第53話 名前も知らない最弱(1)
第五層に到達した。
一度は入口近くまで来たのだが、ここまで来るのに長かった。
入口の場所はほとんど変わっていなかったから、第五層に行くのはそこまで苦ではなかった。
それから第五層を探索しているのだが、それも順調だ。
第六層からまたモンスターがガラリと一変するが、第五層はそこまで変わらない。レベルが変わるぐらいなものだ。
変化がないから対策を立てやすく、戦いやすいとは思うのだが、それを差し引いてもトロイトは戦えている。
まるで今までが手を抜いていたかのように、すいすいと進んでいっている。
このままだと第五層を今日中に踏破しそうな勢いだった。
正直、俺のほうが疲れているぐらいだ。
バウンスが結構強かったからなあ。
「……ふう」
無意識に本棚に手をついてしまう。
フト、とちょうど手の置いた本が目に入った。
何故なら、本のタイトルが変だったからだ。
『今すぐ引き返さないと君たちは殺される』
と、なにやら物騒なタイトルだ。
こんなもん誰が読むんだ。
しかも、これって小説か?
珍しいな。
ラビリンスダンジョンの書庫って、だいたいが歴史的価値のある資料だったりするんだけど、小説もあるんだな。いや、当たり前といえば当たり前か。小説だって価値あるもんだしな。
ジャンルにこだわらずに色々と収集しているのがラビリンスダンジョンだしな。
しっかし、それにしても――。
「趣味悪いな」
「え? 何か言いましたか?」
「ああ、いやなんでもない。ただの独り言」
「そ、そうですか」
不思議そうに踵を返す。
タイトルが目に入らなかったのかな?
まあ、目に入ったとしても何も思わなかったかもしれない。
小説読まないからなー。
ああいうタイトルのミステリー小説とかってあるのかもしれない。
ついつい今の状況とシンクロしているみたいで驚いたが、引き返すなんてできない。
ここまできたら進むしかない。
次の階層に行くか。
このダンジョンから出るのか。
その、どちらにしても。
「トロイト……。これからどうするんだ?」
「師匠の言いたいことは分かっていますよ。さっさとこのダンジョンから避難しろっていうんですよね」
「それは……」
「分かってます。私、この第五層が終わったら、このダンジョンから脱出するつもりです」
「…………いいのか?」
そんなこと訊かないほうがいいっていうのに、訊いてしまった。
だって、そうだろ。
さっきまで、トロイトは泣いていたんだ。
何度も俯いて、疲労で足だって震えている。
ここに来たのだって目的があったからだ。
命の危険があるのだって百も承知だったはずだ。
それなのに、無理やり俺についてきた。
たとえダンジョンが未経験で未熟者だったとしても、いきなりそんなしおらしい発言が飛び出して来たらこっちだって心にもないことを言ってしまうだろ!!
「いいんです。本当は気がついていましたから。私の愛している……一番大切な人がどこにいるかってことぐらい」
「…………」
何も言えなかった。
もう死んでしまっているのを、トロイトは気が付いていたんだな。
「でも、信じられなくて。その確認がしたかっただけなんです」
それでいいのか。
いいんだろうな。
きっと、死んでしまった人ばかり追いかけてもしかたない。
過去に縛られていたら未来へ進めない。
でも。
「なあ、もう少しだけダンジョンで探すか?」
「師匠…………」
忘れていいのか。
大切な人のことを想う気持ちをそんな簡単に捨てていいのか。
「今はさ、俺も探し人がいるからちゃんと探せないけど、俺の用事が終わったら探しに行けるだろ?」
「でも、師匠に迷惑がかかるかもしれないですよ」
「今更だって。もうずっと前から迷惑かけられっぱなしだよ」
「ちょ、ちょっと師匠!!」
興奮したのか足元がおぼつかない。
こけてしまう。
「あっ」
「大丈夫か? 手……貸してやろうか?」
咄嗟に受け止めてやる。
手を伸ばしてやって、手をつないで一緒に行こうかと誘ってみる。
断れるかな? って思ったけど、意外にも握ってきてくれた。
「ありがとうございます、師匠。――大丈夫ですよ。私、ちゃんと分かってますから」
「そうか……」
よかったんだな、これで。
トロイトはきっと前に進めるよ。
このダンジョンでの経験だって活かせるよ。
ここまで強くなれたんだ。
「でも、嬉しかったです。ほんとうに、ほんとうにありがとうございます!」
そう言うトロイトはまだ悲しそうで。
笑顔を見ているだけで胸が苦しくなった。
俺だって死んでしまって忘れられない人がたくさんいるから、きっと気持ちが痛いほど分かったんだと思う。
「絶対、二人で無事にこのダンジョンから出ましょうね」
「ああ」
力強く握りしめあう。
この手と手が離れる時は、きっと、このダンジョンを抜けた時だ。
そう思いながら、角を曲がる。
次の道が見えてきて、そして、俺の手は空をつかむ。
「あれ?」
握っていた手が振りほどかれたわけじゃない。
何の抵抗もなかった。
スッと手を離された感触すらなかった。
「トロ――――え?」
振り向けば、そこには誰もいない。
視線を下げると、そこにあったのは服だけだった。
触ってみるとまだぬくもりが残っている。
どこにもいない?
