74 婚約披露の夜会
ようやく続きが書けました。
お待たせして、すいません。
ペチーン。
わたしの数メートル先で落ちた白い手袋。貴婦人が持つようなレースの付いたやつだ。肘まで覆う長手袋。
夜会の会場は静まり返っている。お客様の目はまん丸。口元を覆って叫び声を抑える令嬢が多数。動揺した侍従さんが、ワインボトルをゴトンと落とした。いつもは完璧な侍従さん&侍女さんたちなのに、珍しい。
「決闘よ!シーナ・カイラット!私の手袋を拾いなさいっ!」
前の世界でもあったけど。騎士が白い手袋を相手に投げつけると、決闘の申し込みになる。そして、それを拾えば、決闘を受け入れた事になる。だったかな?
じゃぁ。これ、スルーしたらどうなるんだろう。普通は相手の身体にぶつけるらしいけど、かなり手前で落ちたし。単なる落とし物じゃないの、これ。手袋って、冬になるとよく道に落ちてるよね。
しかも投げて来た相手は、ドレス姿のご令嬢だ。多分、この人がバリーさんが言ってた、カベルネ侯爵家のご令嬢じゃない?それにしても。剣技を嗜むって聞いてたからさ。『ドレス姿では剣を使えない』とか言う男装の麗人を勝手に想像して、楽しみにしていたのに。普通にドレス姿だなんて。裏切られた気分。
「何のつもりだ、エンネ・カベルネ。俺の婚約者にこんなものを投げつけるなど……。どうやら死にたいらしいな」
地底から響くような声で、ジンさんがエンネ嬢を睨みつける。
言っている事は物騒だが。ふふふー。そうです!本日の朝、ジンさんとわたしは正式に婚約いたしました。ちゃんと神殿で、神官様からの祝福の言葉もいただき、家族が見守る中、陛下から正式な婚約を宣言していただきました。
それから、順調に婚約披露の夜会が始まったのだけど。入口に飾ったウェルカム・ドールの評判も上々だった。タイロップ商会とザイン商会共同のドールの受付ブースが会場の入り口近くに設けられ、次々とドールの御商談予約が入っているようだ。優雅な夜会の雰囲気を壊さぬように、共同の休憩所の様になっているので、それほど違和感はなかった。
わたしとジンさんは、一緒に考えて作った衣装で出席した。ジンさんは黒地に赤いラインの入った正装だ。体格がいいから、カッコいいんだよね。足もスラっと長くて、いつもは垂らしている前髪を後ろに撫でつけて。カッコいい。ジンさんなのにカッコいいよ。
そんな隣に並ぶのは勇気がいるのだが、わたしも一応、着飾っていますよ。ドレスは色々悩んで青にした。一番好きな色だしね。肩をすっきり出すデザインで、ちょっと恥ずかしいけど、ふわふわした生地を重ねて、ボリュームたっぷりのスカートにはキラキラした宝石が縫い付けてあって可愛い。
シンプルなドレスがお好きなのは知っていますが、今回は絶対これを着て頂きます!とローナさんに押し切られた逸品だ。さすがローナさん。シンプル好きなわたしでも、すごく心が躍る可愛い仕上がりだ。
何より、ドレスを着て珍しくお化粧もして、髪を整えたわたしを見たジンさんの反応が。ぽかんと口を開けて、じわじわと顔が赤くなっていって。しまいには、恥ずかしそうに顔を押さえて俯いてしまった。乙女か。
「ちょっと、待ってくれ。これは、まずい。これで、夜会に出るのか?危険だ。綺麗すぎて、可愛すぎる。女神の遣いか?これはいかん。目のやり場に困るだろう。ああっ、他の男の目に晒すなど、もってのほかだ。シーナちゃん、攫われない様に、俺に括り付けていてもいいか?」
どんな特殊プレイだ。嫌に決まっている。
妥協案として、ジンさんから離れない、一人にならないをしつこいぐらい約束させられ、括り付けられるのは回避できた。良かったよ。孫子の代まで、変わった登場の仕方だったと、語り草になるところだった。
夜会への入場は、ジンさんが蛇のように巻き付いていた。がっちり腰をホールド。息ピッタリの二人三脚みたい。こんなにくっつくと、ドレスにボリュームがあるから、歩きにくいんだよ。
