私と危機回避
それはおばけ屋敷という表現が似合う見事な廃屋だった。微妙に洋式の建築様式なのがさらに雰囲気を醸し出している。
近くに見えるのは森と山と田んぼ、遠くに目をやればかろうじて民家も見えなくはない。そんな田舎の人気のない片隅に自然と一体化するように建っていた。
たぶんここで殺人事件が起きても誰も気付かないなぁ。
ふとそんな事を考えて身の毛がよだった。
今私は敵地のど真ん中にいる。そう認識して慎重に行動しなければならない。
遠くに見える民家までは数百メートルはあるだろうか。百メートル十五秒台の私の俊足が唸るぜ!
…………大人の男の人相手では少々心許ないかもしれない。
ひとまず車のドアが開いた瞬間に飛び出して民家までダッシュし、住人に助けを求める作戦で行こう。
私はすばやく判断していつでも動けるよう身構えた。
「さて、改めて聞くけど、あんた何者だ?」
ハルネ先輩が尋ねてくる。私も聞きたい。今の私は一体何者なんだろう。
なんと答えていいかわからないで黙っていると、それを拒絶と思われたのか答えを待たずにハルネ先輩が続けた。
「無関係ってことはないだろ? 白金真冬じゃないし、まして篠宮真夏でもないのに何故か顔だけはそっくりで、しかも武山雪希に匿われてたんだから」
彼女の認識ではそうなっているらしい。ここで私が篠宮真夏ですって言ったらひん剥いてアレとかソレとかを確認されそうだ。
とはいえ車の中に閉じ込められ、満足に動く事もできないこの状況で迂闊な事は言えない。今私の前にいるのはハルネ先輩であってハルネ先輩ではない別人なのだ。ついでに言えば麻酔ガスを使うような危ない人でもある。
こちらの世界で私を認識しているのはこの二人と武山さんだけだが、置いて来た武山さんに救助を期待するのは無理がある。彼女だって高1なのだから。高1だよね? あんまり大人っぽかったのでちょっと自身ないけど、武山君の一心双体は生まれつきって言ってたから同い年のはず。麻酔がなくても車を追跡するのは難しいだろう。
やはりここはだんまりでやり過ごしてドアが開いた瞬間に走るのが最善策。
改めて覚悟を決めた私に対し、ハルネ先輩は言葉を重ねる。
「クローン? なわけないか。そっくりさんってのも面白いけどBCIがないんじゃ意味が薄い。となると……」
「なんでもいいから早くしろよ。長居してると人目につく」
ここで初めてハクさんが口を開いた。
前に会ったハクさんはインテリっぽい穏やかな人だったけれど、こちらのハクさんはなんだか喋り方に野卑な感じが滲んでいる。ハルネ先輩もヤンキー感に磨きがかかってるし…………武山さんの言ってたアウトローな人達の仲間なのかな?
ハルネ先輩はハクさんの言葉に舌打ちをして苛立たし気に「わかってるよ」と返すと、どこからともなく工事現場で使っていそうな黄色と黒の頑丈そうなロープを取り出して私の方ににじり寄って来た。
「しばらく大人しくしててくれよな」
冗談ではない。どう考えてもあれは私をふん縛る為の拘束具だ。そんな事をされたらドアが開いた瞬間にハルネ先輩を突き飛ばして近くの民家に助けを求めに行く私の計画が実行不能になってしまう。
ギリギリまで痺れているフリをして油断させておこうと思ったけど、もはや形振り構っていられない。私は寝転がった体勢から体をガバッと反転させて起き上がり、それと同時にハルネ先輩をキックしてから車体の最後尾まで距離を取った。
「いってぇな。こんにゃろう、やっぱり動けるようになってやがったか」
ありゃ。なんだ、バレてたのか。
どうやらこちらの考えを見越した上で先に拘束しておこうと考えたようだ。ハルネ先輩も女の子だから顔だけは当たらないよう注意したのだが、そういう事なら肩じゃなく顔面を蹴ってやれば良かった。
さて、追い詰められて咄嗟に動いたのはいいけど状況は好転してないぞ。むしろタヌキ痺れ? がバレた分悪くなったとさえ言える。さらに悪い事にはハルネ先輩を蹴ったせいでそれまであまり積極的に私に関わろうとしてこなかったハクさんが運転席側からこちらに身を乗り出していた。
万事休す――――――そう感じた私はとっさに彼女の名前を呼んでいた。
ハルネ先輩、ハルネ先輩。光野ハルネさん。
たぶん命乞いしようとしたところをプライドに邪魔されて続く言葉が出てこなかったんだと思う。我ながら情けない話だったが効果はあった。突然名前を呼ばれたハルネ先輩は驚愕に目を見開いき、ハクさんも身を乗り出したまま止まって眉間にシワを寄せている。
