間話 ジンクレット視点 思えばこれがキッカケ
「5 忠告と反論」ごろのお話です。
グラス森付近で出会った不思議な少女、シーナちゃんは凄い子だった。
まず一つ、人誑しだ。
可愛いのだ。何もかもが。
小さな身体で痛々しいほど痩せ細っているのに元気に動き回る。馬車に乗せてもらえているからと細々した仕事を手伝い、いつもニコニコ、良く気がつく。俺を筆頭にメンバー全員に可愛がられているのだが、子ども扱いするなと怒る様も可愛い。これまで女の怒る顔などうんざりするだけだったが、シーナちゃんのはもっと見たい。ぷりぷりと頬を膨らませる顔がたまらん。若い冒険者たちも、あと数年したらもっと可愛くなるだろうと噂していやがった。鉄拳制裁しておいた。
二つ目。めちゃくちゃ料理が美味い。シーナちゃんが料理すると、臭みの強い肉なはずなのに、臭くない。固いはずの肉なのに柔らかい。そして、今まで食べたことない味付けで、魂が抜けそうなほど美味い。色々な国を周り色々な料理を食べているザインでさえも知らない料理法や調味料らしく、飯の時間はシーナちゃんを除くメンバーの奪い合いの時間になった。
一番食べるべきなのはシーナちゃんなのだが、少食だ。小鳥のエサぐらいの量しか食べない。好き嫌いはないようだか、もっと食べて早く大きくなって欲しい。ザインやキリさんが絶えず食事やオヤツを食べさせているので、大丈夫だと思うが。
三つ目。これが一番驚かされたことだった。
こんな小さな女の子に、これほどまでに気高い精神が宿っているとは。
シーナちゃんが「魔物除けの香」なるものを持っていた。シーナちゃん自作の。そんなもの、これまでの人生で聞いたこともお目にかかったこともない。焚くだけで魔物が来なくなり、しかもいい匂いで、気分スッキリだとか、安眠効果だとかが付加されている。そんな夢のような宝を何気なく普通に使うもんだから、俺はキリさんに注意したのだ。シーナちゃんが無防備すぎると。もう少し守る手を増やさないとダメだと。他人のことがこんなに気になるのは初めてだった。心配で心配でいても立ってもいられず、キリさんにその苛立ちをぶつけた。
するとニコニコ可愛いシーナちゃんが、まるで切り替わるように厳しい顔になった。そして、至極当たり前のようにキリさんを庇った。
「それはキリのせいではありません。この子はわたしの大事な従者。責任を負うべきはわたし。この子は旅の間、ずっとわたしの命を守ることで精一杯だったんですから」
言外に余計なお世話だ引っ込んでろと言われた気がした。キリさん泣かすな、許さんとも。
俺はその時、守るべき対象としてしか見ていなかった彼女が、キリさんを従える主人として、負うべき責を理解していることに言い様のない衝撃を受けた。貴族であっても、それを理解している人間がどれほどいるだろう。
呆然としている間に、いつの間にかシーナちゃんとキリさんはいなくなっていた。代わりにいけ好かないバリーが俺を馬車の外へ引きずって連れ出し、夜営用のテントの中に放り込んだ。
「何やってんですか?殿下?」
「あ、あ、ああ…。バリー、俺はシーナちゃんに呆れられたのだろうか。愛想をつかされたか?」
俺の言葉に、バリーが爆笑しやがった。鼻から水が出てるぞ、汚いな。
「ヒエッヘっへっへへふぇ。こ、『氷の王子』と呼ばれるジンクレット殿下が、ゲッホゲホゲホ。なんていう情けない声を、へっへげへ。笑い、すぎて苦しい…」
『氷の王子』とは俺の渾名らしい。どんな美女にも靡かないかららしいが、アホか。王族に群がる香水臭いギラギラした女に靡いたら、暗黒の人生を送ることになるだろうが。
「そんなどうでもいい渾名よりシーナちゃんだ。どう思う、バリー。俺は嫌われたのか?」
「嫌われたというか、面倒なことになったら逃げ出そうと考えているような気がしますねぇ」
逃げ出す?シーナちゃんがいなくなるのか?
ザッと血の気が引いた。まだ出会って一日も経っていない。だけどあの子が俺のそばからいなくなるなんて、そんなことあり得ない!
「ダメだ!どうしたらいい!謝ったら許してくれるだろうか?」
「…ジン様、普通の令嬢には見向きもしなかったのはもしかして、幼い子どもがお好きなのですか?」
バリーがゴミでも見る様な眼差しを向ける。オイ、お前その視線は不敬すぎるぞ。本当に俺の側近なのか?
「そういう趣味はない!好きなのはシーナちゃんだけだ!」
「確かに可愛らしいお嬢さんではありますが…。ちょっと失礼します、殿下」
バリーが俺の顔を覗き込む。茶色の瞳が魔力を孕む。こいつは水魔法の遣い手だが、希少な鑑定魔法もちでもある。
「うーん、洗脳、魅了の類ではないですね…。単純に恋をしたと!もしかして初恋ですか?遅い初恋は拗らせるって本当なんですね」
至極どうでも良さそうなバリーの言葉に、俺の心臓は大きく音を立てた。
「初恋?」
俺が?シーナちゃんに?まだ子どもだぞ?ガリガリの女らしさには遠い、幼い子どもだ。
「可愛いと思う。気になって気になってしょうがない。離れていくと辛い。他の男に取られたらと思うと…」
「他の男だと?ダメだ!」
怒りのあまり思わず叫んだ。他の男?誰が渡すか!
