてジンクレットの思いが独りよがりだと切り捨て、リュートに庇われ助かった側近の方が可哀想だと叱った。私たちも、いつも無口なリュートの側近のレンドの気持ちまでは思い至らなかったので、目から鱗の気持ちだった。
かくしてシーナ殿は、ジンクレットにリュートとの仲直り(喧嘩をしているわけではないのだが)を命じた。それが済むまでは触れるなと。シーナ殿の寒さ対策でジンクレットが触れるのを防ぐため、私やバリーのお膝抱っこの恥ずかしさに耐えてまで。
膝に乗せた彼女の顔が真っ赤になっていて、気の毒に思えたが、これもジンクレットのためだと心を鬼にした。未来の義妹を膝に乗せることができて、内心喜んでいたのは、秘密にしておこう。
さて、ジンクレットがシーナ殿に触れなくなって今日で4日目だが、ジンクレットの身体に異変が出てきた。禁断症状のように、身体が震えるらしい。我が弟ながらドン引きである。このところの弟は、移動するシーナ殿の後ろからフラフラとついていき、片時も離れようとしない。私やバリーの膝の上に乗せてる時も、隣に座りジッとシーナ殿を見ている。かなり怖い。
シーナ殿は素知らぬ顔をしているが、特に迷惑がる様子はない。あんなに注視されて居心地が悪くないか聞いたところ、キョトンとした顔で「慣れた」と言っていた。彼女もかなり毒されているようだ。彼女には命どころか都市一つ助けてもらっている。返しきれぬ恩ばかりたまり、その上、弟の奇行だ。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
王都まで後2日の予定だが、弟は持つだろうか。今も寝ているシーナ殿に無意識のまま手を伸ばし、キリ殿に嗜められている。力尽くで押し切ろうとしないのは、シーナ殿にバレたら嫌われると分かっているからだろう。いやはや、シーナ殿に捨てられたら、この弟はどうなってしまうのか。
将来シーナ殿が選ぶ伴侶が、ジンクレットである事を切に願う。弟のためにも、シーナ殿の為にも、それしか道はないと言わざるをえないからだ。





