第38話 魔王サタンは何度でも蘇る(4)
城門前。
まだ朝日も昇っていないような早朝。
俺とアシュラとサリヴァンの三人はそこで向かい合っていた。
旅立ちの日。
王様が外国に出るとなれば、本来ならばお祭りのように、大勢の人間に歓迎されながら出発するものだがそうもいかない。
今回はあくまでお忍びの旅。
城門を開けてくれる衛兵や見張り台にいる兵士ぐらいしかいない。
ウィーベルという国の由来ともなった、鐘を見上げる。
あの透き通るような鐘の音を聴くことももうなくなるのか。
朝と夕方、時間を知らせるために鳴らすあの鐘の音が俺は好きだった。
これでもう見納めだ。
あと数ヵ月か一年かは分からないが、観られない。
鐘も、そしてこの国も。
だというのに、最後に見られずじまいだった奴がいる。
「結局、マサムネには会えずじまいだったな……」
あれから旅の支度を急いでしなければならなかったが、その時間を削ってまでマサムネを説得したが顔を見ることはできなかった。
鍛冶場にこもりきって、カンカン、と金槌を叩く音だけが夜通し鳴り響いていた。
それがきっと返事で、もう話しかけてくるなと背中で語っていた。
結局俺はマサムネの説得を諦めて、旅に出ることにした。
するりと、アシュラが傍に立つ。
「ユウシも少しは複雑な乙女心を考えるべきだったんですよ」
「え? どういうこと?」
「マサムネさんがどうして怒っているか分かりますか?」
「え? だから、あれだよね? 俺がいきなり旅に出るとか言い出して、いい迷惑だと思ってるんじゃないの? 王として無責任だってそれで怒ってるんじゃないのか」
「……それは違いますよ」
俺が間違えた答えを言うと確信していたかのように、アシュラは微苦笑する。
「ただ、ユウシの旅の理由が気に喰わなかっただけです」
「旅の理由って……。俺が逃げるのが悪いってことか? ここで魔族を迎え撃てっていいたいのか?」
「そうじゃないですよ。マサムネさんは、ユウシが結婚のために旅立つことに不満を持っただけのことです」
「えっ!? だ、だからそれは……それはただの建前だって! そうしないとサリヴァンが……」
「分かっていますよ。きっとそれはマサムネさんだって。分かっているけど、許せないんですよ。理屈は分かっていても、心じゃ納得できない。ユウシが悪いんじゃなくて、自分でも酷い対応した自分が悪いって分かっているけど、怒った手前、今更になって謝ることもできない。意固地になって、閉じこもるしかできない。……女の子って、そういうものじゃないですか?」
「……あれ? 女の子? 誰の話だったけ?」
「あっ、やばい。いいです。忘れてください」
「ちょ――」
アシュラは逃げるように去って行った。
なんなんだ、いったい。
いい加減何か秘密にしていることがあったら告白して欲しいものだ。
何隠していることは分かるんだけど、何を隠しているのかが分からない。
アシュラに逃げられたことだし、サリヴァンに話しかけてみる。
「サリヴァン、お前が一番年上なんだ。後は頼んだよ」
「承知致しました。次に会う時はきっと、立派なお嫁さんを連れてきてください」
「お、おう……」
お嫁さんねー。
前の世界だと他人の結婚式に出席したことすらないのに、自分が結婚するなんて想像もできないんだけどなあ。
「もしも誰かを連れてくることができなければ、私が婚約者になりますからね」
「――は? なんで?」
「いいですか!? 跡継ぎがいなければ国の危機にも繋がります。それを防ぐためならば、誰でもいいので婚約者をつくらなければなりません。それが私であってもです」
「いやいやいや。なんで、そういうことになるんだ!! ないから!! 絶対にないから!!」
「どうしてですか? そんなに私には魅力はありませんか?」
「いや、それはあるけど」
「そ、そうですか……」
カァァ、と自分で言い出したことなのに照れているけれど。
こっちが照れるわ!!
