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私と美人さん

 濡れてしまったお尻を病衣を絞って拭いたり穿いたりして整え、個室に戻って軽く三十分ほど悶え、ようやく覚悟を決めた私は周囲の気配に気を配りながら元の病室へと向かう。

 さっきの事をどう説明すれば良いのか考えると胃が痛いけれど、今はとにかくあの美人さんから話を聞くしか道はないのだ。

 ドアの前まで戻り、耳を澄ませて中の気配を探る。


 特に何も聞こえないか。


 聞き耳に失敗した私は次の一手を覗き見に変えてそっとドアに隙間を作り、中を覗き込んだ。

 すると先ほどまで私が寝ていたベッドにうつ伏せの状態で倒れ込んでいる女性の姿が目に入った。


 だ、大丈夫ですかっ!?


 思わずガラッとドアを開けて声を掛けると、彼女は驚いたように勢い良く起き上がって私の方を振り返った。窓に刺すカーテン越しの陽光が逆光となってその姿を神々しく霞ませる。

 切れ長の瞳が私を捉えて見開かれたかと思うと、あっというまに細められ、すぐに見惚れてしまうような優雅な笑みが浮かんだ。


「入院してるのはお前の方だろ。オレはどこも悪くないよ」


 え、オレっ子?

 目の前の美人さんが発したとは思えないクズ臭い喋りに面食らう。見た目も仕草も楚々として素晴らしいのになんという残念美人。 

 けれど初対面でそんな事言えるはずもなく、とりあえず会釈して病室へ足を踏み入れた。

 美人さんはベッドの脇に置かれた丸椅子に腰掛けて私にベッドに戻るよう勧めてくれたけれど、まだ下が乾いていないので私も丸椅子を出してベッドを挟んで向かい合うように彼女の前に座った。

 そして開口一番、ベッドに手を付く形で頭を下げる。


 さっきはすみませんでした!

 さっきというのは言うまでもなくトイレで下半身丸出しにしていた事である。何故見られた私が謝らなきゃいけないのか理不尽極まりないとは思うけれど、世の中性的被害者は常に女性と相場が決まっているのだから仕方がない。

 けれど美人さんは特に気にした様子もなく顔の前で手を振ると妙な事を言った。


「あー、オレは見慣れてるから気にするな」


 え。見慣れてるって。

 何でもない事のようにさらっと言われたけれど、普通の女子はそうそう目にする機会のないものなんですが。

 ああ、でも職業柄良く見るという事もあるのかもしれない。やっぱり彼女が噂の元看護師さんなのだろう。オレっ子看護師……スペック高いな。

 勝手に納得し、話を進める。


 それで、私はどうしてこんなところにいるんでしょうか?


「うん。まあ不思議だよな。けどその前に確認しておきたいんだが…………」


 言葉を区切り、ベッドに身を乗り出した彼女の顔が近づく。

 あ、なんか良い香り……。

 スンスンしたくな甘い香りを伴って近づく整ったお顔に飛びつきたくなるのを堪え、身体を引き剥がすように距離をとる。

 ところがその瞬間、病衣の胸倉を掴まれて引き寄せられた。突然の事態に驚く私。けれど続いた言葉はもっと驚きのものだった。


「お前は誰だ? 篠宮真冬か? 篠宮真夏か? それとも白金真冬か?」


 彼女の問い。それは単純に名前を確認しようとしているのではないだろう。何故なら今私が入っているのが兄の身体であるなら、ここは別世界で、その世界に篠宮真冬という人物は存在していないはずだからである。

 ある程度事情を知った上で三人に絞って聞いているのだ。とすればどちらの世界にも存在している篠宮真夏についても知っているはず。その上で聞いているのだとしたら、それはつまり魂の入れ替わりについても知っていて、その上で中にいるのが誰かと聞いている事になる。

 って事は、これはもしかして手掛かりなのでは?

