15 帆星さんの提案
結局、みんなでかわるがわる亜麻を抱っこしてはしゃいだ後、高浜一家と亜麻の4人の記念写真を撮ったので、店の開店は30分ほど遅れてしまった。
といっても、平日の夕方だからお客さんがあるわけではない。
お客は高浜夫妻だけだ。
美波は公明正大にベビーシッターのバイトをしている。
「ぴいるる!」という亜麻の歓声が、奥から少し聞こえてきた。
「お恥ずかしいです。年甲斐もなくはしゃいじゃって。美波が夢中になるはずだわ。」
「いや、あれは仕方ないよ、美雪。」
テーブルに着いてまだ興奮が覚めやらない状態の美雪さんに、帆星さんもそう言いながらまだ頬を上気させている。
「本当にいたんですね。おとぎ話の世界だけじゃなく‥‥実際の生物として。」
「そうですね。」
と俺も相槌を打つ。
「実際に見た人がいたから、世界各地に同じような姿の伝説が残ったのかもしれません。それにしても、拾った卵が手の中で孵った時には驚きました。」
「あなたは立派だ。」
突然、帆星さんが言い出したので、俺はキョトンとしてしまった。
「美波から、秘密にしなければいけない理由を聞きましたよ。」
帆星さんはそう言って、コーヒーカップを口に運んだ。
「あの子を客寄せパンダにして、商売を繁盛させる道だってあったでしょうに。いや、そう考える人の方がきっと多いでしょうに‥‥。あなたはあの子の安全を第一に考えて、難しい道を選択していらっしゃる。」
「いや‥‥そんな、いいもんじゃなくて‥‥。俺‥‥私は、あの子をあらゆる世間の好奇の目や危険から守ってやれる力がないだけで‥‥」
「美波が『マスターはカッコいい』ってよく言うものですから、あらぬ疑いを持ってしまって‥‥。お恥ずかしいです。」
帆星さんが頭をかく。
「でも、実際にお会いしてみたら、美波の言うとおりカッコいい方ですね。」
「え‥‥?」
そんなふうに言われて、俺はどういう顔をしていいかわからない。
都会で敗北して、儲かりもしないカフェなんかやって、人魚の子を育てている変人‥‥。
俺の中にある自分の評価はそんな感じなのに‥‥。
だが、帆星さんは大真面目な顔でこう言った。
「無条件に子どもを守ろうとする大人は、カッコいいです。」
高浜さんは信頼のおける人だった。
他の客が来ないのをいいことに、俺は玄関の札を「本日休業」に掛け替えて高浜夫妻にこの先のことなどを相談に乗ってもらうことにした。
これまでは、大人の相談相手がいなかったのだ。
問題は多岐にわたる。
この先、亜麻を海に帰すべきか? 海での暮らしなど、俺は教えることができない。どんな危険があるかわからない海に亜麻をひとりで放つことは、現代人をひとりで原生林の中に置き去りにするようなものだ。
では、ここに置いて狭い浴槽の中に閉じ込めておくのか? そんなのが亜麻の幸せだとは、とても思えない。
だからといって、亜麻の存在を公けにした時の騒ぎを考えれば、それが亜麻にとっていいことだとも思えない。
「よく考えておられるのですね。」
帆星さんは、感心したように腕組みをして言った。
「すぐに答えは出ないと思いますが、私も考えてみましょう。とりあえず‥‥」
と美波と亜麻の歓声が時おり聞こえてくる奥に目をやりながら、帆星さんは俺に言った。
「店から海まで行くときに不審がられずに尻尾を隠す方法として、車椅子を使うというのはどうでしょう? 足に障害のある子を海で遊ばせている——という風情になるので、あまり気に留められないのでは?」
それから頼もしげにこうも言ってくれた。
「もしよければ、ツテがありますので車椅子は私が手配しましょう。」
俺は美波のおかげで、百万の味方を得た心地になれた。




