25 ジンさんの悩みへの対処法
帰ってきたリュート兄さんの右腕は、ピクリとも動かなかった。
見た目は完璧に治っている。だが、動かすことは出来ない。
陛下の前に跪き、討伐の報告をするリュート兄さんの声に乱れはなく、流暢だ。
「よくやった、リュート。腕は、残念だったな」
「わたしの未熟のせいです。兵たちが欠けることなく、幸いでした」
「第二騎士団もよく休むように。本当に、良くやってくれた」
「お言葉、ありがとうございます」
陛下との謁見が終わり、リュート兄さんが俺に声を掛けてきた。
「ジンクレット、自分のせいだとか責めてないだろうな?」
「リュート兄貴!宮廷魔術師に診せてみよう!少しでも治るかもしれない!」
リュート兄さんはため息をついて笑った。
「もう診せた。第二騎士団の魔術師と同意見だ。これ以上の回復は望めない」
「そんな…」
俺は絶望感で一杯になった。
「気にするな、俺は右腕はもう諦めた。左腕を鍛えて、騎士に戻る」
「リュート兄さん、ごめん、俺が、俺が行ってれば」
「なんでお前が謝るんだ。お前が行ってたら、俺より活躍したって言いたいのか?」
揶揄うようなリュート兄さんの言葉に、俺は首を振った。
「違うっ!俺が夜会の後に討伐に行けば、こんなことにはっ」
「ジンクレット!」
リュート兄さんの厳しい声に、俺は黙った。
「あの時こうしてればなんて、後から考えたってしょうがないだろう。結果を受け入れて、次にどうするかを考えるだけだ」
「だけど…」
言い淀む俺の肩を叩き、リュート兄さんは仕方なさそうに笑った。
「リュート殿下」
そこに、女性の声が割り込んだ。
「ユリシア嬢…」
リュート兄さんが少し困ったように声の主、ユリシア嬢を見る。俺は不思議に思った。婚約者だというのに、なぜユリシア嬢はこんなに冷え切った視線を向けるのか。
「ご無事の帰還、おめでとうごさいます。…いえ、ご無事とは言えませんでしたわね」
チラリとリュート兄さんの腕を見て、ユリシア嬢はフンと鼻を鳴らした。
「今朝、わたくしたちの婚約を白紙に戻すよう、父が陛下にお伝えしたかと思います」
「聞いています。残念です」
なんだって?婚約を白紙に戻す?リュート兄さんとユリシア嬢は婚約を解消したのか?あんなに仲睦まじかったのに…。
「父もさすがに、片腕の利かない方をわたくしの夫とするのは難色を示しましたので。まぁ、ご縁がなかったということですわね。あら、ジンクレット殿下!」
ユリシア嬢が俺に目を向け、パッと華やかな笑みを浮かべた。その毒花のような媚びを含んだ声音に、背筋が寒くなる。
「昨日の夜会は途中で退席なさったので残念でしたわ!わたくしの親戚の子をご紹介するはずでしたもの!…あらでも、ご紹介できなくて良かったかもしれませんわね。ジンクレット殿下、わたくしと二人で、ゆっくりお話ししませんこと?」
ユリシア嬢は俺の腕に両腕を絡ませ、媚びた笑みを浮かべた。俺は嫌悪感で一杯になり、腕を振り払った。
「離せ、気色悪い!節操というのがないのか、お前は!」
リュート兄さんの目の前で、なんて言い草だ!