「ほらー、決まりですよ。ジン様って恋するとこんな面倒くさい感じなんですね。うわー。可哀想だな、シーナさん。あの子外見はともかく、中身はかなり成熟してますからね。うわぁ、嫌がりそうだなぁ」
「ば、バカを言うな!これは保護者的な気持ちでだなっ」
「はいはい、保護者ね。まあ、まだ出会って数時間なので混乱もしているでしょうし。今夜ゆっくり考えてみてはどうですか?夜の見張り、代わってあげますから」
まんまとバリーに夜番を押しつけられたが、お陰でゆっくりと考えることが出来た。途中で見張り番を若い冒険者に代わった後も眠れずに考えた。
結論はシーナちゃんは妹!妹のようなものだ。
健気な性格、ガリガリな様相も相まって、異常な保護欲が湧き上がったに違いない。男兄弟の末っ子で下に弟妹がいなかったから、可愛く感じるのだ。
そうバリーに告げると、なんだか妙に爽やかな顔で「ジン様がそうおっしゃるならそうなんでしょうね」とか言いやがった。こいつに足りない王族への敬意を誰か分けてやってくれ。
朝になり、何だか良い匂いがしていたので引き寄せられるように近づくと、既にシーナちゃんがパタパタ働いていた。若い冒険者たちに、朝飯を振る舞っている。一番最初に彼女から食事をもらえなかったことに、腹が立った。
俺が近づくと、警戒した顔。キリさんに至っては、剣に手を掛けている。シーナちゃんに危害を加えるようなことは死んだってしないのに。
何とか誤解は解けたが、これをきっかけに俺はシーナちゃんがますます気になるようになった。魔物避けの香の取引のために、エール街とカイラット街まで一緒に旅をする約束をしたが、目を離すと気まぐれにふらっと何処かに行ってしまいそうで怖かった。
丈の合わない夏物の服しか持たないシーナちゃんを自分の上着で包んで膝に載せる。最初は嫌がっていたが、寒さのせいか大人しく膝に乗り、眠ってしまう彼女に表情が緩む。
ザインが栄養価の高い果物や菓子をどんどん与えるので、シーナちゃんのコケていた頬はふっくらとした子どもらしい柔らかさを取り戻しつつあった。腕や脚も、最初ほど痛々しい様子はなくなり、まだ細いが少しずつ肉がついてきている。
膝で眠るシーナちゃんを毎日観察するのが日課になった。閉じられた長い睫毛、白い頬。毎日見ても飽きない。髪を撫で、柔らかな頬に指を這わせ、プルリとしたピンク色の唇に…。
「ジン様」
柔らかな唇に指で触れようとした所で、冷ややかな声が掛かる。冷気を帯びた殺気が俺を包んだ。
「それ以上は、お触れになりませんように」
怒気を孕んだ瞳が俺を射抜き、膝の上のシーナちゃんを奪われた。シーナちゃんを軽々と抱き上げたキリさんが、俺とは離れた場所に座ってシーナちゃんを寝かせる。
「寝ている女性に対して無礼でしょう」
反論の余地はない。可愛いすぎてつい触りすぎてしまった。髭面の大男が膝の上の幼女に触る。絵面的には犯罪だ。シーナちゃんの父親にでも見られたら、殺されても文句はいえない。
「す、すまない」
俺は猛省した。キリさんに頭を下げる。
「もうしないから、シーナちゃんを返してくれ」
「反省してませんよね?!」
キリさんの殺気が迸る。しかし俺は冷静に答えた。
「馬車の床は冷える。そのまま寝かせたら風邪をひくかもしれない。君の体格でシーナちゃんを抱え続けるのは辛いだろう。いざと言うとき身体が思うように動かなければ、護衛としては役に立たないだろう」
キリさんはエール街、カイラット街までの行程で護衛を務めることになっている。馬車に乗せてもらうことに対する対価らしく、律儀なシーナちゃんの申し出だったが、キリさんはシーナちゃんの言うことは絶対だ。
「……先ほどのようなことをなさったら、斬ります」
物凄く納得のいかない顔で、キリさんはシーナちゃんを渡してくれた。膝の上に温かさが戻り、俺は心底ホッとした。
シーナちゃんがむにゃむにゃと何か呟きながら、俺の胸に顔を擦り寄せる、可愛い。
キリさんの厳しい監視の目を感じながらも、シーナちゃんを堪能する。
「ジン様、大人げないですよ」
バリーは呆れ顔だが知ったことか。例えシーナちゃんが一番信頼しているキリさんであっても、渡したくないのだ。しかしくそ!なんで俺がシーナちゃんの一番じゃないんだ!
「今ご自分がどんな顔なさっているか、鏡を見た方がいいですよ?シーナ様を膝に乗せてベタベタ触りながらその顔は、もはや犯罪者です。兄は妹の唇に触れたりしませんよ?」
歯に衣を着せたことがないバリーの言葉に、俺はドキリと心臓が鳴った。…そんなことあるか。シーナちゃんは俺の、…妹だ。たぶん。