そういえばさっき名前呼んだ時はまともに喋れてなかったもんね。
今更ながら気付く暢気な私とは裏腹に車内の空気は張り詰め、いつの間にか警戒感を顕にしたハルネ先輩に銃口を向けられていた。一瞬驚いたけど、さすがにこの距離で見ればおもちゃである事くらいはわかる。こっちのハルネ先輩は昨今のサバゲーブームにでも乗っかってるんだろうか。
脅しになっていない脅しをかけつつ、尚も緊張した面持ちでハルネ先輩が言葉を綴る。
「なんであたしの名前を知ってる? 名乗った覚えはないんだけど」
う~ん、私も名乗られた覚えないなぁ。咄嗟に口をついてしまっただけで言うつもりもなかったし。
けれど言ってしまったものはもう仕方がない。これだけ警戒された状態で上手く言い逃れられるようなウソがつけるとも思えないし、私は仕方なく本当の事を喋った。
「えーとつまり、あんたはその違う世界の篠宮真夏ってこと?」
一通り説明し終わった後、口を開いたハルネ先輩の第一声はそんな言葉だった。
一笑に付される可能性もあったので喋っている間は不安だったのだが、ひとまず信じていただけたようで胸を撫で下ろした。実際に撫で下ろすと現実を再認識してしまうのであくまでも比喩表現である。
ハルネ先輩はそれでもまだ信じ切ってはいない様子でいくつかの疑問質問を私に投げかけ、私もわかる範囲でそれに答えた。途中、なんだか緩んだ空気を感じてかハクさんが「先に様子を見てくる」と行って車を降りて行ったのも信じてもらえたからだと思う。思いたい。
「じゃああんたがこっちの世界に来たのは篠宮…………あー、真夏Bちゃんの陰謀ってこと?」
いくつ目かのハルネ先輩の質問に頷く。今のところあいつ以外に犯人は考えられない。何が良い旅を、だ。
思い出す度にはらわたの煮えくり返るあの声が脳裏に蘇り不快感に顔をしかめる。あいつと言い武山君と言い、魔術師というのには碌なのがいない。ついでに言えば秋生も性格は悪い部類だ。
そういえば秋生で思い出したけど、ハルネ先輩はどうなんだろう? 単なるオカルトマニアの秋生信者という認識しかしてなかったのだが、彼女も魔術師という括りに入るのだろうか? 実際に聞いてみた。
「ん~、向こうでどうだったか知らないけど、こっちのあたしは違うよ。てか一目瞭然だと思うんだけど?」
まあ確かに今のハルネ先輩はどっからどうみても軍オタかサバゲー中の人にしか見えない。
それにしてはすんなり信じるんですね?
私にとっては有難いが、なんだか狐に摘まれたようで不安でもある。ひねくれた思考回路に悩まされる私に、ハルネ先輩はさらりと言った。
「いや、信じらんない事の方が信じて楽しいじゃん?」
………………事の真偽はどうでも良いらしい。
とはいえ彼女はすでにいくつか信じられないようなものを見てきたという話だ。BCIにしても彼女が見たものは凄まじい。一人の人間が数十に及ぶラジコンを同時に操作したのだとか。武山君の言っていた事を思い出さずにはいられない話だった。
いつの間にか聞き手と話し手が逆転しているのを自覚しつつ、私は踏み込み過ぎないように気をつけながらハルネ先輩の事情を少しずつ聴取してゆく。
彼女達が追いかけているのは再三言っている通り白金真冬か真夏Bに埋め込まれたBCIで、どうも誰かから依頼されているらしい。その依頼人は可能であれば身柄を確保したいらしいが、それが難しい場合はデータだけでもとるのが彼女達の仕事。BCIの電波を検出する装置を持っていたのはそのためなのだとか。
話を聞く限り良心的というか、その依頼人が悪い人とは思えなかった。
では何故、軍事目的で開発されたような危険な技術を求めるのか。聞いてみたけどハルネ先輩は言葉を濁すだけだった。
「ま、まあともかく。あんたが篠宮真夏だってんなら好都合だ。折角だからあたしらにちょっと協力してくれよ」
何かゴマ化すようにそう言ってハルネ先輩は車のドアを開き、バンの外へと躍り出る。
私もそれに続いて外へ出るとハルネ先輩は先を行くように歩き出していた。その先には異様な存在感を放つお化け屋敷。
ま、まさかここに入るんですか?
進みかけた足を止め、若干震える声で抗議する私に、ハルネ先輩は言った。
「なに言ってんだ。あんたん家だろ」
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