31キャサリン家を出る
キャサリンはブルーノを見送ることもしなかった。
彼女に取って見ればブルーノはただの護衛騎士だった。
今のキャサリンにあるのはケネトへの想いをどうすれば断ち切れるかと言う事だけで、毎日泣いて疲れて眠ることを繰り返していた。
そんなある日父から話があると呼ばれた。
「キャサリン。ケネトとのことは残念だったとしか言いようがない。まさかアミルがそんな事をしていたなんて。あいつとは伯爵家が破格の持参金をくれると言うから一緒になっただけだ。そんな女だと知っていたら…まあ、今さらどうなることもない。アミラは死んでるんだしな」
「…それで?」
キャサリンは父が何が言いたいのか分からず苛ついて聞いた。
「ああ、すまん。それでだ。お前ももう早く結婚しなきゃならんだろう。だがケネトの事は国中の人間が知っている。こうなったらお前を貰ってくれるところは限られる。わかるか?」
「だから?」
「ああ、キャサリン。お前はボン・ストフェルト子爵の所に嫁がせることにした」
「ストフェルト子爵って?あのストフェルト?」
「ああ、40過ぎの小太りで好色なあのストフェルトだ。なに、心配はいらん。子供はもう大きいし。跡取りは必要ない。お前は子爵の慰み者になって何の心配もない人生を送れるんだ。いい話だろう?」
「いやよ!そんなエロじじいの所になんか誰が行くもんですか!そんな事なら一生独り身でいる方がいいわ」
「だが、前からお前に興味があったそうで支度金を多額に用意してくれるんだ。お前が役に立つとしたらもう、それくらいしかないんだ。いいな?キャサリン。くよくよしていても腹は減るんだ。男爵領には金が要る。お前は男爵家の一人娘。領民のためにも役になってもらうぞ」
「でも、お父様。男爵家はどうするんです?私がいなくなったら誰が後を継ぐんです?」
「心配ない。弟の所のマールを養子に迎えるつもりだ。安心しろ」
「いい加減にしてよ。今まで散々私にお金をせびっていたくせに。ケネトって言う金づるがいなくなったらもう用がないって言うつもり?誰があんたの思い通りになんかなるもんですか。こんな家こっちから出て行ってやるんだから!」
「はっ?キャサリン。貴族の娘が一人でどうやって生きて行くつもりだ?仕事をしたこともない。自分の身の回りの世話も出来ないやつがどうやって生きて行くつもりだ?いいから、悪い事は言わない。私の言うことを聞け。子爵は裕福で金は持っている。お前だってもう無垢な娘じゃないんだ。やることをやっておけば後は好きな事が出来る。これほど楽でいい話があるか。わかったら部屋に戻れ。勝手なことをしたら許さんからな」
キャサリンは子爵のところに行く気はまったくなかった。
だが、ここで逆らえば部屋に閉じ込められるかも知れないと考えた。
なるべく早くに隙を見て家を出て行くつもりだが、今は父親の言うことに逆らわずにいた方がいいと判断した。
「…はぁぁぁ。わかったわよ。お父様の言う通りだわ。大人しくしてればいいんでしょう。その代り支度金は私にくれるんでしょうね?」
「ああ、全額と言うわけには行かんぞ。でもドレスや宝石を変えるくらいはやる」
父の脳内ではもう金勘定が始まったらしい。ニヤリと薄ら笑いを浮かべている。
(くそが!誰があんたなんか。父親だなんてほんとおかしい。私がいなくなって困ればいいんだわ。私は二度とあんたの世話なんかするつもりはないから)
その翌日の明け方キャサリンは着替えを詰めれるだけ詰めて重いトランクを引きずるようにして家を出た。
お金はケネトと婚約していた時に溜めていたものがあったしアクセサリーなどももらったものがあったのでしばらくは食べて行けると考えた。
男爵領は小さな町で屋敷からすぐのところに乗合馬車乗り場があった。
キャサリンは見つかることを恐れてすぐに辻馬車に乗り込んだ。行き先の当てなどなかったが馬車に乗り込んだ。
馬車には数人の労働者風の男と中年の女がいた。
キャサリンは持っているドレスで一番質素なものを選んだつもりだったが、何しろ今までケネトの婚約者だったし王宮にいたので身なりは貴族のお嬢様と言うことは隠しきれなかった。
男たちがすぐにいやらしい目でキャサリンをねめつけて来た。
(ああ、失敗したわ。ここは王都じゃないからこんな格好は目立ってしまう。どう見たって貴族の令嬢にしか見えない。持って来た着替えもすべて仕立てのいいドレスばかり、次の街で平民が来ているような粗末なワンピースを買わなきゃ…ったく。どうしてこんな事に…)
キャサリンはズシリと心が重くなった。
(それにこうなったら身分を明かして働くことも出来ない。
ケネトは辺境騎士になると言っていたはず。ケネトの所に…いや、それは無理な事。どうすればいいの?)
先の事を考えれば考えるほど不安が押し寄せどうしようもなく焦る。
(ほんとに!そもそもこんな事になったのはエルディがルーズベリー教会で結婚式を挙げる事になったからよ。そうよ。すべてクワイエス侯爵家のせいじゃない。
お母様が侯爵と結婚していればすべてがうまく言っていた。
父のような金の亡者と結婚することもなかったし私がこんな事に巻き込まれることもなかったのよ。
そうだわ。王都には入れないんだからこれからクワイエス領に行ってあの人たちに一泡吹かせてやればいいのよ。
あの人たちも私やケネトみたいに報いを受けるべきなのよ。
うん、そうよ。何で私ばっかりがこんな目に合わなきゃならないのよ。
ほんと。腹が立つわ!)
何もかもが夢と消えた今。恨みはクワイエス侯爵家に向かってしまう。
キャサリンはそうやってクワイエス領に向かうことにした。
行く当てもない目的も失ったキャサリンは、やっとほんの少し光が見えた気がした。




