第76話 眠れるオートマタのレイゴウ(5)
日の光が目蓋に照らされて眩しい。
欠伸をしながら周りを見渡す。
洗面台まで歩いて、力を込めながら蛇口を開ける。
錆びているのか。
非常に開けづらいことは、昨日試して知っていた。
続いて手やら顔を洗う。
タオルがあれば顔を拭くために使っていたのだが、配給されていない。
着ている服を使って拭く。
「もう、朝か……」
朝日が鉄の枠から漏れていた。
埃っぽい牢屋だったが、光が入り込んでいるだけでも幾分かましだ。
昔入れられたことがある牢屋は日の光が入り込むことなく、カビが生え、鼠が同居人だった時に比べれば天国だ。
先日、連行されてこの牢屋に入れられた。
ミストヤードの施設であり、建物の中にも外にも警護は配置されている。
今は看守が巡回中なのか姿が見阿当たらないが、この檻を壊してもすぐに包囲されるだろう。
最初は事情聴取されて、それからすぐにこの牢屋に入れられた。何時間も同じ質問をされて疲れ切っていたので、泥のように眠ったのだった。
横から物音がし始める。
隣の牢屋にいるのは自称名探偵のアンだった。
他に罪人はいないので気が楽だが、イビキが五月蠅かった。
「起きたか」
「嗚呼。鳥の囀りはまさに至上の歌。我が耳朶に響き、心地のよい目覚めに誘った」
「凄いな。起き抜けにそのアホみたいなテンションは真似できないよ」
俺達は、一日だけ勾留されることになった。
文句を言おうにも、法を作っているのはミストヤードの方だ。
どうにもならない。
いざとなれば、俺の身を明かせば自由の身になるかも知れないが、今日になれば解放されるとのことなので、こうして大人しく捕まっている。
ビブリアが身元保証人になってくれれば話が早いのだが、ミストヤードの人間が言うには連絡が付かないらしい。今頃どこで油を売っているのやら。
「どうせ釈放されるまで時間があるんだ。色々と聞きたい事がある」
「二度寝したいのだが、構わないかな?」
「顔に水ぶっかけろ」
寝ぼけたことを言うので、辛辣な言い方になってしまった。
鳥の歌声とやらで目覚めたんじゃないのか。
全然起きられてないじゃないか。
素直に顔バシャバシャさせている音がしたので、少し言い過ぎたと反省する。
が、聴きたいことは山ほどある。
「結局、『スチームパンク号』で運搬していた遺産について詳しく聞かせて欲しい」
「何、というのは?」
「惚けるのはなしだ。知っていることは全部吐いてもらう」
「……先日、貴君は尋問されている時に、何か訊いたのかな?」
「訊いたけど、何も答えてくれなかった。とにかく俺の事情を知りたいみたいだったけど」
「貴君が怪盗紳士か、その一味とでも疑われているんだろうねぇ」
「俺が怪盗紳士?」
「現れると予告した場所に貴君が現れたのだ。疑われてもおかしくない。先日、怪盗紳士は現れなかったのは、初めてのことだったしね」
怪盗紳士が姿を現れなかったのは、乱戦になったからか?
それよりも気になることを耳にした。
「怪盗紳士は複数犯なのか?」
「単独だと言われているが、あまりにも手際が良すぎる。ミストヤードはともかく、私にも捕まえられていない。スパイがいると考えるのが普通じゃないか?」
「スパイ……」
アンはともかく、ミストヤードは優秀な組織だ。
彼らがずっと捕まえられていないというのは、確かに妙な話だ。
「俺は勿論スパイじゃない。ここに来たばっかりで無実だよ。それに、捜査を攪乱させることができるのは、それなりに地位が高い奴ってことにならないか?」
「……あくまで可能性の問題だけど、そうなるねぇ。怪しいのは?」
「一番怪しいのは、昨日会ったクロックだろ。ミストヤードそのものに悪い印象を持っているんだろ?」
「なるほどねぇ。彼女だったら裏切るメリットも出てくる。彼女は近年組織内で力を付けている。そうなってくると……もしかしたら、彼女がこの街で一番の危険人物かも知れないねぇ」
クロックは新参者だ。
最初から裏切るために、組織にスパイとして潜入したことだってあり得る。
「クロックがミストヤードに所属したのと、怪盗紳士が現れたのはどっちが早いんだ?」
「クロックがミストヤードに所属してからだね。怪盗紳士が活躍し始めたのは最近だよ」
時期的には矛盾はない。
だとしたら、動機は何だ?
怪盗紳士を野放しにして、クロックが得をすることは?