あの一瞬で?
手も触れていたのに?
肉体だけがどこかに消えるなんてことがあるのか?
少なくとも、トロイトの意志で姿を消したはずがない。
誰かに殺された?
消された?
「トロイト? おい!! トロイト!!」
返事がない。
煙のように消えてしまった。
残っているのは血痕だけだった。
点々と血が出ていて、まるで道しるべのようにさきほど曲がった曲がり角の先まで続いている。
さっきまで傍にいたのに。
強力なモンスターなんてここにはいないはずだ。
この階層にいる冒険者のスキルレベルなんてたかが知れているはず。
こんな芸当が可能なのは、それこそ魔王軍の幹部か、それか――待てよ。
「トロイトがどこかに行った? 本当に?」
トロイトが目の前から消えてしまった。
それこそが、間違いだったとしたら?
逆だったとしたらどうだ。
全てが逆だった。
最初から。
俺がここに来た理由そのものが逆だったとしたらどうだ?
そうだ。
最初からなんだ。
最初から違和感があったのだ。
最大の違和感といえば、そうだ。
さっきの本のタイトル。
俺は見た時の違和感は、タイトルの異様さだと思い込んでしまった。
だが、違う。
俺があの時立ち止まったのは、本の名称ではない。
言語だ。
背表紙に書かれていたあのタイトルの書かれていた言語だったのだ。
「…………日本語……だった……」
異世界には様々な言語がある。
世界共通語だってあるが、それぞれの国に言語があり、数にすると五千以上あるといわれている。
スキルを使えば翻訳することもできるが、俺は無意識的にスキルを使っていない。
何も考えずにただ読んだだけだ。
だが、ラビリンスに日本語で書かれた書物なんてあるわけがない。
読めるはずがないのだ。
だから、あそこにあった本は、俺が生み出したものなんだ。
スキルによって俺の記憶から抽出されたものなんだ。
そもそも、あいつが被害者だという考えそのものが間違いだったんだ。
どんな時代だろうが、どんな場所だろうが、どんな時だろうが。
あいつは、いつだって加害者だ。
「うわ!!」
血の跡をたどっていって、角を曲がったところで俺はたたらを踏む。
何故なら、崖になっていたからだ。
底すら見えないと思っていると、そこから天井を舐めるように炎が吹き上がる。
さっきまで普通に歩いていた場所なのに、いきなりこんなことになるなんてありえない。
「やっぱり、そうだよなあ」
トロイトが消えたんじゃない。
俺が消えたんだ。
現実世界から。
全ては幻覚。
ここは、ラビリンスダンジョンであって、ラビリンスダンジョンではない。
異なる世界。
自らの記憶や頭に浮かんだ想像から造り出された世界だ。
人は必ず記憶を改ざんする。
自分の都合のいいように作り変えてしまう。
だが、奴にはそれは通用しない。
俺が加工する前の純粋無垢な記憶を引きずり出すことができる。
記憶にない記憶をこの世界に彩ることができる。
あまりにも強すぎるこのパーソナルスキルには発動条件があるが、既に俺は満たしてしまっている。
真っ白な記憶を具現化し、罠にかかった対象者を異なる世界に閉鎖するパーソナルスキル。その名は、
「『WHITE ALBUM』」
女の声が空から降ってくる。
聞き覚えあがる声だ。
やはり、奴の仕業だったのか。
ビブリア。
英傑の一人であり、性格は残忍そのもの。
他人を実験動物ぐらいにしか思えない。
敵よりも敵らしい味方だ。
バウンスも、シャッタッフも被害者だ。
こいつの『ホワイトアルバム』で造り出した世界で何年も何十年も過ごせば、正気を失うに決まっている。
しかも、今度は俺まで取り込みやがった。
「あのバカ……。味方の俺を固有空間に閉じ込めやがった……」