「ま、まぁっ!なんて酷い事をおっしゃるの?」
ユリシア嬢は胸を押さえ、真っ赤な顔をしている。
「すまないね、ユリシア嬢。弟は君のような貪欲なタイプは嫌いなんだよ」
ニコリと穏やかな笑みを浮かべ、リュート兄さんは俺の肩を宥めるように叩いた。
「しかし、婚約破棄の申出は今朝受理されたはずだけど、何をしに登城したのかな?」
王族の婚約者ならいざ知らず、ただの伯爵令嬢が招かれもせずに登城することはない。
「わ、わたくしは、いつものように王妃様とお茶を!」
「それはわたしの婚約者だったから、妃教育の一環として行っていたのでしょう?もう婚約者ではないのだから、登城する必要はないよ」
「わ、わたくしはジンクレット殿下と!」
「これは陛下のご意向で、ザネット伯爵にもお伝えしたけどね。ザネット家と王家は今後もご縁がないようだと。残念だよ。誰か!ザネット伯爵令嬢がお帰りだ!お送りしてくれ」
冷ややかな顔をした侍女長と近衛の騎士が、ユリシア嬢を取り囲むようにして連れ出していく。
「ザネット伯爵はね、陛下にユリシアの婚約者を、わたしからお前に変えるよう進言したそうだよ。陛下が顔を真っ赤にして怒ってた」
リュート兄さんは困った顔で笑った。その笑みが、痛々しく見えて、俺は胸が掻き毟られるような思いがした。
俺の知る限り、リュート兄さんとユリシア嬢は上手くいってたはずだ。ユリシア嬢があんな性格だったことはショックだったが、少なくともリュート兄さんはユリシア嬢を慈しんでいたはずだ。
「全く。またお前と同じ婚約者なしに戻ってしまったな」
しばらく女性はこりごりだ、とリュート兄さんは戯けたように言うが、俺はリュート兄さんの顔を見る事が出来なかった。
俺のせいでリュート兄さんの右腕は使えなくなり、俺のせいで兄さんから愛する人を奪ってしまった。
リュート兄さんの未来も幸せも、俺の浅慮のせいで奪われてしまったのだ。
◇◇◇
「それ以来、リュート兄さんとまともに会話していない。俺が何もかもダメにしてしまったんだ。合わせる顔がない。城にもあまり帰らずに、長期の調査や魔物討伐に出ている」
焚き火の前でわたしを抱えたまま、ジンさんが呟く。
ジンさんに抱っこされたまま、わたしの心臓はバクバクと音を立てていた。気づかれないように、気持ちを落ち着ける。ああ、どうしよう。どうしたらいい?
「シーナちゃん、幻滅したろ?こんなバカでひどい男が、マリタ王国の第4王子なんだ」
ジンさんがアホなことを聞いてくるので、気が紛れる。考えを逸らして、少しずつ自分を取り戻す。
いつもなら様子が変なわたしに、ジンさんが気づきそうだが、今日はジンさんも自分の気持ちでいっぱいいっぱいのようだ。良かった。今はまだ気付かれたく無い。
なんとか落ち着きを取り戻し、ジンさんの言ってたことを改めて反芻した。
結論。ツッコミどころ満載だ。
ぐるりとジンさんに向き直り、顔を両手で包み込んだ。じっと無言で覗き込むと、ジンさんが顔を赤くした。
「し、シーナちゃん?」
ジンさんが目を瞑る。何で目を瞑ったんだ、こいつは。
わたしはジンさんの顔を包んでた両手に力を込めて、思いっきり頭突きをかました。
「痛ったぁ!」
「だ、大丈夫か!シーナちゃん!?」
目から星が出たよ!痛いよ!石頭か!しかもジンさん、ノーダメージかよ。
「くっそう!ジンさん頭までガチムチライオンなのか…!」
「ど、どうしたの、シーナちゃん?キスしようとして頭ぶつかっちゃったのか?」
き、キスなんかするかーい!前世今世合わせて初めてのチューを、なんでガチムチライオンに捧げなきゃならんのだ!