「今まで怪盗紳士が盗んでいたものは?」
「金品ばかりだね。ただ、今回みたいな大物は初めてだ。普段は貴族から金品を奪うだけだから、今回は驚いたねぇ」
「怪盗紳士が捕まらなかったら、金は手に入るし、今のミストヤードのスミス長官の評判も下がる。クロックからすれば一石二鳥だな」
ミストヤードが失敗すればするほど、クロックを次期長官に推す民衆の声は高まるはずだ。
「クロックはミストヤードの信用を落とすことに成功したから、味を占めたのか?」
より手痛い失敗を求めて、今回は帝王の遺産強奪作戦に打って出たって訳か。
仮に怪盗紳士が失敗しても、二重の作戦として強盗団にも情報を流した。
例え自分が手に入れられなくとも、ミストヤードの失敗になるように。
ただ、俺やビブリア、それから名探偵のアンがそこにいたのは計算外だったのだろう。
クロックの計画は失敗に終わったわけか。
「遺産についてはどこまで知っているのかな?」
「かつて、バベルミラージュを支配していた悪の帝王の遺産ってことぐらいだ」
「なんだ、結構知っているじゃないか。その通り、悪の帝王の遺産であるオートマタ『レイゴウ』が運ばれていたんだ。カームジールからね」
「カームジールっていえば、デカい美術館があるところか」
世界中の美術品が集まるカームジール。
俺には価値が分からないが、ビブリアなんかは好きそうな所だ。
ここから比較的近い場所にある。
スチームパンク号も停車する場所だ。
「そう。元々はそこのカームジール美術館に展示されていた機械人形が、スチームパンク号によって搬送されたわけだ」
「展示……?」
危険物として認定されているものを、平然とカームジール美術館では展示していたのか。
どうやら相変わらずあそこは、常識が通用しないらしい。
「カームジール美術館が市場にあったものを買い取ったらしいけど、それが盗品だったらしくてね」
「盗品?」
「この街で悪の帝王が勇者ご一行に倒されてから、悪の帝王の遺品であったオートマタは全て廃棄処理にされた。そのことは?」
「知っているよ。まあ、全てが危険じゃないとは思うけど、悪の芽は摘み取るってことだよな。俺はあんまり胸糞良いものだとは思わなかったけどな」
悪の帝王が操った自動人形は、人間に反逆した。
武装し、統率のとれた自動人形達が大勢で反旗を翻したあの事件以降。
絶賛されていた自動人形達は、全て回収され廃棄された。
人間よりも人間らしいオートマタが廃棄されるのは、胸糞悪かった。
「危険因子となり得る悪の帝王の遺産は全て廃棄されるはずだった。――が、何故か裏市場に数体、いや数十体は流された。ミストヤードの監視下でそんなことができたのは、十中八九ミストヤードの関係者だろうね。そいつらは処分されただろうが、身内の恥を漏らすほどミストヤードは無能じゃない。こればっかりは、名探偵の私であっても調査できなかったね」
あれだけ話題になった高性能の自動人形だ。
値段は高騰したはずだ。
横流しすれば、一財産を築くことができただろう。
魔が差せした奴は、裏の市場に流したってわけか。
「まあ、誰が流したかはこの際問題じゃない。流されたオートマタの中でも最上級品と言われる逸品が、よりにもよって、カームジール美術館に流れ着いたっていうのが問題となった」
「問題?」
「そこらのコレクターや犯罪者だったら、押収すれば済む。だが、カームジール美術館から強引に奪う訳にはいかない。交渉したが、中々首を縦に振らなかったらしい。金を積んでもカームジールの連中には響かない。お金より美術に目がない連中だからねぇ。だから取り戻すのに数年の時間がかった」
途方もない話だな。
たかが一体のオートマタを回収するのに大騒ぎだ。
それに、金だってそれなりに積んだだろう。
いらないとはいえ、交渉材料にはなったはずだ。
「そこまでして取り戻した理由は?」
「さあ。破壊が目的なのは表向きだが、長い年月をかけ、大金を叩いてまで手に入れるのには何か裏があるんじゃないかって噂だ。悪の帝王の遺産を起動して、まだこの街にいる悪を根絶やしにするのが目的なんじゃないかって言う奴もいる」
壊滅的なダメージを受けたオートマタを、逆に兵器として利用するってわけか。
制御できなかったからこそ、かつての事件は起こった。
それなのにまた同じ歴史を繰り返すって?
いくら何でもミストヤードの連中がそこまで馬鹿だとは思いたくない。
「ミストヤードが手に入れたんだから、これからどうなるかは分かるはずだ。一体ミストヤードの奴らが遺産をどう使うか見物だね。ただ、この街に関わり合いのない貴君は、すぐさま逃げることをおススメするよ。厄介事に巻き込まれる前にね」
「逃げる、ね」
ここに立ち寄ったのは元々装備を整えるためだった。
ここに、英傑がいる訳でもない。
ただ、問題が起きるかもしれないと聞いて、そのまま見過ごす訳にもいかない。
せめて、オートマタがどうなったかを知るまでは逃げたくないな。
「私は怪盗紳士が遺産を奪うという情報を手に入れ、スチームパンク号に乗り込んだが、そこには盗賊団がいた。その盗賊団に情報を流したのは一体誰かも気になるね」
「もしかして、クロックか、カームジール美術館か?」
「その可能性は私も一番に考えた。クロックは権威の失墜を。カームジール美術館は惜しくなったんじゃないかって。ただ、もう一度同じ美術館に飾るとなったら、ミストヤードの連中も黙っちゃいない」
となると、やはりクロックが一番黒に近いってことか。
「! ……おい!」
「分かっているさ。朝食かな? 優雅な一日を過ごすには、朝はパンだと決まっているのだけどあるかな?」
足音が響いてきた。
俺らは合図をして黙り込む。
看守かと思ったら、近づいてきたのはお供の三人とクロックだった。
思わず息を呑む。
さっきまでアンと一緒に、黒幕扱いしていたクロックだった。
小さくない声で話していたから、少しは話の内容を聴かれていたかも知れない。
そんな危惧を余所に、平然とした声でクロックは命令してくる。
「腕を出して」
言う通りに腕を出すと、手錠を付けられる。
それから扉の鍵が開けられて、アンとほぼ同時に牢屋から出される。
「釈放かな?」
アンは両手を上げて質問するが、俺が気になったのはその大袈裟な手の動作ではなく手首だ。
アンの手首には手錠がしていない。
俺の手首には手錠がされたままだというのに。
「あなたの釈放はまだだよ。特別独房に今からあなたは移送される」
「……何だって?」
クロックは、紙を広げて俺に見せつけてくる。
「あなたには新しい罪状が言い渡されたんだ」
そこには信じがたい文書が記されていた。
「あなたは貴族殺害の罪に問われ、明日処刑されることになった」