 彼女が何者かはまだわからないが、そもそも私はこっちの世界について何も知らない。あの真夏Bの事だ。もしかしたら友達の一人もいない寂しい生活を送っているという可能性もある。いや、可能性大だ。だとしたら事情を知っていてこちらの事もわかっている彼女が協力者になってくれれば元に戻る目も見えてくるかもしれない。ぶっちゃけ役に立たなくてもいいから仲良くなりたい。

 とすると第一印象が大事だ。ウソなどついて不興を買うのはよろしくない。ここは正直にいこう。


 えーと、多分貴方が知らない方の篠宮真夏です。


 彼女と真夏Bに接点があったかはわからないけど、この言い方で察してくれるなら別世界についての基本的な理解があると思って間違いない。

 そして案の定、彼女は混乱した様子もなく私の言葉の意味を理解した。


「そうか。やっぱりこっちに来たのは君か」


 しかしその言葉はどこか憂いを帯びたものだった。

 なんかそんなあからさまに期待はずれみたいな反応をされると流石に私でも凹むのですが…………。


「あ、いや、ごめん。そういう事じゃないんだ。ただ、今のところ彼女の計画通りだと思ってね」


 彼女……というのはこの場合、真夏Bの事だろうか。

 確かに寝際に聞いた台詞からも彼女が何かしたのは間違いない。美人さんは向こうの世界へ行ってからの真夏Bの事は知らないはずだから、私が別世界に来て兄の身体に入っている今の情況は予め決まっていた真夏Bの計画のうちって事か。

 癪に障るけれど、もしそうならその計画の中に今後私が元の身体に戻る予定は入っているのだろうか?

 聞いてみると、一応そういう予定にはなっているらしい。ただ、それにはいくつか条件がある。


「魂の世界間移動は身体の移動を伴わないから比較的簡単ではあるけれど、あくまでも比較的だからね。実のところ条件は多いんだ」


 ですよねー。うん、そう簡単に帰れないだろうってのはわかってたよ。

 いくら私が楽観的でも簡単に世界を超えられると思うほど頭湧いてない。そこには苦難と苦悩と冒険があり、数々の試練を乗り越えた二人には切っても切れない強い絆が生まれ、やがてそれは愛へと変わって道ならぬ道へと…………


「あー、妄想が爆発してるとこ悪いんだけど。実はあんまり時間がないんだ。やるべき事を伝えるから聞いてもらえるかな?」


 むー、ここから一気にR指定展開に突入するところだったのに。

 って、いかん。また口に出てたのか。初対面の人の前で妄想炸裂とか、お恥ずかしい……

 自身の奇行を反省しつつ恥ずかしさに縮こまる私。

 そんな私を余所に美人さんは考えるような仕草をすると、そのままボソリと呟いた。

 

「初対面…………か」


 その言葉になにか思うところでもあったのか、しばらく考えを巡らせるように目線を泳がせる。その表情はどこか悲しげにも見えた。

 あれ、初対面じゃない…………のか?

 私が彼女の態度に不安を覚え始めた頃、顔を上げた彼女は一瞬、嫌~な予感のする邪悪な笑みを浮かべると、立ち上がってベッドの上に膝を乗せ、身を乗り出して私の方に這い寄って来た。


「覚えてないなんて酷いな」


 ベッドの上を艶かしく這って近づく彼女から甘い香りが漂い、徐々に強さを増して来る。

 猫のように四つんばいになって歩く彼女の胸元を見るとYシャツの隙間から動きに合わせてふにゅふにゅと揺れる豊満な二つの山が覗いていた。

 視線がその揺らぎに釘付けになっている間にも彼女の歩みは進み、気付くと目の前まで迫っていた。彼女は熱っぽい表情を浮かべ、前傾して更に顔を寄せると艶のあるハスキーな声音で私の耳元に囁く。


「身体で思い出させてあげようか?」


 鼓膜をくすぐるようなその声は耳に直接触れられているかのような心地よさをもたらせ、胸には焦れるような熱が湧き起こる。

 身体の中からくすぐられているような感じがして思わず悶え声を上げそうになったその時、私は自身の体内を今までにない不思議な感覚が流れ落ちるのを感じた。

ご覧いただきありがとうございました!

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