私と初めての痛み
武山さんの言葉は衝撃的で私の脳はそれを重大な事として認識していた。
が、それとは裏腹に感情は全く別のところに集中してそれどころではない状態に陥ってもいた。
そうして私は再び思うのだ。ああ、男の人は大変なんだなぁと。
具体的には身体の一部が硬直……そう、正に堅く直るのを抑えられず、傍から見れば抱き合っていると勘違いするような至近距離まで覆いかぶさるように近づいた彼女に気付かれないようにするにはどうすれば良いかを思案するのに必死になっていたのだ。
彼女の膝がね、私の股の間に入ってるんだよ。さすがに自重したのか触れるところまでは来てないんだけど、柔らかいソファの上だもんだから下手に体重をかけられると今にも股間に当たっちゃいそうなの。そうなるときっとバレるよね。彼女自身この状態を何度も経験してるのだろうしゴマ化しは効かないと思うの。ヤバイよね? これ絶対ヤバイよね?
頭が焦りで混乱する中、私はとにかく彼女から離れようと思いつき、その肩を掴んで引き剥がそうと試みた。
するとあまり力を入れられない体勢だったにも関わらず簡単に離れて、今度は正面から彼女と向かい合う形になった。見ると武山さんの表情は頬が紅潮して薄っすらと涙を浮かべている。
こ、これはこれで精神衛生上良くないな。
わ、私は…………
先ほどまでとはまるで違う何か期待の篭ったその視線から目を逸らし、私はそれを否定する言葉を口にしようとした。私は篠宮真夏であると主張しようとした。
けれど私の続く言葉は柔らかな感触に押し戻され、続いてふわりと良い香りが鼻腔をくすぐった。
目の前には武山さんの閉じた瞳が焦点の合わない距離まで近づいている。
呼吸しようとして口が開かず、そこでようやく私はキスされているのだと気付いた。
差し込む西日に浮かび上がるこの世のものとも思えぬ美しい少女、静まり返る小さな室内に遠くで響くセミの鳴き声、荒らされ散らかされた室内には色とりどりの衣服が散乱して退廃的なアートのよう。ひとつひとつが妙に現実離れしていて夢幻の中と錯覚してしまいそうなほどだった。
にも関わらず、私が考えるのは相変わらず突きつけられる理解不能の現実。
痛い…………痛いいたい痛い、何だコレ、何なんだコレ、どういう事なの、どうしてこうなるの、いや状況がどうとかそうのもそうだけどそうじゃなくて、そんな事より股間についたアレが痛い!
実は病院のときの反省を踏まえて座る前に密かに位置を直してあったのでパンツに引っかかっているわけではないはずなのだが、どういうわけか前の時と似たような痛みが今私の股間を襲っているのだ。
これはつまり…………キスをすると男の人は股間が痛くなるという事?
わからない。月曜九時のドラマとかを見ると結構頻繁にキスシーンは出てくるけれどドラマでそんな描写を見た事はない。有名なアイドル事務所のあの人やイケメン俳優のあの人もドラマの中で密かにこんな痛みに耐えて撮影していたというのだろうか。いかん、今後キスシーンを見る度に笑ってしまいそうだ。
そんな関係のない思考に没頭して私が現実逃避している最中にも現実は無常に展開してゆく。
武山さんは閉じていた目をゆっくりと開きながら名残惜しそうに唇を離すと、覗き込むように私と視線を合わせる。
とろけるように潤んだ瞳には、けれどどこか憂いを帯びているように感じて私は吸い込まれるように目が離せなかった。
それは一瞬私の警戒心や危機感といったものを奪い、絶対に許してはいけない彼女の行動を見逃す結果になった。
あろう事か武山さんは私の股間に手を伸ばしてきたのである。
あぇっ!?
厳戒態勢をしいていたはずの場所に突然の空襲を受けて思わず変な声が漏れる。
病衣の薄い布越しに敏感になった部分に触れられるとそれだけでえもいわれぬ快感が走って腰から力が抜けていった。こそばゆいようなふわふわした感覚が下腹部の辺りを漂い、胸の辺りからそこに向けて熱い液体のようなものが落ちてゆく感覚。それに反応して股間のものも更に膨張し同時に痛みも強くなる。
待って! ちょっと待って! 痛い! なんか痛い!
叫び声を上げて肩を掴んだままの手に力を篭め武山さんの身体を押し戻す。腕の力だけだったのに彼女の身体は驚くほど軽く、ほとんど突き飛ばした勢いでお互いの身体が離れた。
私は彼女から離れる方向にソファの端まで移動して痛む股間を押さえたが、触れた瞬間に想像以上の超硬度になっているのがわかってすぐに手を放した。これ、大丈夫なんだろうか。ほとんど骨みたいな硬さだったけど…………
兄の身体ながら病気ではないかと心配になってしまう。だからって見て確かめる勇気もないわけですが。
とりあえず先のような間違いを犯さないよう股間から少し放した内腿に腕を挟みこんで座り防御を固めた。そうして精神の安定を図り、深呼吸をして猛る身体が静まるのを待つ。
「大丈夫?」
深呼吸をくり返し脳がクールダウンして落ち着きを取り戻した頃、おずおずといった様子で武山さんが話しかけてきた。
私は先ほどのキスを思い出して再び顔が熱くなるのを自覚し、彼女の顔をまともに見る事も出来なくて俯いたまま頷いた。
恥ずかしかったけど、不思議と最初にされそうになった時ほど嫌な気はしなかった。まあ女同士はノーカンですし。それどころじゃありませんでしたし。
「ごめん、ちょっと暴走した。いや、色々考えたら今しかないって気がして。白金がいなくなってからの事とか、篠宮の事とか…………そしたらなんか爆発してた。ごめん」
消え入るような声でそう言う彼女の横顔を盗み見ると、その瞳からはもはや大粒になった涙がボロボロと止め処なく溢れていた。
男の子の武山君を知っている身としては複雑なものを覚えるけれど、私はその様子に妙に納得した。彼女が日記を見ている時に流していた涙は本当に単純に純粋に好きな人の痕跡を見つけた事への喜びだったのかもしれない。そう思わせるほど今の彼女からは白金真冬への強い気持ちが伝わって来る。
だからこそ、言わなければいけない。私は白金真冬ではないと。
彼女がどうしてそう思ったのか知らないけれど私には彼女の言葉は幻想に思えた。愛する人を失った悲しみに耐えかねた彼女が、そうだったらいいなと勝手に作り出した幻想だ。
もしかしたら言えば彼女を傷つけてしまうかもしれない。けれど今言わなければいずれもっと傷つく事になるだろう。
私はなるべくさりげない風を装って傷つけないよう気をつけながら、意を決して否定の言葉を口にした。
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