でもわたしを見ているジンさんが、嬉しそうで。蕩けそうに緩んだ笑顔で、目が合うと、更に目尻が優しく下がるから。わたしもようやく婚約できた嬉しさで、同じぐらい締まらない顔をしていたと思う。
懸案事項だったご挨拶も。ちゃんと暗記を頑張ったわたしは、誰の名前も間違えずにやり切ったよ。お客様の簡単な特徴を捉えたイラストの暗記カードが役に立った。ジンさんが『似てるっ!』って爆笑してたヤツだ。
準備は大変だったけど、頑張って良かったと思えるぐらい、わたしは夜会を楽しんでいた。
そして、夜会は滞りなく進み。そろそろダンスでもって流れになった。主役であるわたしたちが、まずはファーストダンスを踊り、それに続いて、お客様方が踊るという流れになるんだけど。
そんな時に、例の白手袋が投げつけられた、いや、地面に落ちたのだ。
せっかくの夜会に水を差され、おまけにわたしをけなされて、すっかり氷の王子モードにチェンジしたジンさんをなだめながら、チラっとエンネ嬢を見る。赤いドレスの決闘令嬢は、ジンさんの言葉にもひるまず、ただわたしの事を睨みつけていた。
「決闘と仰いますけど、何のための決闘ですか?」
「勿論!ジンクレット殿下の妃の座をかけての決闘よ。ジンクレット殿下を私から奪おうとする悪女!正義の鉄槌を下してやるわ」
婚約披露の夜会で、何を言ってるんだ、この人。正義の鉄槌って。陛下も認めてくれた婚約なのに。
「それに。貴女、出自も不確かだというじゃないの。平民という噂もあるわ!そんな身分で、王家に嫁ごうだなんて、身の程を知りなさい」
「私の娘の身分に、何か問題でも?」
ずどーんと怒りを背負ったカイラット家のお義父様登場。その隣には同じく怒り顔のリオンお兄様と、ジョルドお兄様。カイラット家を馬鹿にされて、聞き流すはずがない。
「まぁ!カイラット卿は、関係ないわ!」
「私の娘の出自が不確かなどという発言を聞いて、黙っていられるはずがない。エンネ嬢。どういうおつもりか」
お義父様のお怒りは御尤も。正式に養女となっているからには、わたしはカイラット家の人間ですからねー。いちゃもんをつけたら、カイラット家が黙っているはずがないのだ。家を侮辱されたら、全力で戦うのが貴族なんですよ。
「シーナちゃんは俺が膝をついて妻にと願った人だ。それを悪女と侮辱するなど、許しがたい」
ジンさんも怒っています。お義父様と、「俺が殺る」「いえ、私が殺ります」などと、こんな事でも張り合う二人。仲が良いよね。でもその後ろで、激おこのキリさんが、さっきから隙をついて抜け駆けしようとしてますよ。気付いてー。じゃなくて、キリさん、落ち着いて。
「決闘を申し込まれたのは、わたしですから。受けるなら、わたしが受けますけど……」
鑑定魔法さんの力を借りなくても、エンネ嬢の強さが大した事ないぐらい分かる。赤炎牛より、断然、弱そうだもん。皆の手を煩わせる必要なんてない。出力を絞った魔法一発で、片が付きますよ。
「なんて生意気な女なの!私に勝てるなどと、思っているの?」
エンネ嬢がヒステリックに喚いて、控えていた護衛さんから剣を受け取った。おいおい。夜会に騎士でもないのに剣を持ち込んでいるよ。お巡りさん、危険人物です。
「この悪女!私の剣で成敗してやるわ!さぁ、お前も、剣を手に取りなさい」
「衛兵。この女を取り押さえよ」
低い声が場に響き、皆がさっと頭を下げた。
「何の騒ぎかと思えば。ジンクレット、何故さっさと収めんのだ」
陛下が、王妃様を伴って、ニコニコ笑いながら登場です。お二人とも、目が笑っていません。
「貴女もよ。シーナちゃん。くだらない輩には声を掛ける必要はないわ」
王妃様からメッと睨まれました。怒っていても、全然怖くないです、王妃様。でも、すいません。
「カベルネ侯爵、いるか?」
陛下の言葉に、転がるように出てきた男性が一人。頭髪の寂しい、ちょっと太めのおじさんだった。
「へ、へ、へ、陛下、も、申し訳ありません」
そのまま地面に平伏するカベルネ侯爵。その後には、黒いドレスを纏ったキツイ顔立ちの女性が、侯爵を睨みつけるようにして、堂々と立っていた。え、この人、まさか奥さんかな?