「全然違うわ!ジンさんがアホだから頭突きで喝を入れようとして返り討ちにあっただけだわ!」
言ってて虚しくなった。ジンさんに負けず劣らずアホだわ、わたし。平手で殴っときゃ良かった。
「アホ?喝?」
ジンさんの顔に?マークがたくさん浮いてます。
「だって、ジンさんのお兄さん可哀想じゃない。利き腕なくして、婚約者に振られて」
「う、うん…。全部俺のせいで…」
「その上、可愛がってる弟にアホみたいな理由で避けられてさ」
「え…?でも、俺は!合わす顔が」
「そんなのジンさんが後ろめたい思いするから顔を合わせ辛いってだけじゃない。仲のいい兄弟にそんな理由で避けられたらさ、可哀想だよ、お兄さん」
「だけど…」
「戦場ではさ、何が起こるかわからないよ。最善の準備をして行っても、魔物のせいで全部ひっくり返されることなんてよくある。魔物の討伐もさ、死ぬかもしれない覚悟で行くもんでしょうよ。そんなジンさんが代わりに行ってたら、お兄さんが利き腕なくさなかったかもなんて、考えてもどうしようもない仮定の話でしょ。ジンさんが行ってたらペロッと蛇に食べられてたかもしれないし」
「……だけど、リュート兄さんは、きっと俺を恨んでいる。俺のせいで腕と婚約者を失ったんだ。恨まれて、憎まれて当然だ」
はーっと、わたしは深いため息を吐いた。
「そうだねぇ。ジンさんの言う通り、お兄さんはもしかしたら心の奥底で、どっかの片隅で一瞬でもジンさんを恨んだかもしれないね。それなら気が済むまでぶん殴ってもらうとか、恨み言は全部受け止めてそれでもお兄さんと仲良くしたいって言うとかできるんじゃない?合わせる顔がないって、ジンさん、逃げてるだけじゃない。可哀想だよ、お兄さん」
話聞いてて、普段のアラン殿下とのやり取りとか見てても、ジンさん、末っ子として可愛がられてるよね。そんな可愛い弟に一方的に避けられたら、辛いと思うわー。
「で、その婚約者さんと別れた後、お兄さんは他の人と婚約したんでしょ?」
「ああ!リュート兄さんの学園時代の友人の妹で、ライル伯爵家の2女、サリア嬢と婚約した。大人しい方だが、兄の腕のことも理解して、マッサージとか勉強してくれる気立ての良い人だ。兄との仲も良好で、来年の実りの季節には婚儀の予定なんだ!」
「あー、良かったね。そんな素敵な人と出会えたんだから、婚約破棄は結果的には良かったわけだ」
にっと笑ってわたしが言うと、ジンさんははっとした顔をした。
「そ、そうだな。結果的にはそうかもしれないが、何も起こらなければ、ユリアナ嬢と幸せになっていたと思うと…」
「そんな土壇場で逃げ出すようなパートナーじゃ、結婚しなくて正解だと思うけど。政略結婚だとしても、そんな相手じゃ信用に値しないんじゃない?」
「…う、そ、そうだな…」
「それにさ、ジンさんとお兄さんの仲が元に戻らないと、もっと居た堪れない人がいると思うけど」
「ー?」
「お兄さん、部下を庇って怪我したんでしょ?その部下さん、自分のせいで王族の利き腕が使えなくなって、その上弟との仲まで拗れさせたって、ジンさんと比べられないぐらい、居た堪れない気持ちなんじゃない?その部下さん、今もお兄さんの騎士団にいるの?」
「い、いる。リュート兄さんの側近のレンドだ!」
「側近!ジンさんのバリーさん、アラン殿下のジャンさんみたいな立場の人?うわー」
一瞬想像しただけで、この居た堪れなさ。側近って、四六時中、お兄さんのそばにいるんでしょ?ジンさんとの拗れ具合もつぶさに見てて、生きた心地しないんじゃない?可哀想だー。
「ちょっと、ジンさん。お兄さんと仲直りするまで、抱っこ禁止ね。触るのもダメだから!」
「は?」
ピョンとジンさんから距離を取り、わたしは胸の前で腕を交差させ、バツのマークを作る。
「明日から寒かったら、アラン殿下の膝に乗るから。早く仲直りしてね」
「そんな!シーナちゃん?」
アラン殿下には「たまには私の膝においで」と言われてますので。冗談ではなくガチで。
最近のジンさんは、四六時中ベタベタ触ってくるから、お触り禁止は堪えるであろう。はっはっはっ。これを機に、触らなくても平気になるよう、徐々に仕向けるのだ。
それにこれぐらい言っておかないと、グズグズ仲直りするの引き延ばしそうだしね、このガチムチライオン、ヘタレだし。
それから王都までの間、わたしの定位置はアラン殿下の膝の上かバリーさんの膝の上になった。事情を話したら、アラン殿下もバリーさんも、喜んで膝に乗せてくれたよ。気さくな王族と貴族で良かった。クッションがあるから膝に乗る必要は無いかと思ったが、ジンさんに対する見せしめのため、頑張ったよ。
ジンさんは王都までの道のり、ずっとぺっしゃんこだったよ。アラン殿下に嬉々として抱っこされて、わたしの自尊心も同じくぺっしゃんこだったから、お互い様である。
でもそのお陰で、勘のいいジンさんに、わたしの内心は気づかれずに済んだ。考える余裕が欲しかったわたしは、安堵していたのだ。