わざとじゃないと思い込みたいが、かつての仲間だった経験からいえば本気でやっていそうなところが怖いんだが。
「ビブリア!! 早くここから出せ!!」
「あー、なんか叫んでいるみたいだけど、大丈夫、君を出してあげるよ。ただし、それには条件がある。まず君は――」
「お前のお遊びに付き合っている暇はないんだよ」
ドゴオオオオオオオン!! と、壁をぶん殴る。
亀裂が走っていき、豆腐みたいに崩れ落ちる。
ビブリアは世界最強といっていい。
どんな最強であっても、ビブリアの前では必ず二番手になってしまう。
最強よりも最強に近い最強。
普通に戦えば絶対に誰も勝てない。
だが、ビブリアには致命的な弱点がある。
それは、まともに戦わないことだ。
敵と接する時、全力で叩きのめせばすぐに勝負は終わるのに、必ず遊ぶ。
もしもまともな神経をしていれば、ビブリアがこの世界の救世主になっていただろう。
だが、ビブリアにとって世界を救うことよりも、世界で遊ぶことのほうが大切なんだ。
その気の緩みこそが、最大の弱点だ。
まともに相手するよりも、ビブリア本体を倒すほうがよっぽど効率的だ。
「おっと。どれだけ壊しても無意味だよ。僕は人間観察が趣味なんだけどね。とある野蛮人が僕を力づくで倒してこの世界から抜けるなんていう、まさにチート行為を働いたことがあったからさ……。ここに僕はいない。君は戦わなければならない。君自身とね」
「チッ」
さすがに同じ手は使えないか。
ライブ感覚で他人が打ちのめされるのを観たがっていた頃と違って学んだようだな。
だが、これで最悪の事態になった。
「僕の『パーソナルスキル』は、この空間を作り上げるスキル。この世界は君の記憶から構築されている。ここを脱出するためには二つ方法がある。僕が君を傷つけるのに飽きるか、それか、自分の記憶と戦って勝利するか」
「…………」
わざわざ説明するのは俺の恐怖を煽るためだろう。
知っていることを聴くのは面倒なんだが、こっちの声は届いていないみたいだな。
止めようにも止められない。
「この空間で起こる現象はリアルとほぼ等しい。だから必死で抵抗したほうがいいよ。ここでの死は現実世界での死に直結するんだから」
「はいはい。わかっているって。どうせ、今から出てくるんだろ。魔王か、それか、俺自身かがな」
罠にかかった人間の深層意識から、最強を引きずり出す。
それがこのパーソナルスキルの能力。
自分が考える自分よりも強い敵が現れるので、絶対に誰も勝てない。
人は記憶を美化する。
誰もが、記憶の中で強さを誇大化するのだ。
だから実際の人物よりも強い人間が出てくる可能性もある。
そして、自分のことが世界最強だと思い込んでいても、結果は同じだ。
時間軸という概念を飛び越えて全盛期の自分が出てくるのだ。
だから、理論上、ビブリアには誰も勝てない。
だが、それでも勝算はある。
誰が相手だろうと俺は知っているのだ。
世界において最強と呼ばれていた連中と、俺はほとんど会っている。
だから妄想を肥大化することなく、そのままの力で戦うことができる。
そして、だれしも弱みや付け入る隙があることを知っている。
だから、俺が勝利する可能性だってあるのだ。
「昔はさ、記憶から作り上げた最強の敵を作って、絶望する人間の心を観察するのが好きだったんだけど、データはだいぶ揃ったんだよね」
「……………え?」
なんだ。
少しだけ雲行きが怪しくなってきたぞ。
「だから趣向を凝らして最近は、別の物を敵にすることにしているんだ。この前とか傑作だったよ。女の冒険者が迷い込んだからさ、実の子どもを具現化したんだよ。そしたらどうなったと思う?」
「…………」
