105 困った人たちと神官様の説教
「聖女殿! あの氷室を作る仕組みを、ぜひご教授願えないか! あれを村々に設置出来れば、食糧の備蓄に役立つ! 是非!」
ダイド王国、エイリック殿下の侍従さんたちが、突撃してきた。うん、いつものことながら勢いが良すぎてうるさいな。わたしの元に達する前に、キリに阻まれるのもいつもと同じ。
「ちょっとそこー! 接触禁止って言ってるでしょう!」
そして鬼の形相のバリーさんが止めに入るまでがお約束。バリーさんってば、他国の王子の側近(高位貴族)に対する敬語はすっかりぶっ飛んでいます。ははは。
いやね、最初はバリーさんも外面の良さを発揮してやんわり丁寧に断っていたんだよ。でもエイリック殿下の側近さんたち、疑問があるとすぐ接近禁止を忘れてわたしの所に突進してくるものだから、ついにバリーさんも切れちゃって。おおう。側近さんたちの首根っこ捕まえて、ずりずりと遠ざかっていく。もうお馴染みの光景になりつつあるよ。
「まったく、図々しいにも程があります」
キリが眉間に皺を寄せて吐き捨てる。でもそんな怒った顔も可愛いって、やっぱりうちの子凄いわと、脳内で親バカを炸裂させながらわたしは頷いた。
「最初は魔物除けの香の設置方法だったねぇ。何故開けた場所に設置するのかとか、効果を持続させるための香の追加はどれぐらいの感覚なのかとか、根掘り葉掘り」
別に魔物除けの香の効果とか設置方法は非公開ではないので、聞かれれば教えますけど。でもダイド王国の人たちは、わたしへの接近をサイード殿下から禁止されているから、他の人から聞くようにと通達されている筈なのになぁ。何か別の思惑があってわたしに接触してくるのかと思ったけど、わたしが炊き出しや氷室造りや魔物除けの香の設置に積極的に働いていたのを村人たちから聞いて、直接わたしに聞きたい!と暴走しているようなのだ。疑問はとことん追求したい、学者肌タイプが多いのかな。でも大丈夫か、王子の側近があんなに約束を守れなくて。
「彼らも国を救いたいと焦っているのです……。いつもはもう少し冷静なのですが」
何度もサイード殿下から抗議されて、エイリック殿下も必死で側近たちを止めているのだが、なかなかいう事をきいてくれないらしい。エイリック殿下自身は、わたしがファーストコンタクトで体調を崩した事を分かっているので、近づいてはこないのだけど、それ故に側近さんたちを止める事が出来ずにいる。遠くから『お前たち! 止めないかー』と叫んでいます。その声も誰かを思い出すから止めて欲しい。
側近さんたちも普段はもうちょっと冷静なんだけど。これまで色々な街や村の惨状を目の当たりにして、このままでは国が滅亡すると絶望していたところに、国を救えるかもしれない魔物除けの香、魔力剣、氷室や新しい食材であるザロスに出会って興奮しているんですね、分かります。
でも側近さんたちも、わたしへの接触禁止と言われているんだから、ちゃんと節度は持ってほしいよ。こっちはエイリック殿下ほどパンチはないけど、ダイド王国の人が近づくだけで動悸がするし、無駄に緊張するんだからさ。キリもジンさんもバリーさんもピリピリするから、落ち着かないんだよ。
「やはり潰しましょう」
「キリ、落ち着こうね」
そんな会話が日常的にされるぐらい、ダイド王国からの接触は多くなっていたのだけど。
そんな厄介事を打破してくれたのは、意外な人たちだった。
「貴殿らの行動は、目に余ります」
柔和な笑顔だけど、声が冷えっ冷えなのは、ヤイラ神国のデイズ様だ。細身の神官姿には不似合いの大剣を引っさげている姿は、とても怖いですね。
今日も元気にエイリック殿下の側近さんたちに突進されたのだけど。番犬のバリーさんが追い払う前に、デイズ様がいらっしゃいました。
「大恩人であるカイラット嬢の負担も考えず、頻繁な接触を図るとは何事ですか。ダイド王国の貴族は、紳士の振舞いに欠ける恥知らずな者たちばかりということですか」
涼やかな良く通る声で叱責され、側近さんたちは青くなる。
「そ、そんな! 私どもはただ、国を救いたいと考えているだけで……」
慌てて否定する側近さんたち。でもそんな言い訳を、デイズ様はぶった切る。