「ジンクレットが願い、私が認めた婚約に、カベルネ侯爵家は異議があるようだな」
平伏するカベルネ侯爵に、全く温情を見せない陛下の声。冷え切っております。
「そ。そのような事は、全く!申し訳ありません!娘が、大変失礼な事をっ」
可哀そうなぐらい謝り続けている侯爵に対して、奥さんははぁぁっと息を吐いた。
「貴方。そのようなみっともない真似はおやめください。エンネは言葉は過ぎていますが、間違った事は言っておりません」
そしてわたしに目を向けて、ふんっと鼻で笑った。
「陛下。この際だからマリタ王国の貴族を代表して申し上げます。なぜ、その様な娘を、ジンクレット殿下の妃としてお迎えになられるのでしょうか。突然現れたと思ったら、カイラット家の養女となり、ジンクレット殿下の妃となると説明されても、我ら一同は納得できません」
周りの貴族の皆様は、一様にぶんぶんと首を横に振ってらっしゃいます。カベルネ侯爵の奥様には、誰一人賛同していないようですが。
確かに、わたしの出自を、マリタ王国は明らかにしていない。カイラット家の養女となる前の経歴は、一切不明なのだ。
だが、少しでも目端の利く貴族家なら、わたしの正体を察している。カイラット街を魔物の襲撃から救い、画期的な治療方法を生み出し、食糧難を解決した『聖女』。隣国で罪を犯し追放されたという偽聖女ではないかと言われているが、その罪は、果たして本当に偽聖女が犯したものだったのか、という噂が、巷で流れている様です。十中八九、情報操作しているバリーさんがいますね。
まぁ。それがなくても、マリタ王国が擁護する相手を、大した理由もなく貶すって。大丈夫なのかしら。
陛下は普段は気さくですけど。怒るとそれはもう。怖いんですよ。
今も、冷ややかな目をカベルネ家の皆様に向けていらっしゃいます。あ。陛下に睨まれて、カベルネ侯爵の後ろで、真っ青を通り越して真っ白な顔になっているのは、後継ぎのご嫡男でしょうか。お父様似の地味な、いえ、控えめな方ですね。女性陣が濃過ぎるのかな。
「ほう。では。どんな女性がジンクレットに相応しいと思うのか」
「それは!我が娘、エンネですわ。身分も相応しく、教養もあり、しかも剣技も嗜んでおります。武芸に秀でたジンクレット殿下には、ピッタリでしょう!」
「ほぉ。夜会の度にジンクレットに話し掛ける令嬢に、白手袋をぶつける『決闘令嬢』がか。場を弁える事もできない、幼子の様な振る舞いをする令嬢が、我が息子に相応しいというのか」
陛下の嘲笑に、カベルネ侯爵の奥様はぐぬぬ、と顔をしかめる。いや。普通に考えて、夜会で決闘騒ぎって、恥ずかしい行為だよ。エンネ嬢がもうちょっと大人になったとき、思い出したらベッドの上でじたばたしちゃうよ。中二病は、周りが止めてあげようよ。17歳って、十分大人な筈だけど拗らせているんだろうね。たまに、中二病のまま、大人になっちゃう人って、いるらしいから。
「それに比べて。ジンクレットの妃となるシーナの成したことは、素晴らしい事だ。ここ最近、ザロスの食用が広まっていると思うが、それを知らしめたのはシーナだ。彼女のお陰で、マリタ王国に新たな食文化が生まれた」
ザロスの多様性は限りないからね。今では王都で、普通に丼食が食べられているよ。馴染むの早いな、マリタ王国。
「また、内職という、新たな働き方を提案したり、子ども向けの玩具を作り出したりと、シーナの知識と発想力は多岐にわたる」
そこで陛下は、なんだかニヤリと、揶揄う様な笑い方をした。うわぁ。
「そんな才女であるシーナに、我が息子ジンクレットは惚れ込み、片時もその傍から離さぬ溺愛ぶりだ。『氷の王子』などと呼ばれ、魔物の討伐ばかりに明け暮れていた息子に、ようやく訪れた初恋だ。ここでシーナを逃したら、息子は生涯を魔物に捧げるかもしれん」
周りから笑いがこぼれる。おおー。ロイヤルジョークですね。でもわたしは笑えないよ、初恋って。恥ずかしすぎて。揶揄われているジンさんは、凄い堂々とした顔をしているよ。え、恥ずかしくないの?
「本当の事だからな。俺はシーナちゃんが初恋で、最後の恋だろう」
腕を引かれて引き寄せられて、ジンさんに耳元で囁かれた。不意にそんな事を言われて、顔が熱くなった。
「見よ、このジンクレットの緩んだ顔と、シーナの初々しい姿を。この二人を引き裂くなど、誰ができるだろうか」
陛下の芝居がかった大げさな言葉に、会場から、温かな拍手が湧き上がった。
計画通りに上手くいって、良かったけどさ。
こんなに恥ずかしい目に遭うなんて、聞いてないんですけど。
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