港町 アプカルコ 4
チンピラ三人が走って逃げ出したのを聴覚だけで察し、グレイはまるで何事も無かったかのように立ち上がる。
何とか面倒なことになる前に解決出来たようでなによりだ、とグレイは服についた土を払いながら思った。
ここで下手に乱闘騒ぎなど起こしてそのことが講師陣にバレれば即強制送還させられせしまう。
それはやはりごめんなので、グレイはわざとチンピラに殴られて、派手に頭をぶつけて地面に倒れ、所謂死んだフリをしたのだった。
ああいった類いのチンピラは虚勢を張るだけの小者だと相場が決まっている。もし、自分の手で人を殺してしまったと思い込んでしまったなら、すぐにその場から逃げ出すだろうと踏んだのだ。そしてその作戦は面白いくらいにうまくいった。
しかし、その演技が上手すぎたせいか、何事も無かったかのように立ち上がったグレイを見て、一部始終を見ていた周囲の人達が全員目を丸くしていた。
グレイは作った笑顔で軽く手を振って無事だということを周囲にアピールする。それを見て、その人達は安心したのか、そのままそれぞれの日常へと戻っていった。
「ねぇ。だいじょ~ぶ?」
そんな中、そう声をかけてきたのは、先程チンピラに絡まれていた少女だ。落ち着いてよく見ると、十歳前後くらいの年齢に見えた。よくもまあこんな小さな子相手にちょっかいかけるな、とさっきのチンピラ三人をより軽蔑しつつ、しゃがんで少女の目線に合わせながら返答する。
「あぁ、全然平気だ。そっちこそ、怪我とかしてないか?」
「平気~。それに、いざとなったらパパが助けてくれるし」
「パパ?」
近くに親がいたのだろうか、と辺りを見渡すも、それらしい人物は見当たらない。どういう意味なのかと少女の方をもう一度見る。だがそこでようやく答えを得た。
「ね。パパ」
そう言って少女は亀の甲羅をペチペチと叩く。パパ、というのは少女が乗っている亀のことだったのだ。
ただの愛称なのか、それとも実際にパパという名を与えられているのか、もしくはずっと幼い頃から共に育ってきたから、その亀のことを親のように感じているのか。
理由はわからないが、娘がチンピラに絡まれているのに助けようとしない薄情な父親がいた、というわけではなさそうだ。
「そうか。パパさんがいたんなら俺は余計なお世話だったかな」
「ん~。そんなことないよ。助かっちゃった。ありがと」
「いや、礼はいいよ。俺が勝手にやったことだし」
「ふ~ん。それで、お兄ちゃんはどちら様?」
「俺? さあ。通りすがりのお節介野郎、かな? そんなことより、ああいう変な奴等に絡まれない内に早く家に帰りな。パパさん。あんたもな。それじゃ」
グレイはそう言い残して急いで皆の元へと戻っていった。
「…………変な人。ね、パパ」
返事はなかったが、気のせいか亀の頭が小さく頷いたように見えた。
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「初っぱなからやらかしてくれますね、グレイ君……」
「腹痛に襲われてトイレを探していたら迷子になりました。反省はしている」
「…………次はもうないのですよ?」
「肝に命じます」
ようやく辿り着いた宿舎の前には鬼のような形相、とは似ても似つかないものの、凄く怒っているキャサリンが仁王立ちしていた。
グレイは地面で正座しながら嘘を並び立てて、何とか難を逃れることに成功してから宿舎に入ると、エルシアとアシュラが入り口近くで待っていた。
「何だ? わざわざ待っててくれたのか?」
「…………クラス全員が揃うまで待機してろ、って言われたのよ」
「泣きながら土下座をして謝れ野糞野郎」
「すまんなエルシア。迷惑かけた。……だがアシュラ。お前は駄目だ!」
「あぁっ?!」
メンチの切り合いを始める男二人。その両者の間に割って入って仲裁するキャサリン。我関せずといった風に先を歩き出すエルシア。いつどこにいても彼らは平常運転だった。
「……あれ? そういやミュウは?」
「あぁ、ミュウちゃんならイルミナが、こほん。イルミナ先生が付き添ってくれてるのですよ」
「何に?」
「あんた覚えてないの? 今日のプログラム」
「宿舎に着いた後は、海での自由時間なのですよ」
「あれ? そうだっけ? って、そういやアシュラの姿が既にない」
「どうせ海に直行したんでしょ。超どうでもいいけど、下に水着を着てきたらしいから」
「ガキかよあいつは……」
「わたし達も早く海に行きましょう。思っていたより早くにグレイ君が戻ってきたので、自由時間はまだまだ沢山残ってますよ」
気のせいか、キャサリンが先程からそわそわしている。水属性の者はほぼ全員海が好き、と言われているだけあってキャサリンも例外ではないようだ。子供はここにもいたようである。
「グレイ君。男子の更衣室はあっちなのですよ。で、女子はこっちです。ではまた後で」