俺の顔も赤くなっている気がする。
「冗談です」
「冗談になってたか、今の?」
「いよいよとなったら、そういうことになるかもしれませんが、今は冗談ですね」
「それって冗談じゃなくないか!?」
「さあ」
大きな声で言い合いしていたせいで、どこぞに行っていたアシュラが帰ってくる。
「何の話ですか?」
「なんでもない」
アシュラに言ったら、それこそ阿修羅のように怒りそうだったので秘密にしておく。
「マリーさんには何も伝えなくてよかったんですか?」
「いいよ。アシュラからも伝えなくていい」
「どうして? マリーさんなら力になってくれるんじゃないですか?」
「あいつにはあいつの国がある。マリーが旅に出たせいで、政策が滞っていてバタバタしているらしいからな。もしも俺がまた危険な旅に出るって聴いたら、全てを放り投げてついてくるかもしれない。そんなの、ダメだろ……」
「へえ」
アシュラはどこか面白くなさそうだった。
「どうしたんだよ?」
「マリーさんが全てを放り投げてでも自分についてきてくれるって分かっているんですね」
「なんだよ、傲慢だって言いたいのか?」
「いいえ、その通りだと思います。大好きですからね、ユウシのこと」
「あ、ああ……」
大好き、か。
正直顔が合わせづらいんだよな、今は。
マリーは何も悪いことはないのだが、俺の覚悟が足りていない。
間接的に振ったみたいになっているからな。
俺は何の返事もしていないけれど、やっぱり俺が傷つけたことには変わりない。だからというわけではないけれど、マリーに知らせることは避けたい。
マリーが旅に同行するとなったら、今度こそセミラミスもなりふり構わずについてくるだろう。
そうなったら、マリーたちの国はどうなるっていう話なんだよなあ。
「まあ、だけど、本当に何かあって対処できなくなったらマリーに助けを求めてくれよ。あいつだったら、なんとかしてくれるから」
「分かりました」
さて、と。
もう話すことはないかな。
いや、もっと話したいことはたくさんあるけれど、もうそろそろ出発しないといつまでもここでグダグダと話しこんでしまいかねない。
「それじゃあ、名残惜しいけどそろそろ行くよ。二人とも元気でな」
「はい。必ず、この国は私が守って見せますから。それに、もっともっと私、強くなりますから」
「勇者様。お体には気を付けて。あなたの体はもうあなた一人のものじゃないんですから」
なんか、変な発言した気がするけどもうツッコむのは止めておこう。
適当に流さないと永遠に終わらなそうだし。
「閉門!!」
門番の声をきっかけに、数人がかりで重たい門が閉まっていく。
久しぶりに国の外に出た。
これで見納めだ。
ウィーベルの景色を網膜に灼きつける。
お辞儀をするサリヴァンと、手を振るアシュラの姿もしっかりと。
少なくとも数ヶ月は会えないだろう姿を記憶する。
できれば、ここにあと一人いて欲しかったな。
後ろ髪を引かれる思いで一歩踏み出すと、
「待って!!」
呼び止められる声がして振り返る。
走って俺を追いかけようとするが、そいつは間に合わない。
門が閉まっていく。
「マサムネ!」
泣きそうになりながら、両手で抱え込んでいたものをマサムネが放り投げる。
「勇士、これを受け取って!!」
放物線を描きながら門の間を抜けたモノを、しっかりと受け取る。
ギリギリの間だったので、もう門は閉まってしまった。
どうして今になってマサムネが来てくれたのかは分からないが、旅立つ前に顔を見たい。
「マサムネ、今から『フライ』か、それか城門を開けるから、ちょっと待っていろ」
「ううん!! このままでいい。このままの方が話しやすいから!」
マサムネの言葉に動きを止める。
切羽詰まったその声には強制力があって、俺は言うことを聴かざるを得ない。
声を合わせると話しづらいって、もしかして怒っている?