「国を救いたいという崇高な心があるからからといって、他者が苦しんでもいいということにはなりません。そのような身勝手な行動を、女神様がお許しになるとお思いですか。第一、貴殿らの質問には他の兵たちでも十分に答えられる。その上で疑問があるならば、サイード殿下に許可を得て、カイラット嬢に書状でお答えいただくなど、他の手立てがあるでしょう」
書状で質問に答える方法は、繰り返しマリタ王国側がダイド王国側に提案している事なんだけどね。まどろっこしいってなかなか呑んでもらえなかったんだけど。神官のデイズ様に諭され、侍従さんたちは反論する事が出来ず。
これって、前世の感覚で言うと、お坊さんに説教された感じなんだろうなー。前世の日本よりも、こちらの世界では信仰心が篤いのだよ。そんな女神様に仕える神官様は勿論、尊敬の対象なので、そんな人に怒られるって言うのはとっても恥ずかしいことなんだよねぇ。
「デイズ殿下。ありがとうございました」
側近さんたちがムッキムキのヤイラ神国の兵たちに引っ立てられていったあと、わたしはあらためてデイズ様にお礼を言った。デイズ様はふんわりと優しい笑みを浮かべる。
「カイラット嬢、お礼など不要ですよ。悪いのはあの者たちですから」
追加でエイリック殿下への抗議もしますと仰っていますが。そこまでしていただくのは申し訳ないし、ダイド王国とヤイラ神国の国交にまで影響しそうなのでお断りをしたのだけど。
「いいえ。これはカイラット嬢のためというよりは、神官としての責務です。女神様の教えに従わぬ者への説教は、神官の範疇ですからね」
そうデイズ様は仰っていたのだけど。この方、ガドー王国のシルド卿の部下からの地味な嫌がらせを受けていた時も、ガドー王国の兵たちに抗議してくれたんだよね。本当に、申し訳ない。
ちなみに、この世界の女神様の教えには、人に嫌がる事をしてはいけないとか、皆に優しくしましょうとか、実生活に身近なものも多い。人々は小さな頃から神殿に通い、神官様から『女神様の教えに背くと神罰が与えられますよ』と伝えられ、やっちゃいけない事を覚えるのだ。
「何を仰いますか。カイラット嬢の御助力があったからこそ、ここまで兵を欠く事なくこれたのです。感謝をすべきは私たちの方だというのに、あの馬鹿どもは……」
ジロリとデイズ様がダイド王国、ガドー王国、そしてナリス王国の陣営を睨んでいらっしゃいます。あ、もれなくシャング将軍も入っているようです。どうぞ、奴には存分に抗議をしてやってくださいませ。歩く風紀法違反ですから。
「あらためて、私からもお礼を申しあげます、カイラット嬢。兵たちが無事で、健やかでいられるのは、貴女様が自国と他国の兵たちに差もなく、お心を砕いて下さるからです」
「そ、そ、そんな、デイズ殿下。わたしの様なものに、そのような礼は、不要です!」
手を組んで膝を落として頭を下げられ、わたしは焦った。王子妃教育で習ったことある。それ神官様の最上級のお礼のスタイル! 上位の神官とか、王族相手にするやつー。
慌てるわたしに、デイズ様はクスクスと笑って礼を止めてくれた。
「カイラット嬢はジンクレット殿下の婚約者でいらっしゃいますから、準王族です。それほど慌てることはないでしょう」
「いえいえいえ。わたしにはとても分不相応です。慣れないのでご容赦ください!」
全力で辞退しますよ。神官様に頭を下げられるなんて、落ち着かないのよ、申し訳ないのよ。やめてください、本当に。
デイズ様が笑いを止め、困った様に首を傾げる。
「そうですか。では止めておきましょう。ですが礼を尽くすことができないと、ついつい、貴方が準王族でいらっしゃることを忘れてしまいそうですね」
固い神官様の口調が崩れて、困った様な楽しそうなデイズ様になんだかホッとする。うんうん、そんなフランクな扱いでいいです。
「王子妃らしくないのは自覚しているので、忘れられても仕方がないです……」
本当に、ジンさんやマリタ王国が寛大なのをいい事に、わたし、結構好き放題やっていますから。ルーナお姐様や他の王子妃であるお姉様方にくらべ、優雅さも気品も足りていない事は分かっています。
「そういう意味ではありません。ついつい、貴女がジンクレット殿下の婚約者でなければと思う、己の浅ましい願望を抑えきれなくなりそうなのです」
にこり。神官様の邪気のない笑みに、気を取られていましたが。なんて?