「最初は『やめて、私は戦いたくないの!!』とか『こんなこと私にさせてどうするつもりなの!! 鬼! 悪魔!!』とか散々言い訳してたくせにさー。いざ自分が死にそうになったら、自分の子どもを殺すんだよー。自分の子どもの首を絞めながら泣いてたよねー。ひどいよねー。全部僕のせいにするんだよ? やったのは自分自身だっていうのにさー」
「こいつ……」
「真実の愛だとか、親子の愛情とか、なんだか薄っぺらいセリフをペラペラ吐くなあって思ってたけど、やっぱり嘘だったんだねえ。本当に愛情があるなら、自分の命ぐらい簡単に投げ捨てなきゃー。そんなの親失格でしょー」
壁を再びぶん殴る。
意味のないことだとわかっているのに。
「さっさと出てこい!! 直接ぶん殴ってやる!!」
「あれ? だからさー。そんなことしたって無駄なんだって。君、もしかして頭悪い? それとも怖くなったのかなー? まっ、これ以上は時間の無駄か。そろそろはじめようかな」
と、いきなり突風が吹き荒れる。
目を開けていられないほどの風量だ。
「うっ!!」
だが、そんなものはどうでもない。
それよりも、頭の痛が唐突に起こったことが問題だ。
たまに起こる頭痛だけど、今度の痛みはけた違いだ。
頭が割れそうになっている。
「アアアアアアアアアアアアアッ!!」
ザ、ザザザ、ザザザザザ。
決して周波数の合うはずのないラジオみたいに、頭の中を砂嵐のような音が響く。
だが、
「君はどんな言い訳をするのかな? 人は追い詰められた時、本性をむき出しにする。その本性こそが、君自身だ。僕の前では誰も過去から逃げることはできない。どんな敵がでてくるかな? 最愛の人だったとしても、たとえ自分が殺した相手だったとしても、たとえ、君自身が忘れたいと思った人間でさえも」
プツン、と急に音がやむ。
頭の痛みはなくなり、風も止んだ。
目を開くと、そこはラビリンスダンジョンではなかった。
「闘技場?」
俺が知っている地下の闘技場ではない。
屋外だ。
しかも、規模が何十倍も違う。
観客席だけでも相当な広さだ。
この闘技場は、俺の記憶から造り出されたもののはず。
だが、こんなところに覚えはない。
どこだここは?
「――――ッ!!」
背後から人の気配がした。
振り返る。
「誰だ?」
だが、誰なのか分からない。
鎧を着こんでいて、ヘルムまで被っている。
鎧のせいで体格さえ分からない。
髪の毛も、手足も見えない。
顔が見えないが、剣を帯刀しているのはわかる。
ここにいるということは、俺が戦うべき、俺が知っている人物のはず。
だが、誰なのか見当もつかない。
こういう時は、とりあえず、スキルレベルを調べるのが一番だ。
武術スキルレベル0
魔術スキルレベル0
錬金術スキルレベル0
総合スキルレベル0
「0? そんなことありえるのか?」
何かしらの認識阻害系のスキルを使っているとしか思えない。
スキルレベル0なんてことはあり得ない。
俺のスキルを上回るスキルを使っているってことは油断ならないな。
女だからといって手加減していたら痛い目を見る。
元の世界とは違って、この世界の強さは腕力なんてあまり問題にならないしな。
……ん?
女?
なんで、俺はこいつが女だと知っているんだ。
俺はこいつの顔を見ていない。
体格さえも分からない。
ただ甲冑、鉄の塊を見ているだけだ。
なのに、どうして俺は相手が女だとわかるんだ?
そう思っていると、ポツポツと頬を雨が濡らす。
雨が降ってきた?
いや、これは違う。
「…………涙?」
俺の涙だ。
泣いている?
俺が?
どうして?
本当にこれは俺の記憶なのか?
その答えを、この世界の創造主が答える。
「そこにいるのは、君が『最も大切だと思う人間』だ」