それとも、俺が今手に持っているものが関係しているのか。
布に包まれていたが、ガシャン、というキャッチ音で何が入っているのか分かってしまった。見らずともこの感触を間違えはしない。紐をほどいて包みを開けると、そこにあったのはやはり刀だった。
刀身を外気に晒すと、艶やかで光沢のある輝きが目に飛び込んできた。
「その刀をもって行って欲しい。刀の名は『正宗』!! その刀を僕そのものだと思って使って欲しい!!」
「あ、うん、そうか……」
いや、お守りとかなら分かるけど、これ刀なんですけど。
きっとモンスターとか、人とか斬っちゃうんだけど。
これをマサムネそのものだと思っていたら、バッサリ気持ちよく斬ろうとは中々いかないと思うんですが。
「もしかして、ずっと鍛冶場にこもっていたのは!?」
「うん! この刀を完成させるためだったんだ!! 今日間に合わせるためには、喋る余裕すらなかったんだ!! よかった!! この刀が、勇士の旅に役立ってくれたら嬉しいよ!!」
「ああ!! ありがとう!!」
どうやら怒りは収まっているようで安堵した。
喧嘩別れみたいな旅立ちは寝覚めが悪すぎる。
それに、刀か。
これは本当にうれしい。
セミラミスとの模擬戦闘で刀があれば、と思ったのだ。
これさえあれば、戦闘の幅が広がる。
徒手空拳よりかは精度が落ちるが、だからこそ修行のしようがあるというものだ。
「ううん。僕って卑怯だね……。本当はそれだけじゃなくて……ユウシと話したくなかったんだ。ううん、話せなかったんだ。実はずっと僕はユウシに隠していたことがあったんだ……」
「それって……」
ずっとひた隠しにしていたことか。
もしかして、ずっと秘密にしていたことを話してくれるのか。
俺は一度この世界を巡り、そして世界を救った。
だからといって、この旅が完璧にイージーモードだとは限らない。
まだ足を踏み入れたことのない土地だってあるし、知らないことだってある。
新たな脅威が芽吹いているかもしれない。
だから、命の危険がある旅で、俺自身どうなるかも分からない。
仮に生き残ったとしても、再び会えるのいつになるのか見当もつかない。
世界各地に散らばった人間を複数人探すのだ。
しかも、あてがほとんどない。
だからこそ、隠し事や言い残しがあっては悔いが残る。
きっと、マサムネはそう思ったのだろう。
「ユウシと会えるのが今度いつになるのか分からないから言いたいんだ。ずっと、ユウシに言っていなかったことを」
「それは……?」
ついに聞ける。
ずっと気になっていたことを。
マサムネ本人から。
「ずっと、ずっと僕はユウシのことを――」
一拍置いて覚悟を決めた告白をした。
大きな声で叫ぶように。
門の外にいる俺に聴こえるように、勇気を振り絞って。
でも、
リーン、ゴーン、という鐘の音によってそのことごとくはかき消された。
何か叫んでいることは分かったけれど、タイミングの悪すぎる鐘の音のせいでほとんど聴こえなかった。
朝陽が昇っている。
時間を知らせるための鐘はここから遠くて、マサムネの決死の覚悟なんて鳴らしている人は知る由もないだろうが、ここばかりは空気を読んで欲しかった。
鳴りやむと同じタイミングで、マサムネの叫びが終わる。
ちょうどすぎる。
一言一句、まともに聴きとることができなかった。
「ごめん!! 聞き取れなかった!! なんて言ったんだ!? マサムネ!?」
「……やっぱり、いいや。タイミング逃すとちょっと気まずいよね」
「いや、気になるって!! あそこまで言ったなら、続きを言ってくれ!!」
「続きは――勇士が帰ってからにしよう!! だって、そうだよね! 勇士は無事に帰ってくるんだよね!?」
ああ、そうか。
マサムネは俺のことを心配しているのだ。
約束をしたいんだな。
約束をすれば、きっとそれを叶えるために俺が生き残ってくれると信じているのだ。
「ああ、必ず――」
俺ができるのは、約束を必ず守るってことだけだ。
その時に改めて聴こう。
長年マサムネが胸に秘めていたことを。
「必ず帰ってくるから! そうだな! その時に今の話の続きを聴こう!!」
マサムネとアシュラとサリヴァンが声を張り上げる。
「いってらっしゃーい!!」
「ユウシ――!! 早く帰ってきてくださいねー!!」
「勇者様!! 必ず伴侶となる人を連れて戻ってきてくださいね!! ここは、あなたの国なんですから!!」
そびえる城門が音を遮断するから大声になるのはしかたない。
だが、これだけ大声だと他の奴らが飛び起きかねない。
「お忍びってこと分かっているのか……」
城門の門番たちまで声を上げて俺の無事を祈ってくれている。
いい国だった。
元の世界には俺の居場所なんてどこにもなかったけれど、ここにはあった。
俺がいてもいい場所ができるなんて思わなかった。
魔族の脅威が去り、この世界がひとときの夢のように平和になった。
もっとここにいたい。
だけど、この平穏を守るために俺は旅に出なくてはいけない。
俺がやるんだ。
俺が守るんだ。
この居場所を。
元の世界にいた両親とは次第に仲が悪くなっていき、会話すらなくなった。玄関から出ても、何の挨拶もなかった。俺がいてもいなくても同じだったから。深夜に帰ってもお咎めなしだった。きっと、興味がなかったのだ。自分の子どもに。
だから、あの言葉を言わなかった。
また帰ってくる居場所にいる人達に告げる言葉を。
今の俺は、今度は元気よく言葉にすることができる。
「行ってきます!!」