理解する前に、腕を引かれ、気づけば目の前にはキリの背中が。デイズ様から隠されるようにキリに庇われていました。
「デイズ殿下。……お言葉が過ぎます」
警戒心バリバリのキリの声。さすがにほのおの剣は抜いていないけど、キリの魔力が不穏に揺らめいている。
「申し訳ありません、侍女様。ですが私が本気でそういう気持ちであるということを、カイラット嬢には知っていていただきたいのです」
「シーナ様はジンクレット殿下の婚約者でいらっしゃいます。惑わす言動はお慎み下さい」
「……シーナ様。もしもマリタ王国がカイラット嬢の御心を曇らす様な事があれば、ぜひ、我がヤイラ神国を思い出していただきたいのです。貴女の御心が欲しいなどと大それたことは申し上げません。ただ、私はいつでも貴女の味方でいたいと思っています」
じっとデイズ様に見つめられて。あ、あれ? いつもの優しい目とは違って、熱を孕んだような目をしている。
「デイズ殿下!」
苛立たし気なキリの言葉に、デイズ殿下はスッと引いた。いつもの、優しい微笑みを浮かべる。
「不躾な事を申しました。ご容赦ください」
そう言って、丁寧に頭を下げて、デイズ様は去っていった。
……って。どうしてくれるのさ。このなんともいえない雰囲気。
じわじわっと、デイズ様の言葉が理解出来て。鏡がないから分からないけど、わたしの顔は、多分真赤になっていたと思う。熱い、顔が熱いよ。
キリもわたしもなんて言っていいか分からず、黙りこくっていた。でもいつまでもそうしているわけにもいかなくて、わたしは凄くピリピリした雰囲気のキリに、そっと話しかけた。
「キ、キリ」
わたしの呼びかけに、キリがハッと我に返り、心配そうに覗き込んできた。
「さっきのデイズ殿下の言葉って……」
オドオドとわたしが言い淀むと、キリが困った顔で私を気遣う。
「シーナ様。先ほどのことは、お気になさらず……」
「物凄く熱心な、ヤイラ神国へのスカウトってことかな?」
いや、まさか告白かなーとは思ったんだけど。見た目平凡なわたしが、デイズ様みたいな爽やか美青年神官に好かれるなんてないだろうし。わたしがダイド王国の元聖女で、色々と便利な存在だとバレているし、デイズ様はお姉さんのことでわたしに恩もあるし、困った時は頼ってイイですよ的なお話なのかと。
でもそう言った途端、キリの顔がシュッと真顔になり。断固とした口調で言い切った。
「いえ、あれは間違いなく告白ですね」
「ソ、ソウデスカ」
ちょっと自信がなかったから、告白じゃないよね、っていう逃げを打っただけなのに。
キリの目が出来の悪い子を見る目になっていたので、余計に心が抉られました。まる。





