20 大家さん
海開きになって、店は大忙しになった。
美波も期末テストが近づいて、そうそう毎日は来られなくなった。
代わりに美雪さんが亜麻の世話をしに来てくれる。
「なんだか申し訳ないです。」
「気にしないでくださいな。純粋にボランティアですから。ていうか、わたしが亜麻ちゃんに会いたいの。」
美雪さんが口元を押さえて嬉しそうに言う。
「美波が試験に捕らわれている今が、わたしが独占できるチャンスですもん。」
「ほらあ。亜麻ちゃんの胸当て、作って来たわよぉ!」
「ぴい!」
ほんとよく似た母子だ。
亜麻もずっと一緒にいないといけない時期は過ぎて、俺が店に出ていて家の方に誰もいない時でも、ひとりでスマホで漫画なんかを読んでいる。
フィルターを設定してはあるけど、最近の漫画はけっこう過激な描写も多い。
大丈夫かな? と少し心配になるが、美波とは読んだ漫画や観たアニメや映画の話をするらしく、美波は
「変なのは観てないよ。残酷なのキライなんだって。」
と言っていた。
「何見てるの?」
と俺が聞いても、亜麻は
「内緒。」
と言ってスマホを隠すようにして笑うだけだ。
もちろん、亜麻が寝ているときに履歴をたどることもできるが、俺はそれはしない。
「内緒」と言ったら、内緒なのだ。
いちばん初めは人を信頼するところから始めないといけないと思うから。
疑うのは、その後でいい。
店はシーズン中、水曜だけが定休日になり、夏休みの期間は無休になる。
ここで1年分の稼ぎを稼ぎ出しておかねばならないのだ。
美波には、亜麻の相手というより本格的に店を手伝ってもらうアルバイトをしてもらわないと店の方が間に合わなくなりそうだ。
去年はそこまで本気でやっていなかったので、気分の乗らない日はテキトーに「臨時休業」にしていたのだが、今は養う子が1人いる。
かといって、美波以外のアルバイトを雇うわけにもいかない。
この店には「秘密」があるのだ。
美波だって今年は高校受験の年だ。
店の方にばかり時間を取らせすぎるわけにもいかないだろう。
美雪さんだって会社の方の仕事もあるから、しょっちゅうは来られない。
この夏をどうするか?
俺は頭を悩ませることになった。
そんなこんなで、いろんなことが雑になっていたのかもしれない。
「繁盛しとるようで、けっこうじゃん。」
水曜日の午前中、亜麻のトイレの始末やビニールプールの水替えをし終わった頃に、大家の山田俊之さんが訪ねてきた時には俺は驚いて飛び上がりそうになった。
「あ‥‥、えとっ‥‥、家賃の振り込みは済ませたはずですが‥‥?」
「あー、いやいや。そっちの用事じゃねーて。」
山田さんは玄関の中にずけずけと入ってきて、上がり框にどっこいしょ、と腰をおろした。
なんの用事だろう? と俺は不安になる。
山田さんの家は代々漁師で、俊之さんも63歳でまだ現役バリバリの漁師だ。小柄だが筋肉質の体で、近くにいるとオーラの圧力を感じるような人だ。
悪い人ではない。
俺のような都会者の脱サラにも、気持ちよく店を貸してくれるような面倒見のいい人だ。
でも今は、俺の方の事情が異なる。
他人の領域に平気で入ってくるような田舎人の感覚は、今はリスクでしかないのだ。
「白砂さん。あんた今、親戚の子を預かっとるんだって?」
俺はギョッとした。
どこから聞いてきた? そんな話‥‥。
美波や高浜さん夫妻が漏らすはずはない。‥‥‥‥だとすれば‥‥。
あのスーパーのウワサ好きのおばちゃんか!
山田さんは玄関に置かれた折りたたみ式の車椅子に、ちらと目をやった。
「足が悪いんかね? その子。」
「え‥‥ええ。」
迂闊だった。
奥に片付けておくべきだった。
「いやなに、たまたま車椅子を押して海の方に行くとこを見かけたもんだで。大変だら? これから忙しいで。」
「あ‥‥いや‥‥‥」
俺はなんの言い訳も考えていなかった。
「ぴい。」
と亜麻の声が奥から聞こえた。
マズい‥‥。
「なあ、白砂さん。」
山田さんは俺の目を覗き込むように見た。
「もしかして、だが‥‥。あんたが匿っとるのは、人魚の子なんでねーか?」