「はい」
グレイはそこでエルシア達と一旦別れ、一人で更衣室に向かう。辿り着いた更衣室には当然のことながら誰もおらず、いくつか見覚えのある荷物の山が見える。
グレイは安かったという理由だけで選んだ水着にパパッと着替えて、上着を一枚羽織る。この更衣室は宿舎への扉と、直接海へと繋がる扉の二つがあり、当然海へと繋がる方の扉を開ける。
扉を開けると、まず眩しい太陽の光が溢れ出し、思わず手で目元に影を作る。
そして、目が慣れた頃にもう一度前を見ると、そこには一面青一色の海と空が広がっていた。
「おぉ……」
ひねくれたグレイにしては随分と素直に綺麗な景色だなと思った。
そんな綺麗な光景にしばらくの間目を奪われていると、不意に後ろから──
「きゃっっふうぅぅぅうう!」
謎の奇声が襲いかかってきて、グレイが驚いて振り向くと、そのすれ違い様に小さな影がグレイの脇を走り抜けていった。
グレイはさらに振り返り、その謎の影の正体を見る。いや、本当のことを言うと、既に予想は出来ていた。
自分と同じぐらいのタイミングで更衣室に入った者は自分を除くと後は二人だけ。しかもこの三人が恐らく最後であり、宿舎は学院の貸し切りのため、他の誰かが新たに更衣室から出てくるなんてこともない。故にその二人のどちらかということになる。
そのうち、海を見てテンション上がって駆け出してしまうような者となると、一人しかいない。
その確信を後押しするかのように、その人物の頭の上にピョコピョコと揺れるリボンが見えた。
「キャシーちゃん。海来るのめちゃくちゃ楽しみにしてたんすね……」
思えばキャサリンは学院にやってきてから苦労が絶えなかった。それどころか立て続けに苦労が襲ってきた。ついでに貧乏神的な何かも。
だがこの世も捨てたものではないらしい。今日は苦労をし続けきたキャサリンに、ほんのわずかながらのサービスなのだろう。
だから今くらいは何もかも忘れて楽しんでもらいたい、と何故か生徒であるグレイが保護者的な思考に耽っていると、後ろからまた声がした。
「キャシー先生。は、早い……って! グレイ!?」
「おう、エルシアか。随分と早いんだ、な……」
何の気もなく、いつもの感じで話し掛けながら振り向くグレイ。だが、言葉の最後の辺りでピタッと思考が固まった。
エルシアは大胆にも白いビキニを着用しており、惜しげもなく晒されている健康的な肌が太陽の光を反射させてキラキラと光っている。
長く艶やかな白い髪はポニーテールに纏められていて、腰にはパレオを巻いている。そして海や空のように澄んだ青色の瞳もまた、光を受けて宝石のように輝いていた。
そのエルシアの水着姿を見て思わず見惚れてしまっていたグレイ。いつも一緒にいるせいで忘れがちになるが、エルシアは学院の中でもずば抜けて容姿が優れている正真正銘の美少女だ。見惚れるな、という方が無理な話だ。
そんなエルシアは顔をわずかに赤くし、両手で体を隠すようにしてグレイを睨む。
「な、なによ? あんまりジロジロ見ないでくれる?」
「へっ? ……あぁ、悪い。その、なんだ。えっと……」
珍しくグレイが言葉を詰まらせ、しどろもどろになり、目が泳いでいる。その滅多に見れないグレイの顔を見て、エルシアの顔が更に赤くなる。
「どうせ似合ってないとでも言いたいんでしょ?」
「いや、そんなことねえって! すげえ似合ってる……と、思う……」
エルシアの言葉を強く否定したグレイだったが、だんだんと語尾が小さくなりエルシアから視線を逸らす。
そのせいか、何か気まずい雰囲気に包まれる二人。両者とも耳まで赤くなっていた。
だが、次の瞬間。海の方角から爆音が轟き、気まずい雰囲気は一気に吹き飛んだ。
「な、なんだ今の!?」
「行ってみましょう!」
二人は海までの道のりを走り、音のした方へと向かう。
宿舎から海まではそこまで距離はなく、すぐにその原因と思われる人物を視界に捉えた。
瞬間、二人は走るのを止め、呆れたような目で砂浜から生えた二本の足を見た。
上半身は完全に砂に埋もれているが、その足の肌の色を見るだけで誰が埋まっているのかはすぐにわかった。
そのすぐ近くにはアスカが怒り狂い、メイランがアスカを羽交い締めにして何とか怒りを収めようとしてくれていた。
グレイとエルシアは何だか申し訳無さと恥ずかしさで頭を抱えて呟いた。
「「何やってんだよ(のよ)あの馬鹿は」」
小さく溜め息を吐く二人だったが、どさくさに紛れて先程の気まずさはどこかへと消えていた。
「……んじゃまあ、折角の海なんだ。俺達も遊ぼうぜ」
「えぇ。当然ミュウちゃんも一緒にね」
「へいへい。わかってますよ」
ようやくいつもの二人に戻ったグレイとエルシアは、砂浜からこちらに向かって手を振るキャサリンの元へ並んで歩いていった。




